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オンラインコミュニケーションは幕の内弁当のエビ天にすぎない。面倒くささを越えてはじめて築ける“信頼”について考える

こんにちは。基弘会編集部のikekayoです。「新しい日常」を、みなさんいかがお過ごしでしょうか?
さまざまなルール、マナーが導入されましたね。基本的には、人同士の距離をとるということ。これが、永遠ではないにしてもしばらく続くことを考えると、なんともいえない暗澹たる気持ちになります。
その原因の一つは、テレワーク=オンラインのコミュニケーションです。

私は執筆に限らずいろんなお仕事や取り組みを、日本各地のいろんな方々といっしょに進行しているのですが、よってコロナ禍以前からオンラインコミュニケーションについては比較的慣れている方でした。

初めて使ったのはSkypeだった気がしますが、2000年代後半だった記憶があります。2014年から執筆業を開始しましたが、そのときにはすでに遠隔にいる仲間と打ち合わせや雑談もオンラインで日常的にやっていました。
また、今流行っているオンライン飲み会も、この頃にはすでに私はけっこうやっていたんですよね。当時「オンライン飲みしよ!」って言ったら、中には「なにそれ?(笑)ヤダ!」って笑いながら断る子もいたんですが、その友人からは今になって「オンライン飲みしよ」と逆お誘いを受けたりしています。ちょっと時代を先取った気になって、ほくそ笑んでいますが(笑)。

しかしここへきて、コミュニケーション手段は「オンライン一択」に。フェイス・トゥ・フェイスの打ち合わせや会食、打ち上げや合宿と称したレクリエーションなど、今思えば仲間や友人は言うに及ばず、クライアントさんともいろんなバリエーションのコミュニケーションがあったなと思います。
「オンライン一択」になったことでいまいちど、オンラインコミュニケーションについて考えることがありました。
今回は、それを少しみなさんに共有したいと思います。

やりづらさとやりやすさは何によって変わるのか

今回のコロナ禍によって、否応なしにオンラインで仕事をせねばならなくなった方も多いでしょう。そういった方々は、もちろんツールやサービスについて不慣れな点も多いため、それがストレスになったりやりにくさにつながったりということもあるかもしれません。
しかし、それ自体は単に慣れの問題で、時間が解決するのではないかと思っているので、さほど大きな問題ではないんです。スマホだって、持ったばかりの頃はオタオタしたかもしれませんが、次第に慣れて、自分に必要な機能は網羅し、なくてはならないものになっているのと同じだと思うからです。

問題は、オンラインコミュニケーションに慣れている者同士による行き違いややりにくさです。

お互い、ツール(ZoomだとかGoogleハングアウトだとか、はたまたチャットやメッセンジャーなど)は使い倒しているのに、どうもコミュニケーションがうまくいかないとか、打ち合わせがやりづらいとか、モヤモヤするとか疲れるとか、そういうミーティングってやはりあります。
逆に、とってもスムーズでノンストレスなミーティングもあります。

当たり前ですよね、オンラインとはいえ人間同士の関わりですから、相性もあるでしょう。

また、オンラインの場合は、ビデオ通話なら電波具合に左右されてやりづらいこともあったり、はっきり大きな声で喋らないと伝わらないとか、逆にそこそこの人数なら参加者全員の表情ははっきり見えるので、つまらなそうな顔をしていたらそれがダイレクトに伝わって非常に気まずいとか、そういう特性もあります。
チャットなどのテキストコミュニケーションなら、微細なニュアンスや「なぜそうするのか」など、細かい部分をすっとばしてしまうと結果的にミスコミュニケーションやお互いの関係悪化につながるので、そうならないよう気をつけると結果的に文字量が増え、メッセージ一つ送るのにも非常に骨が折れます。

そう、オンラインコミュニケーションというのは、便利なのは移動しなくていいということだけで、基本的には非常にめんどくさいものなのです。

ゆえに、それ相応のスキルが必要なものだと思うのです。

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とはいえ、私は「だからフェイス・トゥ・フェイス至上主義!」というわけでは全くありません。移動しなくてもいいというのは、それだけで受けられる恩恵に余りあります。遠距離や海外にいる人とのコミュニケーションは言わずもがな、ハンディキャップを持った人にも仕事のチャンスが広がったり、ワークライフバランスをキープしやすいなど、挙げればきりがありません。

だからこそ感じるやりにくさの原因はなんなのかを考えてみました。

そんなとき、こんな記事を見つけました。
「テレワークは信頼貯金すり減らす」コロナで全社在宅のfreeeが取り入れたある方法

なるほど…
freeeがそうしたように、在宅ワークが可能な職種で全社でオンラインに切り替えたという会社の場合、これはとても参考になりそうですよね。

私が一番ぴんときたのは「信頼貯金」という言葉。オンラインコミュニケーションは、それまでの「信頼貯金」を切り崩すのだという考え方です。
これは、かなり自分のなかで納得させられた答えでした。

「信頼貯金」というと少しわかりにくいですが、要は「その人のことをよく知っているかどうか」だと、私は理解しています。

●●さんはこういう性格で、こういうキャラで、こういうときにはこういう言い方をし、こういう行動をとる、という知識が、それまでのある程度のコミュニケーションで積み重なっているかということ。
オンラインコミュニケーションに移行する前に、いかに相手を知っているかということが、オンラインコミュニケーションを楽にする鍵になるのではないかと思ったのです。

なにも相手を熟知していなくてもいいです。ある程度だけでも知っていれば、たまにネガティブな反応があっても、その人の性格や背景を慮れば、そんなにモヤモヤしなくて済むし、納得しながらコミュニケーションできるなと思いました。

