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いつもどこかが、ほころびている。
「ほころび」という言葉が好きだ。
もうずいぶん前だが、デザイナーと組んで作品展をしたことがあった。ちょうどその頃、“表現する”ことへの興味が強くなっていて、仕事としてのコピーライティングではない、自分の感性を表現するコピーを書きためていた。「ほころび」は、その頃から自分の中で引っかかり、今も折に触れて浮かんでくるワード。
「いつもどこかが、ほころびている。」
何でもない日常を切り取った写真に、たしかそんな言葉をのせた記憶がある。
表現には完成形はない。これだ、というものができても、次の瞬間には何か違うんじゃないかと感じる。だからときには全部壊して一からつくり直してみたり、一晩寝かせて違う視点を設けて考え直してみたりする。その繰り返しだ。仕事だと時間やその他の制約の中で、どこかで手を打つことになる。ただ、いつも「ほころび」を感じていることが、次の表現につながるような気がしていた。
ところで最近、またこの「ほころび」という言葉がちょくちょく頭をもたげるようになってきた。表現のためではない、もっと自分の人生そのものに関わる部分で・・。コーチングのせいだ。
「コンフォートゾーンから飛びだそう」。コンフォートゾーンとは、その人にとって不安のない、その名の通り快適な空間。安心で安全で経験値のあるコンフォートゾーンはたしかに居心地が良い。毎日通る道、知り合いばかりの場所、何度もこなしたことのある仕事・・・。でも、どんなことにも「初めて」はあったはずで、最初から快適だったわけではない。積極的に“初めてを選択”したわけではなかったかもしれないが、選択したことで、コンフォートゾーンを広げていったわけだ。コンフォートゾーンが広がれば、おのずと自分の世界は広がる。人は成長していく過程で、必ずコンフォートゾーンから抜け出すときがあるのだ。
「ほころび」は、コンフォートゾーンから抜け出す前の、心の声だと思う。
もし誰かに「コンフォートゾーンから飛び出そう」と言われても、「だってなんか怖いし」とか、「このままで充分」とか、「どうせできないし」と、思ってしまうかもしれない。誰だって、人に言われて「それならやってみます!」なんて簡単にできるものではない。でも、もし自分の中に小さな「ほころび」を見つけたら、きっとそれを放っておくことはできなくなる。「今のままじゃなんか嫌だな」「物足りないな」「やりたかったことが他にある気がする」・・・わかりやすい大きな不満ではなく、なにかをどうにかしたいような、小さな歯がゆさがそこにはある。小さいからって、見て見ぬふりは難しい。
自分の中に芽生えた「ほころび」の正体から目をそらさない。そんな生き方を、自分も、自分と関わる人たちもできればいいと思う。