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激白

 視界を埋める漆黒の闇。

 物音ひとつ聞こえない、頑丈な扉の前で───。

「――ヤバいですね」

 広保はため息をつき、LEDライトを手に思いきり脱力した。

「……そうらしいな」

 傍らでそう返した上司は言葉とは裏腹に、

平素と変わらぬ落ち着いた面持ちで暗い天井を見上げる。

 きちんと整えられた短髪、通った鼻筋、厚すぎず薄すぎずの唇

――銀縁眼鏡をかけた端正な顔立ちの男だ。

 長身を包む仕立てのいいスーツと清潔そうな外見から、弁護士か商社マンあたりが似合いそうな麗容の主だ。

 だが、きついまなじりの鋭い眼つきと隙のない物腰、身にまとう威圧的な雰囲気が見かけの印象を裏切る。

 蓮波署刑事課強行犯捜査係1班の主任・吉良学警部補だ。

 一方の広保鋼紀(ヒロヤス・コウキ)は巡査部長。

 身長190センチを越す巨漢だが、優しげな顔立ちと口角が上がった口元のせいで人懐っこい印象の男だ。

 吉良の部下で相棒(バディ)を組んでいる。

 そんなふたりがいる場所は天井、床、壁――いずれも打ちっぱなしのコンクリートで囲まれた広大な地下空間だ。

 平日午後の勤務時間内、今日は吉良とともに署内に詰めて『発生もの』に対処する予定だった。

 それがこんな地下へ出向くことになったのは、

『違法ドラッグの売人が潜伏している』

という匿名の通報があったからだ。

 この手のイタズラ電話は多いため疑わないではなかったが、通信指令センター経由で荷電してきた通報者の声を聴いた吉良が『確認に行く』と言いだした。

 そこで車で向かった先は、蓮波区内でも旧区の名残が色濃く残る虎落(モガリ)地区だ。

 再開発予定地区のあおりを食らって、立ち退きを迫られた商用施設が多い第2区画で、

老朽化を理由に解体予定の建築物や空き店舗が目立つ。

 通報のあった建物も、外壁がヒビ割れて変色した古いビルだった。

 広保が吉良とともに内部を探索して数分――吉良が地下へ降りる鋼鉄製の扉を発見した。

 それだけなら、さして『ヤバい』とは思わない。

 問題は、ふたりがそろって地下へと降りた直後、まるで狙い澄ませたかのように外部から扉がロックされてしまったことだ。

 先に気づいたのは吉良で、動かないドアノブに「そうきたか」と忌々しげに呟いた。

 広保はなんとか扉を開けようと、さんざん体当たりを食らわせてみたものの、頑丈そうな見かけを裏切らない分厚い扉はビクともしなかった。

 しかも、携帯電話の電波は届いておらず、アンテナは1本も立っていない。

 加えてこの近在は駅に近いにもかかわらず昼夜問わず人通りもまばらで、大声を出したところで助けが来るとも思えない。

 開かないドアと格闘すること数分――。

 地上へ続く出入口のドアの傍らで腕を組んだ吉良と、壁にもたれた広保は『危機的状況』という結論に至ったのだった。

「……どうします、主任?」

 息を整えて、広保は吉良を振り返る。

「俺らが戻らなければ、1時間後に穂村が探索(サーチ)するだろうな」

 携帯電話の位置情報を追うという意味だ。

 同じ班の穂村はコンピューター関連のプロだ。

 GPSの情報から発信電波が消える直前のルートを割り出し、車を停めた場所に行き着くだろう。

 そこからこの場所を探し出すまで、どれぐらいかかるかは不明だが、とりあえず外部から救出される見込みはある。

「それまでここで待ちますか?」

「お前は休んでろ。俺は奥を見てくる」

 いつもと変わらぬ面持ちと物言いで言い置き、吉良はあっさりと背を向けて漆黒の暗がりへと足を踏み出した。

 すぐにライトの光芒からはずれ、スーツの背中が見えなくなる。

 どんなときでも冷静さを失わない上司だと知っているつもりだったが、こんな状況でも顔色ひとつ変えないとは驚きだ。

