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親の介護は突然やってくる。さまざまな気づきを経ていま肝に銘じていること

本メディアの運営母体である基弘会法人本部で事務局長を務めさせていただいております水野と申します。

親の介護は、家族や個人にとって身近で深刻な課題です。
親の介護と言ってもさまざまな形で介護に関与しておられる方が多いと思います。
高齢の親を自宅で介護することを選択している方もいらっしゃれば、介護施設に入所させることを選択されている方や、様々な制度を利用して介護をされている方も多いと思います。
今回は、私の親の介護を通して、自身の変化について書かせていただきます。
最後までお読みいただけると嬉しいです。


介護が必要となったきっかけは突然に

私の実家は現住所と同じ市内で、車で10分ほどの距離にあります。
その実家で母親が一人暮らしをしています。現在母親は89歳で、私が63歳です。
父は22年ほど前に亡くなりましたが、その後も母はその実家に一人で住み続けております。同居については考えずに、それぞれのライフサイクルを充実させる為に、週に1回程度出勤前に実家を訪れて様子を見るか、電話で安否確認をする程度のつかず離れずのスタンスを保ちつつ、過ごしてきました。
今から約4年前の令和2年8月頃に、母親の体調が悪く不調を訴える回数が増えてきました。夏バテか?まずは、体調の回復と気分転換を目的に、ショートステイの利用を勧めてみましたが、頑固な母親は、施設や病院に行くことを拒否し、「大丈夫」と抵抗しました。
クーラーの修理などを名目にして強引にすすめてみましたが、なかなかうまくいきませんでした。しかし、ご近所の方が親切に家に出入りをして施設入所をすすめてくれた甲斐もあり、何とか母親に入所に対して同意をしてもらう事ができました…。
だからといって、どこに入所すればいいかわからない!
市役所を通じて包括支援センターから情報は頂けますが、とりあえずネットを駆使して探してみました。
すると以前にわが息子、娘らが学童時代に長期にわたり中耳炎でお世話になった耳鼻咽喉科が開設しているショートステイの事業所を見つけました。
食事も豪華だと口コミもあり、そもそもその医師がとっても親切で優しかったという我が家の評判も重なり、即決して包括支援センターのケアマネジャーに連絡を入れてみました。
後日、ケアマネジャーと施設相談員が家に来て、さまざまな聞き取りを行い、月末から月初迄の約1週間連続滞在プランを立てていただき、施設側も快く承諾してくれ、安心しました。
入所手続きを済ませ、いざ入所。
手荷物を持って玄関口で見送った後、しばらくは落ち着かない日々が過ぎましたが、いよいよ退所日となったその朝6時頃に携帯が鳴り、誰からか?この時間に職場からかと考えながら出てみるとショートステイでお世話になっている施設の相談員からでした。
どうされましたかと問うと
「実はお母さまがお部屋で退所の支度をされている最中に転倒し、立ち上がれない状況だ」とのこと。
今から救急車を手配したいと考えているが、よろしいでしょうかと聞かれました。
まさかの骨折か?心の中で思いながらもすぐに救急車を呼んでくれるようにお願いしますと伝え、病院が決まり次第連絡しますと言われ電話を待つこととしました。
連絡をくれた相談員は施設の近くにお住まいのようで、勤務時間外であるにも関わらず、わざわざ施設に駆けつけて連絡をしてくださったようです。
しばらくして地元の救急病院への搬送が決まり、私も駆けつけ、救急車に同乗していただいた相談員にお礼を申し上げました。
その後、医師からのムンテラ(医師から現在の病状や今後の治療方針などを説明すること)で大腿骨頸部骨折により手術が必要との旨をうかがい、承諾書に記入することで即日手術の運びとなりました。
 

