【ぼっち旅行記】松江城
山陰へのぼっち旅行。
寝不足状態で出雲大社を参拝し、松江行きのローカル電車に乗りました。
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▷松江に到着
松江しんじ湖温泉駅に着きました。
駅からそのまま北へ歩き、松江城に向かいます。
松江城前の広場でイベントが開かれていました。
武将隊って今やどこでも居ますけど、どこが発祥なんでしょう?
松江城の築城主、堀尾吉晴公もいました。
この時は知らなかったのですが、この堀尾吉晴という武将は、実は今住んでいる所のご近所の生まれ。(ここにも山陰との縁が…)
信長、秀吉、家康に仕えた堀尾吉晴。
尼子氏歴代と、毛利一族が治めた山陰の地ですが、関ヶ原の戦い後の毛利一族の改易に伴い堀尾氏の所領となります。
堀尾氏は、難攻不落の月山富田城を居城としますが、既に徳川の治世が始まろうとしている時代。
利便性のよい場所に近世城下町を作るために、松江城の築城に着手したようです。
(堀尾吉晴は完成して間もなく亡くなってしまったそうですが)
▷松江城
他のお城に比べ、コンパクトなサイズ感ですが、引き締まったプロポーションが美しいですよね。
天守私が来訪した現存12天守は、松本城、丸岡城、犬山城、伊予松山城に次いで5城目。(この2年後に宇和島城も訪れています)
石切場で切り出した石材が、どこの大名家のものか示すための刻印。
江戸城(皇居周辺)や名古屋城の石垣でよく見かけるこの刻印。
しっかり松江城でも見られました。
天守内部へ侵入します。急階段を這い上るように最上部へ。
曇天の松江市内が一望できました。宍道湖方面も写真撮ればよかったな。
市街の景色はあまり面白くなかったので、降りて城内をうろうろすることにしました。
天守もいいですが、この虎口が圧巻でした。
導線が直角に2回も折れ曲がっています。
天守を降りた後くらいから、忍者がいたので実は後をつけています。
このあとすぐ見失ったので、おそらく本物の忍者だったのでしょう。
稲荷神社・護国神社のあるエリアを抜けて、お堀の外に出ました。
稲荷神社のことは後ほど記述します。
▷小泉八雲旧邸
あまり気にしていなかったのですが、松江は、小泉八雲ゆかりの地でもあるんですね。
(私が学生時代を過ごした静岡のお隣、焼津もゆかりの地だったような)
小泉八雲 本名 ラフカディオ・ハーンは、ギリシャ生まれの新聞記者・作家。
アメリカ合衆国の出版社の通信員として来日後、英語教師として松江・熊本・神戸・東京と移り住みながら、近代日本の英語教育に尽力。
同時に欧米に日本文化や風習を紹介する著作を多く遺した人物です。
え?「耳なし芳一」や「雪女」の作者なんですか??
写真を撮ってませんが、邸宅の中もしっかり見学しました。
▷城山稲荷神社
訪れた順序が前後しますが、小泉八雲の愛した城山稲荷神社。
大きい狐、小さい狐、苔むした狐、風化した狐…無数の狐に囲まれて、少し脚がすくむ。
こういう所って視線を感じて怖いんですよね。
小泉八雲の物語のインスピレーションの源と言われても納得ですね。
バチが当たりそうなので、あまり写真は撮れませんでした。
▷武家屋敷の通り
こういうところって大体無電柱化が進んでますよね。
▷松江駅方面へ
松江駅まで、夕飯が食べれそうな場所を探しながら向かいます。
少しずつ日が宍道湖へ沈みはじめました。
はじめ人間ギャートルズの像を見つけました。
作者の園山俊二さんが、松江の出身なんですね。
小さいころアニメの再放送をよく見ていたのですが、「死神」が怖くて泣いていたことを思い出しました。
(怖くないですかあれ)
結局、夕飯を探していたら松江駅に着いてしまいました。
ぼっち旅行客が入れそうな飲食店は、牛丼かラーメンくらいのものなので、
駅構内のラーメン屋で済ますことにしました。
電車の待ち時間も兼ねられるし、よしとしますか。
ラーメンを食べ終わったので、電車に乗り込みます。
今日の宿泊地、米子市にたどり着きました。
行きに夜行バスで通りかかりましたが、半分寝てて記憶がないので、
鳥取県人生初上陸です。
翌日は、ここ米子駅で知人と待ち合わせ予定なので、待ち合わせ場所を確認してから、宿泊先へと向かいます。
宿泊先は、「ホテルα1米子」ですが、フツーのビジネスホテルで大して
面白くないので、ホテルでの出来事の記載は割愛します。
ビジネスホテルでも、自分の知らない街に泊まるって楽しいですよね。
【ぼっち旅行記 番外編】鳥取史跡巡りドライブ に続く
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