 広保は一応は平静を装ってはいるが、実のところは閉じ込められたと気づいたときから少なからず動揺していた。

 ドアをロックした何者かは、ふたりが警察官だと知っていて閉じ込めたのかもしれないと考えたからだ。

 これが罠だとしたら、通報した者は――。

 そこでハッとして、広保は吉良のあとを追った。

「主任、自分も行きます!」



 新区に新設された蓮波署は、各方面本部から精鋭中の精鋭を集め、きわめて実力至上主義のもと編成されたという。

 そんな蓮波署へ配属が決まったとき、多くの同僚から羨望の眼差しを受ける一方で、一部から「大丈夫か」と心配や「気の毒に」といった同情の声も聞かされていた。

 広保を引き抜いたのは、新たに強行犯捜査係1班の主任になった吉良学だ。

 この男がなかなかに黒い噂が絶えない人物で、心配や同情の声はそうした事情を知る者ならではのものだったらしい。

 そんな男にまつわる話の中で、もっとも広保を唖然とさせたのが、『掘られないように気をつけろよ』だった。

『掘られる』とは――つまり。

 とりあえず実力を認められ配属されたと思うことにしたのだが、初日の顔合わせの際に本人から爆弾発言を投下された。

『――俺は両刀だ』

 呆然としたまま青ざめる広保に、さらに吉良はこう言った。

『だが、俺は部下には手を出さない主義だ。面倒だから色恋沙汰は職場に持ち込みたくない』

『だから、安心していい』という意味らしい。

 広保が着任した日から数日遅れて、穂村、貞松、志水が相次いで着任、

さらに八城(ヤシロ)と依川が着任して、吉良を主任とした新生1班はスタートした。

 それが数年前のことだ。

 ところが新たに着任した新任の主任の相棒につくことになった依川が、蓮波署強行犯捜査係2班に異動することになった。

 さらについ先月、優秀だった八城が転属になった。

 もっとも異動先が本庁だったため、栄転と言えなくもなかったのだが。

 転属理由は今もって不明だが、去り際の八城が吉良に向ける眼差しが脳裏に焼き付いていた。

 涙で潤んだ上に、はっきりと恨みがましい眼つきだったからだ。

 そのあと、すぐ八城に代わって月江が着任してきたのだが――。

 闇に消えた上司のあとを追いながら、今なら話を訊けるのではないかと広保は思ったのだった。

 ほどなく見えてきたのは、立ち止まったスーツの背中だ。

 どうしたのかと回り込むと、そこに――。

 LEDライトの光の中央に、オフィスで見かけるようなスチールデスクに、ラップトップがぽつんと1台載せてあるのが浮かび上がる。

 だが、問題はそこではない。

 ラップトップの後ろ側に、色とりどりのコードでつながってる金属の箱だ。

 武骨な外観でメタルな金属質の箱中央に、8桁の数字がカウント・ダウンしているパネルがある。

「……爆弾だなぁ」

 こんなときでも落ち着いた言動を崩さない上司に、広保は呆れながらも思わず一歩後退した。

「主任、冷静なのは結構ですが……マジでヤバいです」

「そうだな」

 これも静かに返しながらも、吉良は広保のライトが届かない範囲をじっくりと眺めてラップトップに手を伸ばした。

 ブン、と微かな電子音のあとで、黒い画面に白文字が瞬いた。

『――このカメラはお前らの状態を見ている』

 どうやらライブカメラが起動中であるらしい。

 続く要求らしき文句を上司とともに見ていた広保は、内容に青ざめつつも怒りを覚えずにいられなかった。

『爆弾は確認したな?

お手製だが、この地下ごとビルを吹き飛ばす威力だ。

こちらの要求は簡単だ。

お前らふたり、目の前でヤッてみせろ。

そうしたら命を助けてやる。

言っとくが、ヤッたフリは通じない。

ふざけた真似をしたら、リモートで吹き飛ばす。

俺の前でよがって見せろ』

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