感想の搾取をするクリエイター
あなたの周りに「作ったものの感想を必要以上に求める人」はいないだろうか。それも自分の望むような言葉を。
時間をかけて丹精込めた作品であれば、誰かに見てほしい気持ちは十分にわかる。自画自賛であろうが、これだけ頑張ったんだから誰かに褒めてほしいと思うのは、湧き出す感情としては理解できる。
でもその作品を見たり体験した人が求めているものは、必ずしも作った人の作品でなければいけないわけではない。
にもかかわらず、「みんなが求めているから」とか「私の作品を待っているから」と執拗に良い感想を求めてくるクリエイターをたまに散見する。
私は勝手にこれを感想の搾取と呼んでいる。
「ここの演出たった5秒だけどめっちゃこだわって作ったんよ。ほかに作れる人いないんじゃないかな。どうすごいかわかる?」
「この料理つくるのに5時間かかったんです。素材は○○産のものを使って、食べる人が食べたらわかるんです。これすごく高くて△△にしか売ってないんですよ。気づけました?」
「この構図つくるのにすげー凝ってさ。結構安い機材しか使ってないんだけど、その道の人でも方法思いつかないんじゃないかな。どうすごいかわかる?」
認めてほしい気持ちはわかる。
でも作ったものの評価は頑張りではなく、受け取った人の感情なのだ。
優れた作品は(発信の仕方にもよるが)黙っていても、他人の賞賛が湧いてくるものである。
他人に強制して貰える言葉は、クリエイター側がその場の自己承認を埋めたいだけなのである。
どんなクリエイターだって人からいつか自分の作品が認められることを願ってコツコツと研鑽を続けている。作品の裏には個々の努力があるのは、伝わる人には伝わっている。
でも賞賛をもらえないのは、純粋に人の心に刺さっていないだけだ。
毎日生姜焼き定職を好んでいる人にフレンチの良さを熱弁してもストレートに刺さらないのだ。
まれにTwitterにおいて、クリエイターを代表してものを申しているツイートが流れてくる。
反応がないと作り手のモチベーションが~とか、言葉を貰えたらやる気になれます~とか。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
おめぇが作りたくて作ってんだろ。
自分が気分よく作り続けたいからもっと褒め称えて欲しいってどの目線で話てんねん。
褒められなくてやる気でないなら、もう作る意味を履き違えてるよ。
口が悪くなりました()