書くこととジョギングは似てる
これまでnoteを書く時間は仕事を終えた後、夜が多かった。
しかし最近は朝に書くことが多い。
朝書くという習慣と合わせて、朝の散歩がセットになっている。
朝起きて、すぐに散歩に出る。朝ご飯を食べた後でnoteを書く。
noteを開いたときにテーマが浮かんでいるときもあれば、真っ新なときもある。これは夜書いていたときも同じだ。
しかし、この「書くことが浮かんでいない時」の受け止め方が朝と夜で大きく違うことに気付いた。
夜にこの状態になると、焦りが出てくる。考える時間を使えば使うほど、これだけ考えたのだから何かアウトプットせねば、という焦りに変わる。また、何も書かない時間が長いほど、何かを書き始めると、もう一人の自分が否定をし始まる。「ここまで悩んでこのテーマなの?」と問いかけてくる。
好き好んでやっているはずなのに、なぜか苦行になっている時もある。
一方、朝は違う。
テーマが浮かんでいなくても、気軽に文章が流れ出す。頭に浮かんできたことを素直に指が反応して、文章が出来上がる。
書いた文章に満足しているかと言われるとそうでもないが、頭の中で浮かんだことを文書にすることで、まるで脳内を掃除している感じがして気持ちが良い、という感覚がある。
走り出すまでは憂うつだけど、走り終わると爽快な気分になるジョギングに感覚は近いかもしれない。
頭と指と文章が迷いなく一直線で繋がっている感じは心地よいモノだ。
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