リア充どもへ
私は嫉妬の塊だ。
最近気がついた。
先にお伝えしておくが、実にくだらない話なのでこれから読むだけ時間の無駄だ。
マタハラの話も内容はペラペラだったが、それ以上にこれから書くことは薄い。
ペラペラな人間のペラペラな自己分析だ。
自他ともに認める性悪の私だが、周りの人には恵まれて生きてきた。なぜこんな自分と仲良くしてくれるのか、不思議でしょうがない。
この前述の1文で感じ取れる通り、私は大変に卑屈でもある。
普段は発言こそ気をつけてニコニコしているが、他人の行動がすごく気になってしまう。
人がやることなすこと気になるのだ。もう常に心では否定しまくっている。
例えばSNSだ。
やれインスタ映えだ、なんだと写真を撮る。そして皆に公開する。
共通の趣味などがあり、繋がっている友人がいれば共有することは有益なのかもしれない。だから否定はしない。まあ仲間内でやってくれとは思うが。
でも子どもの写真を載せている人は心底理解できない。鍵アカウントにもせず、自分の子どもを不特定多数に公開して、こわくないのか?
それぞれの家庭で話し合って、何歳までならOKとかやってるのだろうか?もしちゃんとルールを定めてリスクを承知でやってるのならば、文句を言ってごめんなさい!!
どれだけの家庭がそこら辺の危機管理をしているのか気になる。
リア充っぷりを載せて、無意識にマウンティングしてるのだろうか?
ポジティブの権化のような人間こそナチュラルにマウンティングしてくるから恐ろしい。それに子どもを利用しているところが更に恐ろしい。
我が子の可愛さの破壊力ったらない!それはわかっている。でもそれでもお風呂や水着の写真なんて載せられた日には、本当に子どもがお気の毒としか言い様がない。アーメン。
しかし他人の子どもがどんな目で見られていようと関係はない。それなのに何故こんなにもモヤモヤするのか…
そこで辿り着いたのが、冒頭でお伝えした嫉妬という感情だ。
私はなにも後先考えずにSNSにあげちゃうノリが羨ましいのだ。
他人にどう思われようが自分の好きなもの、愛するものを皆んなと共有したい!!ラブ&ピース!みたいな。
そんなありのままの気持ちで写真を撮って載せるなんて、自分には出来ない!とゆうか、したくない。
でもなんか羨ましい。
この感情により私はSNSを駆使する者どもにモヤモヤしているのだ。
なんて小さい人間だろう。
嫌なら放っておけばいい。そう思って今までスルーしてきた。
でも今日このことをnoteを利用して書き記してしまった。私の負けだ。
放っておけないということは、リア充たちの思う壺。奴らのポジティブかつピースフルな精神に卑屈な私は負けたのだった。