1年を前に。
もうすぐ、ピカが空に旅立ってから1年が経つ。
少し前に、ピカの荼毘を行った動物霊園からお手紙が来ていて、一周忌の法要の案内と振込用紙が入っていた。どうしようかな、と思ったもののすぐには決められず、でも手紙は捨てずにいた。
1年のメモリアルに何かしたいとは思っていたものの、結局お参りするお墓があるわけでもないし、自分では何かすることを思いつかなかったので、先週末、やっぱり法要をお願いしようと決めた。今日郵便局に行って振込をして、今日中の締め切りになんとか間に合った。
この霊園も、母体になっているお寺も、わたしは個人的に印象が良くて気に入っているし、何もしないのはわたしが納得しないので、これで良かったと思う。
もうすぐ1年。気持ちにも変化は出てきた。
毎朝目が覚めて絶望することも、いつしかなくなっていた。
そして、引越しを決めた。いま住んでいる部屋が8月末で更新だったので、年末くらいから早くも「来年更新だな…どうしようかな」と頭の隅にずっとあって、迷いに迷った末、引っ越すことにした。引越しの一番の理由は、リモートワークになったこと。もともと、会社からいかにストレス軽減通勤するかのアクセス優先で選んだ部屋。でも家で仕事をするようになって、会社から離れても、いまよりちょっとだけ広い部屋がいいなと思った。
都心のいまの部屋の家賃は決して安いとは言えないけどマンション設備も立地もすごく気に入っていたし、何よりピカと暮らしたこの部屋にまだ住んでいたい気持ちもあって、引越し自体どうするかとても迷ったのだけど。前回みたいに真夏の引越しは暑くて大変だから、引越すなら春のうちがいいんじゃない?と母や姉にも言われたけど、でも一周忌までは、ピカと暮らしたこの部屋にいたいと思った。契約満了の日ぎりぎりまで借りることにしたので、前回の引越し同様、真夏の引越し。業者さんすみません。
引越しを決心してからは、この部屋に住むのもあとちょっとだなと噛み締めながら過ごしている。ピカがよくいた場所や、流れる水を見ていたキッチンの流しや洗面台、大好きだった日向ぼっこのベランダ。他にもたくさん。
いま見える世界にわたしの記憶のピカが重なって、毎日、ピカを感じてる。以前は感じていた寝起きの喪失感みたいに、この感覚もまたいつかなくなってしまうのかなと思うと、ちょっとこわいし、哀しい。でもわたしはこの先一生ここに住み続けるわけじゃない。時間が経つほど、余計に離れ難くなるかもしれない。だから、引越しをしたいという気持ちになった今、動いておくべきなんだと思う。
一周忌法要のご案内には、合祀埋葬の案内もあった。合祀埋葬のお骨は、数年間霊園内で供養された後、北海道の牧草地に撒かれるという。自然に還してあげましょうとも書かれていた。わたしはピカのお骨をいま手元に置いている。でも、ピカのためには、このお骨もいつか埋葬したほうがいいのだろうか。一周忌を機にというのもありなのかもしれない。どこかに埋葬をお願いするとしたら、わたしはここを選ぶとは思う。
どうするのがベストなんだろうと思って、ネットで検索した。
結論としては、ペットの場合、手元供養も埋葬するも自由とのことだった。ただ、「飼い主様の気持ち以上に、ペットのことを一番に考えてあげてください」とあって、わたしのしていることはピカのためじゃなく自分のための身勝手なのかとも思った。
でもまた別のところに「お骨には、ペットの魂が宿っているわけではありません。お骨は、その子が生きた証です」という一文を見て、とても腑に落ちた。
そうだよ。ピカの魂はもうすでに自由になってる。空にもいるし、わたしの中にも宿っていて、もうわたしの一部になってる。だから、この先どんなことがあっても、もしお骨が目の前になくなっても、わたしとピカは離れることはない。わたしが、ピカを思う限りは。わたしかなりしつこくて絶対忘れてなんかあげないんだから。ピカ、悪いけどずうっと一緒だよ。
たまに思ってた。もし急に大地震とかきて、ピカのお骨が失われてしまったらどうしよう、って。生きているピカを失って、そして今度はピカの分身のように思っていたお骨まで失うことが怖かったけど、そう思ったら少し心が軽くなった。
でも、やっぱりこのお骨はピカの生きた証だから、わたしが持っているね。
だって、そう思うと、見るだけで誇らしい気持ちになれるから。
ピカはわたしのヒーロー。
今までは、唐草と菊のいかにもな文様の入った骨壷を見るたび、生きていたピカの姿とのあまりの違いに、ああやっぱりお骨なんだよなってどこかちょっと悲しくなっていた。骨壷までピカのように思おうとしていた。でもこれはピカの分身じゃない、ただの生きた証。でも大事な生きた証。そう思ったほうが気が楽だ。
今の毎日のルーティンは、ピカにおはようって言って、窓際のピカのお骨の前にあげてる水とカリカリを毎朝新しいものに取り替えて、カーテンを少し開けて外を見せて、今日は晴れだねとか雨だねとか曇ってるよとか天気の話をすること。部屋には花を切らさずにいつも飾っておくこと。
これは、引っ越しても変わらないと思うし、ピカの大事さも、ずっと変わらない。
一年前、当時は毎日の変化だし看病に必死すぎて意識しなかったけど、改めて俯瞰的に見るここ最近の”一年前の今日” は急激に容態が変化していて、毎日鼻水をかむほど泣いている。人にピカの話を人にするときには泣かなくなったけど、一人でピカの写真や動画見てると勝手に泣いてる。
そのうち、泣かなくなるのかな。しばらく鼻が詰まって不便だし目が腫れるの面倒だし、これだけは、変わらずじゃなく、変わってくれていいのだけど。
これもずっと、変わらなかったりして。(ええ〜)
まあ、どっちでもいいや。
今日もピカのことが大好きです。