モヤモヤするのは、相手の反応がポジティブでもネガティブでも、なぜそうなのか、ということがわからないときだなぁと気づいて、それってつまり、相手をよく知らないってことだ、という答えに着地したのです。
例えば「これはOKでこれはNG」という相手のジャッジに一貫性がないように思えるとき。でもそれは相手に一貫性がないのではなく、自分が相手をよく知らないからなのでは?と考えたんです。
そういった相手って、それまでにフェイス・トゥ・フェイスでのコミュニケーションがすっごく少なかったりするなぁということに気が付きました。

オンラインで信頼関係を築くことはできるのか

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じゃあ、そういう人とはオンラインでお互いを知り合っていかなくてはいけません。少なくとも、これを書いている6月初旬はまだ自由に遠距離移動ができませんから手段はオンラインのみということになります。
オンラインコミュニケーションのみで、信頼関係は作れるのか?

私の考えは、「できるかもしれないけど、工夫と時間が必要な気がする」というものです。
絶対ムリ、とは言いたくないので、少し希望を残してみました(笑)。
ただでさえ、信頼関係を築くことには時間がかかりますし難しいこともあります。また、お互いをよく知り合うことも、数年付き合ったからってもうその人のことをすべてわかったような気になるのはちょっと浅はかだなとも思いますから、それがオンラインだったらなお時間がかかるだろう…という算段です。

というのも、実際に、同じ人を相手にオンラインとフェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションを両方やった場合、得られる情報って、オンラインってフェイス・トゥ・フェイスの1/10だなって感じるからです。

実際に会ってみて感じるその人の雰囲気やスピーカー越しじゃない声はやっぱり違う気がします。もっとわかりやすいところで言うと、以外と(背が)大きいんだ!/小さいんだ!みたいなことすら、オンラインでは伝わりませんからすごく新鮮な情報としてインプットされて、まるでその人に対する印象が上書きされるほどのインパクトかもしれません。

また、オンラインだとやりづらいことの一つが「雑談」ですから、フェイス・トゥ・フェイスだと場合によっては議題よりも雑談のほうが多かったりして、そういうときに垣間見える側面が、ほんとうに得るべき「その人らしさ」なのでは、と感じたりもするのです。

そして、コミュニケーションが濃くなればなるほど、人って相手に寛容になれるものです。テキストメッセージだとキツイ一言が言えても(SNSでの罵詈雑言なんて典型ですね)実際に電話だったら?ましてや対面だったら?面と向かって相手を罵ることはなかなか難しいですよね。

ビデオ通話は顔が見えてるじゃないかと思われるかもしれませんが、やっぱり、声が聞こえる、顔が見えるということ以上に、目の前にその人が「いる」ということのある意味の「圧」は、自分に人としてのフラットな優しさを取り戻させるものがある気がします。

だから、やっぱり大事なときはフェイス・トゥ・フェイスだよなって思っていたんです。
これから先は、オンラインとオフラインを用途ごとに使い分けることが必要になっていくんじゃないか、それが、お互いに限られた時間を大事にしながら人間関係も構築できる最適解な気がする…そんなふうに感じていました。

じゃあその「大事なとき」ってどんなときなんだろう…。
そう考えていたとき、ふたたび、私がなんとなく感じていたことが確信に変わる答えをくれる記事に出会いました。

人間の五感は「オンライン」だけで相手を信頼しないようにできている──霊長類の第一人者・山極京大総長にチームの起源について聞いてみた

霊長類学者によるエビデンスに基づいた記事で、自分の感じていたことは間違ってなかったんだ!と感じさせてくれるものでした。

そして「コミュニケーションがコスト」という一文も、ぐさっとささりながら納得…。やはり、元来コミュニケーションというものは面倒くさいものですが、便利になったがゆえにその面倒くささが際立つようになったとはなんともいえない皮肉です。

しかしながら、どれだけの人と身体感覚を共有してきたか?と考えたとき、もしかしたら私が思っている「コミュニケーション」というのは、多くの場合本来の意味でのコミュニケーションではないのかもしれないとも思わされます。
より一層、安易に「あの人はこういう人」だなんてジャッジしてはいけないよなって、感じます。

記事中での言葉を借りるなら「脳でつながる装置」ばかりのコミュニケーションで相手を分かったと言うのは、エビ天を食べただけで幕の内弁当の味を評価するようなもの。

だから、いま私たちに必要なのは、人にはもっと甘かったり辛かったり酸っぱかったりするいろんな「具」があるのだと胸に刻みながら、精一杯画面越しに伝達をし合うことなんだろうな、と思っているのです。

まとめます。

当然のことながら、オンラインコミュニケーションは魔法ではないよっていうことですね。
とてもとても便利ですが、あくまで道具にすぎません。

そして、それが可能にするのは「距離を超えること」と、「構築された人間関係を継続させること」。この2つだけだなと感じています。

しかし、人間関係ができてなくっても、多少モヤっとすることがあったとしても、「これは仕事だから」とオンラインだけのミニマムなコミュニケーションで割り切れる関係ならば、基本的には問題ないとも思っています。

ただ、決して「信頼関係を構築するツール」にはなりえないということですね(現時点では)。

もっとも、さらにテクノロジーが進歩すれば、オンラインで身体感覚を共有できるようにもなるのかもしれませんが(個人的にはオンライン飲み会はもう飽きました…)、それはそれで、少し怖いような気も…。

心置きなく身体感覚を共有できる日が、一日も早く来ることを願って。
それまでは、いまいちど自分はエビ天を食べているだけかもしれないと、言い聞かせたいと思うのです。

Text by ikekayo(フリーランス ライター/編集者)

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