医療機関への先入観

私自身が約30年間医療機関に勤務していた経験から、治療経過が順調に進めば早期に退院できるだろうと思っていました。
また治療方針的には急性期から回復期リハビリテーション病棟に移り、さらに老健にでも入所して元気になって家に戻ればいいかなと、本人の意思や希望を聞かずに他人ごとのように淡々とプランを立てたものです。今振り返れば、単に自分自身への安心感を得ていたのかもしれません。
いったん入院が決まったため、取り急ぎ転倒した施設に荷物を引き取りに行くことにしました。施設に到着し荷物の引き渡しを受けましたが、何やら持って行った荷物より多いような、なおかつ明らかに重たいような感じがしています。そのことが気になり、施設側からお見舞いの言葉をいただいても話が頭に入ってきません。
とにかくまずは実家に持ち帰り、荷物の整理を行い、病院へ持参する物の手配を急ぐことにしました。引き取った荷物の中を確認するとなんと小さな毛布が出てきたのです! なんじゃこれは!この夏の季節に毛布なんか…?
「これはうちのじゃない」と、急いで施設を訪れて確認を促すと、「これは施設のものではありません」と。「いやうちのでもないですよ」と、軽い小競り合いがはじまりました。
しかし普段あまり実家の寝具の詳細など知らない為「私の勘違いかもしれない」と思い、持ち帰る事にしました。
後日母親に確認したところ、「それは知らない」との返事でした。「やっぱり違うんかい」と、今更腹を立てても仕方ないと思いましたが、手荷物の確認が曖昧だったと思いながらもお世話になった施設への感謝の気持ちを優先して、こちらで処分しておくことにしました。
術後の入院生活が2週間ほど経過してそろそろ回復期リハビリテーション病棟を探し出して私の立てた治療プランに乗せようと思っていました。
転院の相談を双方の病院に伝え、退院・入院調整を行い、調整はスムーズに進みました。元医療従事者として親孝行が出来たとこれまた自己満足に陥る私でありました。
しかし、いざ転院日となり車に乗せるや否や、感謝されると思いきや、いきなりの罵倒でした。母は「家に帰りたい」と訴え、しばらくは説得していましたが、半強制的に回復期リハビリテーション病院へ連行しました。その後味の悪さは、いまだに明確に覚えています。
本人の身体機能の回復を願って押し通したのですが、介護老人保健施設への直行ルートは断念することにしました。
その後、回復期リハビリテーション病棟での治療は終了。退院して自宅に帰るために母の自己アピールも激しく、踊り出すのではないかと思うほど歩行スピードも速くなりました。
退院カンファレンスも盛大に行われ、医師、看護師、医療相談員、在宅担当理学療法士、在宅担当訪問介護士、ケアマネジャー、福祉用具レンタル業者など15名近くのメンバーで母親のことについて情報共有や意見交換をしていただきました。
元関係者としては、これは最善の治療方針の決定カンファレンスではなく、単なる担当範囲を確認するだけの儀式で、みんな出席依頼を受けて渋々の出席なんだろうとのネガティブ先入観がありました。しかし、患者家族としては感謝の気持でいっぱいでした。
さあ念願の自宅での生活。母はしばらくは自宅生活を楽しんでいましたが、季節の変わり目には高齢者はどうしても体調を壊しやすいようです。配食サービスの担当者からは頻繁に「ご様子が苦しそうですが大丈夫ですか?」との連絡が入り、そのたびに仕事帰りに実家に寄って体調確認をする日々が続きました。
コロナシフトで病院受診すら困難であったのですが、何とか病院への受診を果たしました。診察結果は誤嚥性肺炎との診断にて入院が必要となりました。入院中も吐血などで慌ただしかったのですが、その後経過は良好となり、系列の老健に入所することとなり、しばらくの間は預かってもらうことにしました。
 

在宅介護の日々で新たな気付き

老健に入所してから半年がたち、本人からの「家に帰りたい」との要望が絶えず来るようになりました。こちらも何となく「もう少し待って」と時間を稼ごうとしましたが、いつまでもそうする訳にもいきません。そして退所に向けての準備を実際に始めるべく覚悟を決めて住宅改修を行い、老健の相談員と打ち合わせに入りました。
退所当日、家まで送っていただけるとのことだったので、家で今後お世話になるケアマネジャーと一緒に待機していたところ、何をどう間違ったのか母親を私の現住所の家に送り、チャイムを鳴らすも家から返答がない事態に。その為、私の携帯に相談員から「家に着きましたので出てきてください」との連絡が入りました。
「いやいや実家の方ですよ」と、やり取りしたあと、挙句の果てに相談員から「独居にさせるつもりですか」との一言。
私自身、怒りへの導火線があまり長くはない方ですが、このときは新ケアマネジャーと同席でもあったので、その場は何とか耐えました。
しかし、後々考えてみると、この言葉は私には怒りにつながった一方で、親を独居にさせるが、必ず幸せにするかという覚悟を決めるきっかけになった言葉かもしれません。
 
当時の身体状態は要介護度4、膀胱留置カテーテル設置、移動は車いすといった状態でした。そのため出勤前に実家に寄り、朝食配膳・昼食準備・服薬提供、尿量チェック、ゴミ処理、滞在時間1時間弱。
その後、昼と夕方の1日2回訪問ヘルパーに来て頂き、配膳、排泄チェック、週2回の訪問リハビリテーション、隔週1日訪問看護、月1回の往診など フル装備で臨みました。
その後泌尿器科医から留置カテーテルを除去して様子をみてみようと提案を受けたものの、約1年間留置していたので、不安ではありましたが膀胱留置部分の痛みもあって除去して頂きました。
その後も尿閉もなく経過良好でしたので、しばらくして訪問看護や訪問リハビリテーションも終了となり、デイサービスに通えるようにまで回復いたしました。
その後も実家に通う日々が続いていますが、安定している日の方が少なく、体力的・精神的な低下、回復の繰り返しが続いており、私が発する言葉も次第に感情的に声が大きく、高圧的になることがありました。
母親からは早朝でもあり、ご近所迷惑やから止めてくれと口論に発展してしまい、そのまま出勤する日々となりました。しかしこの出勤時間がインターバルになって、冷静になれます。このことが細く長く介護できている秘訣かもしれないと考えるようになりました。
最近では、本人の好きなようにさせて容認する方が、介護者としては楽なのかなと思うようになってきました。
 

親の介護を通して気付いたことは

①    過介護になってはならない。
②    介護する側が強制力を持ってはいけない。 
③    相手がしたいことを容認する。 
④    汚物を隠そうとする。 
⑤    いつもと違うことをしがちである。
これらについて肝に銘じ、自己感情のコントロールに努めております。
今後の長期的な介護におけるさまざまな不安もありますが、ケセラセラとのんきに構えていきたいと考えています。

末筆ながら、私自身、勤務先の皆様には平素より親の介護のために勤務制限など寛大な理解や配慮をいただいています。また住宅改修で大変お世話になった株式会社FAN-CTION様に、この場をお借りして深く感謝申し上げます。


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