【その2】僕の地震との関わりについて
その1を書いてからだいぶ時間が経ちましたが、続きを書いてみます。
緊急地震速報サービスも正式リリースされた後の2011年3月11日、誰もが記憶に新しい東日本大震災が起こりました。
僕は友人と海外旅行中だったため、本震の揺れを体感することがありませんでしたが、旅行中という、ある種の情報弱者のような状態ならではの体験ができたので、それを記録しておこうと思います。
その前に、IT事情について少し触れる必要があります。
2011年ごろはちょうどスマートフォンへの移行期で、スマホ持ってる人はよかったですが、僕はガラケーでした。また、海外ローミングも今ほど当たり前には付帯するサービスではありませんでした。
3月11日、AM8:00(発災1時間後)
オランダの時刻で朝8時(日本は午後4時)、CNNニュースを見て発災を知りました。最初に見たのはお台場と市原の製油所での火災の映像でした。
なので、咄嗟に、首都直下が起きたのだと思いました。ところがCNNのニュースを見ていると状況がよく分からなくなりました。
以下が実際のCNNの放映シーンです。
黒い物体が猛進している。。。そして、それは仙台のあたりだという。
正直、何が何だかわからず、それくらいの感想を持つことしかできませんでした。
この日、膨大に増えた荷物を国際郵便で送る必要があり、且つ午後便で友人と別れバルセロナへ飛ぶ予定が既にあったので、ニュースはここまでで打ち切り、ホテルを後にしました。
3月11日、PM2:00(発災7時間後)
次に見たのはスキポール空港で観たニュースの映像です。
宮古。ようやく、事の全容が分かってきた。宮城県沖で巨大地震が起こり、津波が押し寄せている、ということが。
映像を観ながら自然と恐怖に体が震えているのを感じました。
この日の朝、CNNを観た時と明らかに違うのは、ひとりだということ。ひとり海外の知らない場所にいて自分の国が非常事態に晒されていて、無力に映像を観させられていることは恐怖でしかなかったのです。
気分転換に屋上へ行き、出発まで飛行機でも眺めて気を紛らわすことに。
その時の屋上からの眺めです。とても平和な光景に感じました。
飛行機の中で再び不安が襲い掛かりました。
オランダのポルダー(干拓地)を見ながら、もしここで津波が起きたら悲惨なことになるだろうなとか、ついつい考えてしまいます。
・・・バルセロナへの着陸態勢に入る頃のこと。
気流の乱れで機体が揺れると、俄かに機内が騒がしくなりました。
「emergency!!」「emergency!!」
叫ぶ人がいる。CAではなく乗客でした。それに乗じてざわざわする周辺の客。
そのざわつきのまま、landing・・・。
すると、乗客全体から拍手!!
スペイン語なのでよくわからなかったが、無事の着陸を乗客同士で喜びあっているようでした。
一人、日本の地震のことで不安に駆られている僕を後目に、なんと陽気な人種たちなんだろう、と思いました。彼らなら地震でも台風でも明るく切り抜けられるだろう。ラテン系のエリアに行くのは人生初でしたが、彼らが陽気だというその最たる例を機内で見た気がしました。
それ以降、バルセロナの街に出て以降も、すれ違いザマに、「日本人?地震が心配だね~」とか「家族は無事か?」などと聞いてくるスペイン人が何人かいました。これは陽気というよりは気軽に、ですね。日本人だと相手の気持ちを考えすぎて、逆になんと声をかけてよいかマゴマゴする場面ですよね。
いちいち会話にはならずとも、声かけられるだけで一人じゃない感じがして少し気持ちが落ち着いた記憶があります。
今日はここまでです。
次回、帰国に向けた話をその3で書くことにします。
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