私が地域を大好きになった理由。
【関係人口コラム vol.1】
関係人口コラム。きっかけ食堂に関わる東北好きの皆さんに、東北と関わり続ける理由についてお聞きします。
コラムを通じて、多くの人が都市から東北、地域に関わることの「楽しさ」や「関わりしろ」を知るきっかけになれればと思います。是非、ご覧ください。
関係人口とは?
「関係人口」とは、移住した「定住人口」でもなく、観光に来た「交流人口」でもない、地域や地域の人々と多様に関わる人々をさします。
(総務省関係人口ポータルサイトより引用)
「自己紹介」と「東北に関わったきっかけ」
皆さんこんにちは!
きっかけ食堂東京のメンバーで宮城県塩釜市大好きっ子の安田です!
現在は、大正大学地域創生学科の4年生です!ラスト大学生を様々な地域訪れて楽しむはずが、コロナ期間で動けずストレスがたまる日々。
とにかく地域が大好きな大学生です。
そんな安田が人生で初めて色濃く東北(地域)に関わったのは大学1年の夏でした。最初に訪れたのは大好きな宮城県塩釜市でなく、南三陸町。
大学のフィールドワークで3泊4日訪れ、震災から7年の月日が経つ東北に足を運びました。
(フィールドワーカーになった原点、南三陸での撮影)
「震災から7年も経てば復興も人々の傷も癒えているだろう」何も知らない私は、勝手にこんな事を思っていました。
だけど、想像とは全く違う現状がそこにはありました。私が思っているよりも南三陸町は更地で、さらに住民に対しての言動にも細心の注意を払う環境が広がっていました。その更地を見てオリンピックで湧いている日本が少しばからしくなったことも思い出せます。
「大学生になる今まで現状を知らなかった私はなんて無力で、無知だったのだろう」と自分自身後悔?というか悲しい気持ちにもなりました。
(初めて訪れた南三陸の景色の1つ)
しかし、そういう面だけでなく、住民の暖かさや海鮮が美味しかったことなど素敵なところもたくさんありました!!
その南三陸での出来事がわたしにとって今でも原点でもあり、大切な経験でもありました。ここから私の東北に関わるストーリーは始まったのかもしれません。。。
第2の故郷 宮城県塩釜市
もちろん南三陸町も大好きなのですが、私の第2の故郷とも言えるのが宮城県の塩釜市です。
関わったきっかけは、大学1年の地域実習で約40日という長い期間塩釜市で過ごしながらフィールドワークを行った事でした。
塩釜市と言っても本土側にいたわけではなく、ほとんど宿泊は塩釜市の浦戸諸島桂島にある「武山荘」で過ごしました。
(「武山荘」の大親友 常務)
最初の印象は、塩釜は「塩竈」とも書くのですが、この「竈」の文字が読めなかったです(笑)それに浦戸諸島には信号もコンビニもないと聞いて、どんな偏狭な地へ飛ばされるんだろうと、とても不安だったのも覚えています。
しかし、実際に訪れてみるとそんな不安がどっかに行ってしまいました。
(宮城県塩釜市浦戸諸島桂島での漁業体験の様子)
なぜかというと、雄大な海や島独特の島時間!美味しすぎる海鮮料理!(3キロ太りました)パワフルで温かく優しい島民のおかあさん・おとうさん!
私の大親友の武山荘の常務(犬)、漁業体験やシーカヤックなど全ての体験が新鮮で楽しかったからです。
(実習最終日、私たちを見送ってくれる島の人々)
現在、地域とどんな関わり方をしているのか?
この経験があったからこそ今でも気軽に島に行くことができます。一番通ってた月では、月に3回も東京から塩釜桂島に訪れていました!
大学の実習メンバーと比べてあまりにも個人で訪れている回数が多いのであまりレア感がなくなっているとは思いますが。笑
(きっかけツアーin塩釜の様子)
通い続けてるからこそ顔を覚えてもらってたり、信頼関係が生まれているのを実感できています。
個人的に行くこともしばしばあるのですが、主に引き続き大学のフィールドワークで訪れることもあります。
その他に、きっかけ食堂にて昨年の12月に塩釜市をテーマとした食堂を開いたこと、同じ月に塩釜市へのきっかけツアーも実施しました。
(きっかけ食堂で出した塩釜の牡蠣のホワイトソース)
個人としては塩釜をいつも全力で楽しんで、活動としては少しでも塩釜市や浦戸諸島の魅力を一人でも多くの人に伝え知って欲しいなと思います!
今年の冬にはまた浦戸諸島自慢のカキを仕入れてきっかけ食堂のお客さんに食べてもらいたい。そして、多くの方から今年も「美味しい!」「行ってみたい!」の声が聞きたくて、食堂を開催することが待ち遠しくなっています。
なぜ、塩釜と関わり続けるのか?
「なぜ塩釜と関わり続けるのか?」と聞かれたら簡単な答えがすぐに出ます。
「塩釜が心の底から好きだから」です。
答えになっているか分かりませんが、この答え以外見つけられませんでした(笑)自分は好きなことはとことんはまって貫き通すタイプです。
塩釜が好きと言う気持ちは心の底から思ってるし揺らぐ事はありません。
これは他の地域にも言えることなので訪れて関わる度に好きな地域が年々増えています(笑)
(桂島から塩釜本土へ戻る船)
だけど40日も過ごした塩釜市は別格です。
自分の一部であり、なんだかすぐに帰りたい場所になっています。
塩釜での経験が現在の興味分野でもある、少しでも多くの方に地域の美味しい食材や食べ物を知って欲しいと思うようになったし、第一次産業や生産者さんにも目を向けて真剣に考えられるようにもなりました。
このような自分自身の成長や考え方も塩釜から得たことだと思います。
それに加え、塩釜を通して地域が好きだとより一層思うようになったことも大きな変化です。
「関係人口」として、今後、地域との付き合い方
残りの大学生活、あと何回塩釜に行けるか分かりません。
今まで通り大学やきっかけ食堂で関わっていくことももちろんですが、今まで以上に楽しく自分らしく塩釜に関われたらいいなと思っています。
それに加え、個人やプライベートの友達とゆっくり過ごしたりしながら関わっていきたいとも思いました。
友達に「自分の大学生生活の一部であった塩釜や浦戸諸島はこんなに凄いんだよ!魅力がたくさんなんだよ!」って紹介して自慢したいです!
今のところ高校時代の友達と自分の卒業旅行が「安田があんだけ行っている塩釜行こうよ」となっているのでチャンス到来です!笑
もちろん、社会人になっても今ほど訪れられるか分かりませんが、仕事の休みを利用して桂島へバカンスに行きたいと思っています。
目標としては、顔を忘れられないでいつでも「おかえり」と島の方々に言ってもらいたいです。
(大好きな浦戸諸島 桂島舞浜ビーチからの風景)
もっともっと歳をとって自分が結婚しても(できるか分からないけど)、中年太りしても、よぼよぼのおじいちゃんになっても島に通い続けていつもと変わらない桂島の心地のいい波の音を聞きに行きたいと思っています。
きっかけ食堂 東京メンバー 安田陸人