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秘めたる深愛

[0] 序章


 燃えるような長い赤毛が頬の横で揺れ、完璧と思える美貌を引き立たせている。

 白磁めいたシミひとつない肌、エメラルドを思わせる緑眼、すっと通った細い鼻筋――深紅の唇が妖艶な笑みを形作る。

 パーツバランスが整いすぎている感があるが、ふっくらと艶めかしい唇が女の顔を魅力的に見せていた。

 これも完璧なボディラインの身にまとうのは、肩と胸元が大胆に開いた夜会服めいた漆黒のドレスで、ピンヒールの足元に裾が翻るさまが優雅だった。

 場所はメインホールと称される円形のフロアだ。

「―――お待たせいたしました、皆さま。いよいよ今宵のスペシャルな逸品をご紹介いたします!」

 興奮ゆえかわずかに上ずった声で、壇上の女が高らかに宣言する。

 舞台を斜めに見下ろす観客席からは、壇上の女が台座前で分厚いカーテンを手で示しているのが見える。

 観客席は満員の状態で、200ほどの座席はいずれ舞踏会用のマスクや仮面をつけた身形のいい紳士淑女たちで埋め尽くされている。

 彼らの熱気と興奮が伝わってきた。

 今しも赤毛の女が宣言した通り、これから今夜のオークションにおいて最大の見せ場、『スペシャルな逸品』が登場するのを今か今かと待ちわびているのだ。

「――そろそろだぞ、『桜(キルシュ・バウム)』」

 傍らの席からの低い呼びかけに、『桜』と呼ばれた男は緊張の面持ちで顎を引く。

 こちらも舞踏会用のマスクで眼元が隠れているものの、アーモンド形の二重の眼と通った鼻筋、綺麗な唇から整った顔立ちと知れる。

 男は『桜』と呼ぶが、本名は桜薙司(さくらなぎ・つかさ)だ。

 今は本来の職務とはかけ離れた場所で、普段は身に着けることがない高級なオーダーメイドのスーツに身を包んでいる。

 先の呼びかけた男は桜薙よりも年かさで、堂々たる体格をこれも高級スーツに包み、威厳と威圧を秘めた眼を壇上に注いでいる。

 この男の本名は長舩京吾(おさふね・きようご)という。

 とはいえ、この場では本名で呼び合うわけにはいかない。

 徹底した顧客の秘密厳守が売りの闇オークションに潜入している今――正体を知られては無事に帰れる保証はなにもないからだ。

 ―――どうしてこんなことになった……?

 緊張で汗ばむ手に持ったタブレット端末の画面に眼を落とし、苦い思いに知らず唇を噛みしめる。

 じっと見つめる先、今しも幕が上がって――スポットライトに照らされた『それ』が浮かび上がった。

「……っ……!」
 眼にしたものに、心臓が痛いほどに跳ね上がる。

 執事めいた男が押す車椅子に乗せられて現れたのは、高級そうなスーツに身を包んだ麗容の主だ。

 通った鼻筋、端正な顔立ちだが、今は目隠しの深紅の布に眼元が隠されている。

 ほんのりと染まった頬、厚すぎず薄すぎずの唇が半開きで、わずかに肩を揺らして喘いでいるさまが苦しげだ。

 平素は整えられていた短髪も今は乱れている。

 そんな様子ときちんと身に着けた隙のないスーツの着こなしのギャップが、妙に艶めかしい空気を男の周辺に醸し出している。

「――クスリ漬けだな」

 傍らの長舩が舌打ちしてボソリと呟く。

 桜薙は眼を凝らしながらも、眉をひそめて男の姿を見つめる。

 先の赤毛の女が、台座の傍らから車椅子へと近づいた。

 妖艶な笑みを浮かべて、男を手で示してみせる。

「――さあ、皆さま。今宵最後の出品になります。

ロット・ナンバー1118、帳学(とばり・まなぶ)。

かつて『レベルサの森』にて、当館の人気ナンバー2でした。

若くはありませんがタチ・ネコ双方こなせますし、男女どちらでも夜のお相手ができる両刀です。

しかも顔と身体、性的技巧は一級品。最高の玩具となること間違いなし――」

 女の説明に、客たちの間からどよめきが沸き起こり、粘つくような視線が壇上の男――『帳学』に集中する。

 ―――『玩具』だと……!?

 ギリッと歯を食いしばる桜薙に、長舩が肩に手を置いて「押さえろ」と耳打ちする。

「――では、始めましょうか。五百から開始します」

 女が台座の上で打ち鳴らした木槌の音が甲高く響く。

 同時に、壇上の隅に設置された電光掲示板に『500』の文字が浮かび上がる。

 それは見る間に跳ね上がっていく。

 ―――狂ってる。

 そう思いながらも、桜薙は数字が上がるたびにそれ以上の数字を入力していく。

 500、550、600、650――。

 思ったよりもペースが速い。

 これは今、壇上で車椅子に座る男の『値段』だ。

 女の言葉どおり、これはオークション。

 商品は『帳学』――桜薙がよく知る男だ。

 会場の客たちは落札に向けて、桜薙が持つものと同じ端末を手に数字を入力している。

 いずれも性奴隷を買うために――。

 ―――こんなことが許されてたまるか……!!

 さらに跳ね上がる金額にもかまわず、桜薙は数字を入力し続ける。

 やがて――。

「――本日の最高額が出ました……!」

 誇らしげに声を張る女が、電光掲示板を見て眼を細める。

「……ロット・ナンバー1118、『帳学』、落札! 最高の逸品を手にした今宵最も幸運なお方は――」

 続く女の言葉を聞き取った桜薙は、受け入れがたい現実に「そんな」と声を震わせた。

 ―――これは悪夢だ。間違いなく……。

 落ちた照明と同じく、じわりと心の中を侵食していく闇――漆黒のそれがじわじわと広がる先にあるのは『絶望』の2文字だけだ。

 そして考えていた。

 どうしてこうなったのか、 を――。

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