瀬戸内海のうさぎ島「大久野島」
以前書いた島旅の記事が、意外にも多くの方に読んでいただけましたので、私の好きな島の紹介ついでに、訪れた時のことを記事にしたいと思います。
まだ妻が海なし県へ嫁いで来る前のこと、月1で海なし県から遊びに来る私を助手席に乗せた、妻の運転するアイボリー色の軽自動車は、竹原市の忠海港に到着。
▷忠海港
忠海は妻のお婆さまの故郷でもあります。
アヲハタジャムの工場があることでも有名です。
以前妻が竹原市への「ふるさと納税」でアヲハタジャム瓶の詰め合わせを返礼品に選んでいましたが、割とおススメです。
忠海港からフェリーで向かうのは、「大久野島」15分ほどの船旅です。
▷大久野島って?
大久野島は、島全体が環境省所有の国有地で、国立公園に指定されています。周囲4.3kmの小さな島には定住者はおらず、無人島扱いですが、休暇村の従業員の方が居住しているので、あまり無人島感はない。
休暇村は、昔は小中高校の臨海学校でよく使われていたみたいで、私の母も数十年前に来たことがあったようです。臨海学校って言葉自体最近は聞かないですよね。
▷大久野島は「うさぎの島」
大久野島は多数のうさぎが生息していることから「うさぎ島」として呼ばれ、癒しを求めて多くの観光客が訪れています。
桟橋を降りてすぐの所にフェリーの待合所がありますが、さっそくうさぎが落ちています。
行き交う人が多いフェリー桟橋付近は、餌がたくさんもらえるので、肥えたうさぎが多いようです。
うさぎの餌ですが、島内では販売していないため、あらかじめ忠海港のフェリー乗り場で買っておく必要があるので注意しましょう。
人参やキャベツを持ち込んでいる人もいましたが、あまったエサを放置して帰る人もいるようで、カラスやイノシシの害を招き、問題になっているそうです。
うさぎは、周囲4.3kmの島内の基本どこにでもいますが、やはりフェリー乗り場周辺と、休暇村の建物周辺に多いように思えました。
人が多い所のほうが、トンビなどの天敵から身を守りやすいのでしょうか。
うさぎのウンチがたくさん落ちていて、確実に踏むので、あまり奇麗な靴は履いていかないほうがいいです。
▷大久野島は「かつての毒ガスの島」
うさぎの島として有名な大久野島ですが、かつて日本陸軍の毒ガス工場があった「毒ガスの島」「地図から消された島」としての側面もあります。
太平洋戦争で使用する毒ガス製造を秘匿するために地図から消されたと思っている人が多いですが、実際には明治大正期に要塞として機能していた頃から、忠海海峡一帯の地図は塗りつぶされていたようです。
終戦直後、旧日本軍は毒ガス製造の証拠隠滅をするために海洋投棄、GHQも海洋投棄、埋設、焼却などの手段で無毒化を進めたようですが、戦後も自衛隊が防空壕内で毒ガスを発見したり、休暇村工事の際に作業員が毒ガスで被災したりするなど、被害は残り続けました。
毒ガス製造の歴史や被害については、島内の毒ガス資料館で学ぶことができます。
なお、現在もヒ素よる土壌汚染が引き続き懸念されていることから、島では島外から船で運ばれている水を使っているようです。
こちらの大きな建物跡は、休暇村から5分ほど島の外周を歩いた所で見られます。時間の無いかたは、ここだけでも見る価値があるかも。
島の東部は高台になっていて、山の中に遺構が集中しています。
日露戦争が始まる1902年に作られた砲台跡。瀬戸内海への敵艦船侵入を防ぐために作られた芸予要塞の一部です。
島で大繁殖しているウサギは、毒ガス実験で使われたうさぎではなく、戦後に地元の小学校で飼われていたものが野生化し繁殖したものとのこと。
砲台跡から、坂を下りていくとコンクリート造の大きな廃墟が現れます。
毒ガス製造のための電力を島内に供給していた発電所の跡です。
廃墟感が凄まじい…映画の撮影とかできそうですよね。
「陸軍」のすぐそばにもうさぎ。
発電所からトンネルをくぐると、すぐに海と砂浜があります。
このトンネルがまたノスタルジックでよい。
砂浜に出て、しばらく歩くとフェリー乗り場まで一周して戻ってこれました。島内一周で約1時間ほどでしょうか。
夕方になると、日が和らぐからでしょうか、日陰でぐうたらしていたウサギも行動的になるようです。フェリーの最終便は19時台なので、夕方や夜に活発なウサギと遊べるのは、休暇村に泊まるお客さんだけの特権のようです。
まだうさぎと触れ合っていたい気持ちを抑えて、帰りのフェリーの時間があるので忠海港までフェリーで帰ります。
そういえば、今年は兎年。
うさぎが好きな方、廃墟巡りが好きな方、島旅が好きな方、今年の晩夏、秋季の旅行に「大久野島」いかかでしょうか?
おまけ
休暇村のレストランで昼食をとりました。美味しかったです。
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