追撃のパンドラ [後]
[21] クラインの狂犬
琥珀色の太陽が中天に差しかかる。
静寂。
風がさらう荒野には、枝葉を揺らす木々もなければ動く影もない。
だが、そんな荒野のはずれに瓦礫と化した街がある。
街の名はロプノーリア。
ペンドレル北西部――ルシャルゼ川沿いに広がる荒野に、ぽつんとオアシスのように広がる街だ。
街の中心に位置する石造りの教会が、この大半の家屋が瓦礫と化した街の唯一まともな建物だった。
中央に十字架がそびえる鐘楼と聖堂を擁し、左右に羽を広げるような破風と飾り窓に埋められた双翼棟を持つ。
材石は所々摩耗し、あるいは銃弾らしい痕に削られてはいるが、その威容を少しも損ねてはいない。
そんな『エルイシュ・エージェ孤児院』の建物から、何の前触れもなく火の手が上がった。
「――アンドレア!」
呼ばれて振り向いたのは、日に焼けた肌の鮮やかな赤毛の主だ。
長い赤毛を後頭部でまとめ、どっしりした身体を包むのはくすんだ砂色の戦闘服だった。
気丈な薄緑の眼差しが、自分に向かって駆けてくる少女に向けられている。
大きな眼にぽってりした唇――年齢不詳の愛嬌がある顔立ちだが、女には華やいだ印象は皆無だった。
むしろ刃に似たギラつく殺気をまとっている。
「エリザ、早くこっちへ」
アンドレアは厳しい面持ちでエリザを引き寄せ、祭壇脇の隠し階段の扉を開けた。
「あのね、ヴィンセントが――」
「話は後よ。早く中にお入り」
まだ何か言いたげなエリザを押し込むと、元のように隠し扉を閉じて背後を振り返る。
―――こんな時に襲撃か……。
苦い思いにアンドレアは唇を噛む。
傍らに置いた古びた自動小銃を引き寄せた時、聖堂のステンドグラスが粉々に砕け散った。
「……っ……!」
ワイヤーで身軽に舞い降りた黒衣の集団が、威嚇射撃をしながらしなやかに降り立つ。
銃声とともに足元や傍らで砕ける木片にアンドレアが顔を庇った時――すでに前後左右を黒衣の集団に囲まれていた。
―――1、2、3……全部で8人。
そのうちリーダー格らしい男が前に進み出た。
とはいえ、アンドレアにわかるのは、男が水色の眼の持ち主で体格から男だということだけだ。
漆黒の戦闘服の男たちの顔は、目出し帽で隠されていた。
こちらに向けた自動小銃すら、黒のマットペイント仕上げだ――徹底している。
荒野が陸地の大半を占めるペンドレルでは、逆に目立つから黒衣を戦闘時に使う場合は夜戦や強襲時に限られる。
それが――白昼堂々襲撃に使用していることが、逆に男たちの戦闘レベルの高さを物語っているようで不気味だった。
「――銃を捨てろ」
静かな迫力を秘めた声に、アンドレアはおとなしく手を上げて足元に銃を落とした。
「何者なの?」
「訊くのはこちらだ、アンドレア」
「なんであたしの名前を――」
言いかけて、アンドレアは肩をすくめて首を振る。
自分の名を知ってる襲撃者ならば、心当たりがないではない。
脳裏に蘇ったのは、黒髪にどこか猛禽を思わせる灰色の眼の男だ。
以前、あの男は言っていた。
『この孤児院を襲撃する者がいたなら、それは『彼』を奪いに来た連中だ』
そしてこうも言っていた。
『命の保証はない』、と。
それはアンドレアをはじめ、孤児院に住まう者たちの命についてではない。
彼は襲撃者に命の保証がないと言っていたのだ。
何故なら、ここには――。
「アンタら、なんにもわかってないね。あの子がどうして、こんなペンドレルのド田舎にある孤児院に預けられていると思ってるの?」
アンドレアの問いに、リーダと思しき男が首を傾げる。
「なんだと?」
「アンタら『から』守るためじゃない。アンタら『を』守るためなのさ……あの子は」
アンドレアは息をついて続けた。
「クラインの呪い……『狂犬』なんだから」
バン、と派手な音とともに、両開きの扉が開け放たれた。
逆光に人影は黒く染まっている。
しなやかそうな漆黒の影は、両手を腰のあたりに回すや――マシンガンを引き抜いた。
「……っ……!」
リーダーと思しき男が、すぐさま礼拝の椅子陰に身を躍らせる。
同時に、タタタ、とリズミカルな音とともに、アンドレアの背後で数人の男たちが声もなく倒れた。
「ヴィンセント……!」
アンドレアの声をかき消す勢いで、なおもマシンガンが流れるように襲撃者たちを追う。
すぐ間近で木屑が爆ぜて石の床が砕けたが、狙い撃ったと思えぬ適当な銃撃の軌跡はアンドレアを捉えはしなかった。
しなやかに影が進み出ると、そこには漆黒のカソックを身にまとった少年が立っていた。
年の頃は17、18歳。
ざんばらな長い黒髪は風になぶられるまま――ムク犬のように眼元が長い前髪に隠れているため、どんな顔立ちか定かではない。
ただ通った鼻筋と唇から、それなりに整った顔かと思う程度だ。
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