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手段と目的を履き違えてるって、本当は気づいてた

 私が初めていわゆる夜の仕事をしたのは少し昔、劇団員の端くれをしていた頃、新宿のゴールデン街だった。ただのカクテルも作れないバーテンダーだったけれど、夜ごとに女の子で交代して、小さなお店を任されて一人で回していた。それ以前も人生で初めてのバイトからずっと飲食店では働いていたし、外国に住んでいた頃はお店のお客さんから貰えるチップで生活していた時期もあった。
 noteを始めたのは今夏両脚の脂肪吸引をしたからで、既に支出が抑えられなくて支出と収入のバランスがぎりぎりだったのに、その為に更にローンを組んだ。もともとエステや着物のローンもあった。半年前のボーナスで、まだ通い終わっていないパーソナルジムのローンを返却したばかりだった。
 追加でローンを組んだからといって自分の生活水準を決して落としたくなかった私は、再び夜の仕事に戻った。昼職はそのまま、その時期に出ていた求人広告を見て、面接を受けたバーとスナックのどちらにも惹かれて今も続けている。それぞれは週1、2といっても、ほぼ毎晩深夜過ぎまでお酒を飲んで、心と時間に今までより少し余裕がなくなった。お酒は元々得意ではないので、きっと身体にも悪かった。
 お店の勤務は楽しいし、どちらのママも尊敬できる方で、働かせてもらえる事に感謝をしている。今は一見さんでも入りやすくなり、観光客も増えていた数年前のゴールデン街では既に決して出会うことのできなかったお客様の層に出会っていて、飲んだことのないお酒も飲んだ。世界は明らかにして広がった。正直マンネリ化していた本職も、程よい刺激を受けて以前よりやる気もメリハリもできた。パソコンの前での作業と、家族や友人との関係しかなかった毎日から、人に見られる為の顔を作るようになった。髪や化粧や身につけるものに気をつけるようになれば、程度の差こそあれ、明らかに以前よりかは表情や雰囲気が垢抜ける。そして当初の目的である給与に関しても、直ぐに使ってしまうからあまり分からないけれど、クレジットカードやローン、光熱費や家賃などの支払いでどうしようかと悩むことは減ったのかもしれなかった。
 ただ、上記は全て自分の時間と体力を犠牲にした結果に得られる産物だった。人との付き合いを減らしたくないから、予定がない夜はなくなった。有給を取らない限り、完全に24時間休みの日もなくなった。休みを取るのは遊びの予定をいれたいからで、何も諦めたくない私は、興味のある予定は詰めるだけ詰めている。体力なんか二の次である。そんな時は大抵頭はハイになっていて、タイトなスケジュールをこなすことも、その場その場を楽しむこともできるのである。逆に、仕事終わりにぽっかり夜の予定が空いてしまうと、寝ること以外に何もできない。ベッドでごろごろして、SNSばかり見て、余計に精神力を消耗するので嫌な感じに疲れ果てて、そのまま寝てしまうだけである。
 しかし、私は書くための時間も作れていないことに気がついている。今は夜中を過ぎてむしろ朝方だが、仕事終わりで書きたい気分になったからMacBookを開いたのだ。書き出したら、書く。その為の刺激を与えてくれた仕事や出会いには大事だけれども、そんな時、自分のことはこうして書けるけれども、小説を書けるような心構えや時間が体力があるかといえば、ない。夢を語るのならば、私は本来その為に時間を作らなければならないのだ。私がなりたいのは、会社員でも、バーやスナックのママでもなくて、物書きや役者であって、個人の能力で食っていける、唯一無二の存在である。そして好きな時に自由に旅ができる、経済的自由と、精神的自由と、時間的な自由が欲しいのである。会社でボランティアに参加したことがきっかけで、ユニセフの月額サポートを始めたが、お金持ちになってチャリティにじゃんじゃんお金を使いたいものである。子供たちと抑圧されている女性の権利と、殺される犬猫を救いたい。

 これは先ほどのお客様に言われてじわじわ響いていることなのだが、週の半分夜で働いてお酒を飲むことで得られる収入なんて、たったの月に10万以下である。その収入が今の私には有難いことは間違いないのだけれど、12ヶ月で数えたらたったの120万、今から真剣に転職活動をしたり、社内での成績を上げるか、別の部署を受けたり出世を目指した方が、簡単に上がりそうな金額ではある。しかもその数字は、今のように時間や体力を犠牲にしたものではなく、殆どの場合、今の本職と同じ労働時間で得られるであろうものである。私はお店で、今まで出会ったことのない人たちに出会えるといっているが、お客様が言うには、彼らが飲み屋の姉ちゃんに話すことなんてたかが知れている。数年本職で頑張れば、今こうして夜に平気で私にとっては大金を使う人たちと、もっと仕事の話や商談を深く責任のあるレベルで行うことができるかもしれないのに、そちらに真剣に向き合っていないのが勿体無い。
 その人は私が英語を話せることを知っていて、それを評価してくれているようだったので自然に仕事の話になったのだった。それで私も思ったのだ。実は私自身も、最近考え出していた。夜働いてるということは、短期的にはいいかもしれないが、長期的には目的と手段を履き違えている。働いていたスナックで、それに向き合わされる会話が生まれてしまったのであって、私は実はその会話に脳内も心も動かさているのを認めざるを得ず、家に着いて眠るのをやめて、MacBookを開いてこれを書いている。本職だって、同年代の日本の平均収入と比べたら多少は貰っているかもしれないが、外資系勤務の収入で比べてみれば恐らく底辺であろう。世界で見ればカスッカスである。悲しいほどの円安である。今の会社と部署が居心地が良いからといって、ぬるま湯に浸り続けていたから仕事自体、しゃっきりとしていなかったのではないか。夜を始めて生活に刺激を与えなくても、モチベーションが上がるような挑戦をすればいいのに、それをしていなかっただけなのだ。
 自分が不器用で、物事に実際に取り組んで向き合わなければ学ばないのは重々承知しているので、今の決断と生活スタイルが寄り道であるとか、無駄であるとか言うつもりはない。現に求めていた刺激と生活費の足しは手に入っているし、毎夜沢山の新しい発見があり、行動したことでこうして真夜中にこんなことを書きたくなるほど心を動かされているので、今までの人生がそうだったように、1ミリも後悔はない。それでも今夜考えたのは、情や習慣に流されないで、自分が最終的に何が欲しいのかを考え直すことをしなければ、きっと私は永遠に、自分が本来望んでいる姿にはなれないということである。

 上記、文章の締めとしてはとても気に入ってはいるのだけれど、否定系で終わるのはあまり心に正しくないような気がするので、最後にまた繰り返してみる。私がなりたいのは、会社員でも、バーやスナックのママでもなくて、物書きや役者であって、個人の能力で食っていける、唯一無二の存在である。そして好きな時に自由に旅ができる、経済的自由と、精神的自由と、時間的な自由を手にし、チャリティに自分のお金と時間を注ぐことができる余裕のある人物なのである。

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