孤羊のアリア
[序章] 雨と憂鬱
雨は憂鬱な気分になる。
湿気か気圧のせいかは知らないが、このところ悩まされている頭痛がひどくなるからだ。
今夜のように一層冷える夜は……特に。
そんなことを思いながら、落とした視線の先――。
鮮やかな真紅の水溜りの中央に若い男が横たわっている。
繊細な整った顔立ちが血で汚れて台無しだ。
ふっくらした唇の端からは同じく血が糸を引く。
長い睫毛に縁どられた眼を大きく見開き、虚空に向けられた眼差しは微動だにしない。
まあ、額の真ん中に銃弾を食らえば、誰だってそうなるか……。
じっと見下ろしながら、そんな冷めた感想を抱いた。
身体の両側に投げ出された両腕、乱れたスーツの前は開き、シャツにも点々と血痕が散っている。
右足は不自然な角度で折れ曲がっていた。
靴の先に落ちている金属のそれを、俺は身を屈めて胸ポケットから出したペンでひっかけて持ち上げた。
―――9ミリの薬莢。左回りの線条痕付き……。
衣服には飛沫血痕のみ。
発射残渣がないということは……90センチは離れて撃った。
「――どうしましょう?」
沈黙を破ったのは俺の背後に控えていた男だ。
怯えた面持ちが心情を物語っているが、今の俺にそれにかまう余裕はない。
「どうもこうもねぇよ。すべて……『なかったこと』にするんだ」
むっつりと答えると、俺は今一度死体の顔を眺めて……鼻から息を吐きだした。
辛かったか? 苦しかったか?
失った者に対する優しい言葉をかけてやりたいところだが、やはり今の俺の思考を占めるのはまったく別のことだった。
―――死んではならない男が死んだ。
この瞬間から、1人の人間を抹殺するための計画が俺の脳内で組み上がっていく。
わかりきったことだが容易なことではない。それでもやらねばならない。
この男が死んだと知られたら、この街が戦場と化す――残念なことに気の利いた比喩ではない。
本物の銃弾が飛び交う修羅場が展開されるのだ。
まさしく頭の痛い事態だ。
だが、頭痛の種ってのは、常にそこら中に転がっているものらしい。
要は行き当たるか当たらないか……。
そういえば誰かが言ってたな。
『すべては神のみぞ知る』――と。
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