わからないまま迷いながら動き続ける
現在人生の岐路に立たされていて、どこへゆくか、何をするか、自分の意識次第でどっちにも転がってゆける状態。壁が立ちはだかってる感じじゃなく分かれ道に立ってる感じ。
そういう意味でいうと自由っちゃあ自由だ。ひとりでいる、仕事もタイミングで辞められる。じゃあ好きなことをやれ。うんやる。
先日蟻鱒鳶ルの岡さんの漫画を単行本で買い直して7年ぶりくらいに読んでまた泣いてしまった。岡さんこそ迷いの超人だし、異常な努力家である。ないものを作る発明家といってもいいかもしれない。実際にお会いしたのは一度だけだけど、その魂の純度に惹かれた。そうか、だからこの人の前にはいい人たちおもしろい人たちが集まってくるのかという実感があった。
生きる力、それは何かを生み出す力。金という対価の為に仕事をする、それもひとつのアイデンティティになる人もいるかもしれない。ただそれとは別の、自分にとって自分たりえる、その人にしかないもの、その人にしか生み出せないものが美しい。それは意識ではなく、その人自身の無意識の中から生まれるもの。それが何かはその当事者にしかわからない。もしかしたら当事者もわからないかもしれない。でもただ、その人なりの道筋、紆余曲折、曲がりくねったうねうね道がその人らしさを作り上げる。そこに目を向けること。そういうのはしっかり時間をつくって、深呼吸する余裕を持てるだけの時間をつくってあげること。そうしないと気付けないことがたくさんある。猛スピードで過ぎゆく生活の中では決して見つけられない。立ち止まるのも勇気だけど、その勇気すら持てないとなにも始まってはいかない。
早川義夫の「天使の遺言」の中の「迷うことが生きることだと恥ずかしそうに書いてある」というフレーズを胸に常にもっている。そうだ、生きることは迷うこと。答えは見つかるというより、ふいに浮かび上がる感じ。それがいつかはわからないけど、それまでとにかく迷い続けて作り続けることだ。