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【散歩写真】国分寺~少年時代の先生を探して~

こんにちは。新井啓明です。

世間はコロナで外出自粛と叫ばれていますが、人たるもの外の世界に関心を持たずにはいられません。というわけで僕も家にいながら世界を広げられるお手伝いをしようと思います。これから不定期に過去に執筆した雑誌コラムから選出した記事を、おしゃれインスタに投稿できそうな写真とともに抜粋します\(^o^)/

今日は、ちょっとディープな崖線スポット 国分寺の湧き水がつくった「真姿の池・お鷹の道」です。

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学生時代の先生のふとした発言は意外と覚えている。「いいなあ、みんなはこれからまだ中学生か」とうらやんだ小学校の新卒女性教諭。「ダイヤグラムが書けないと社会に出て相手にされねえからなあ」とぼそっと授業中つぶやいた数学の先生。そして高校生のとき現代文で向田邦子の随筆を読ませた定年間近の老先生も印象的だった。随筆に登場する厳格な父親に「私の父もこんな感じだった…」と、先生が遠い目をされたのをはっきりと覚えている。無骨さがにじむ近寄りがたい先生。そのあと、先生の子ども時代に話が及ぶと、そこに登場したのが国分寺の「お鷹」と「真姿」というワードだったのだ。この「おたか」と「ますがた」の響きだけが妙に心に残っており、今回コラムをやるにあたって検索をかけてみると見事「お鷹の道」「真姿の池」がヒット。休暇を利用して足を運んだ次第というわけだ。

昼の国分寺駅に降り立つとビジネスマンに主婦、シルバー層に学生と人が想像以上に多いことに気づく。それもそのはず、現在、国分寺は再開発の途上で北口エリアには高層マンションが建ち、駅前ではロータリーの整備が進められて人口が増加しつつあるのだ。おしゃれな建物が人を呼び、住みやすい環境整備の循環は、サブカル色が濃い街並みを変貌させつつあるようだ。

南口を出てすぐ右にしばらく歩くと傾斜の強い坂道がある。車の往来が激しいわりに歩道が狭い典型的な地方都市の公道だ。「もっと通りやすい道があったのでは…」地図アプリの指示通りに動いたまさに”AIの奴隷”と化した僕は、”彼”の言うことに従うしかない。白い排気ガスにまみれながら、下りと上りを繰り返したその先にある公園が都立武蔵国分寺公園。公園の敷地はかなり広大で子ども達の黄色い声が公園中を埋め尽くしていたのが唯一の幸いだった。もともとは旧国鉄の教育施設であった中央鉄道学園の跡地を利用した公園で、今では蒸気機関車のシンボルである動輪の記念碑だけが面影を残している。その後、公園に整備され桜の季節には花見客でにぎわう住民の憩いの場となったのだ。ここで学んだ旧国鉄職員の知見が現在のJRに引き継がれているのかと思うと感慨深い。

さらに南に下ると70以上の樹種で囲まれた林がある。遠くで元気に吹き出す噴水と鳥のさえずりのデュエットを耳に入れながら排気ガスで汚れた肺の中をきれいに洗い出した。

途中、中学生らしきカップルとすれ違った。ん?…いや、それだけなのだが彼氏の男の子が僕をやたら凝視している。古来、雄は外敵にこそ注意し伴侶と餌を守る習性を持ち合わせていると聞くが…ぐぬぬぬ。べ、別に羨ましいとかではない!彼は悠久のDNAを健全に引き継いでいるのであろう。などと無理やり納得し歩を進めた。よく見れば遠くに学校らしき施設がある。近くにこんな絶好のデートスポット公園など儲けたらリア充どもが大量増殖するに決まっているのがわからんかね、お役所どもが!

そんなかんだ歩いたその先に横一直線にフェンスがある。崖のようだ。それもなかなかに深い。崖を横目に階段を下ると、先生の言っていた(と思われる)「真姿の池」が姿を現した。急差のある深い森の崖のふもとに立つ真っ赤な鳥居。その奥にある社と不思議なパワーを感じる静かな池。間違いない、ここだ。だってがっつり「真姿の池」って書いてあるんだもん。

この「真姿の池」は地元ではちょっとしたパワースポットらしい。なんでも平安時代、病を患った玉造小町がこの池の湧き水で身を清めると、もとの美しい姿に戻ったという伝説があるそうだ。真偽は別にして静寂を保つこの土地の雰囲気が気持ちを優しくしてくれることは確かである。さらにこの趣きある通りは、ドラマの撮影にも利用されている。ドラマをこよなく愛するこの僕も当然承知している。昨年夏に放送された岡田惠和氏が脚本担当した「セミオトコ」だ。ジャニーズの山田涼介くんが「何て素晴らしい世界なんだ!」と人間世界の魅力に歓喜する姿が印象的だったが、今こうして現場に来るとわからなくもない。「セリフと場所はリンクする」散歩がてらに思わぬ収穫があった時間であった。

さて、先ほどの崖について調べてみた。いわく国分寺には多摩川が10万年以上の歳月をかけて削り取った「崖線」と呼ばれる崖の連なりが存在し、立川から国分寺を経由して世田谷区や大田区へと続いているそうだ。この段丘とその周辺に残る樹林や崖線下から湧き出る豊かな水が「真姿の池」となり、その清流沿いにある小径が「お鷹の道」になった。そういう理屈らしい。なるほど、確かに「真姿の池」のそばには小川が流れている。しかも地元の農家による野菜の直売所まであるではないか。まさに国分寺ブランド!さらにこういったローカル直売所ではスーパーよりも安価なのが相場と決まっている。思うに、その理由はきっと値段など二の次だからだ。それよりも、この清水で手掛ける作物の出来に確固たる自信を持ち、そのプライドの現れが価格に反映されているように思える。「金などいい。それより食せ」そんな農家と野菜たちの心の声が聞こえるようだ。

ところで先生が仰っていた「おたか」もこの辺りなのであろうか。おそらくそうだと思うが…なんせ先生の子ども時代となれば、今から60年は昔のこと。正確な場所などわかる道理もない…と思った矢先に見つけた。なぜなら…

どーん。発見。何かと栄枯盛衰、温故知新と言われるがここまではっきり存在感をだだ漏れにしてくれれば後年にまで伝わるというもの。先生が少年時代にこの道を歩いたかなんてどうでもいい(絶対歩いていない)。きっと場所は多少なりと移動しているだろう。しかし時代は違えど、今、少年の先生と僕はこの場で出会ったのだ。そこの空気を肌で吸えるだけで十分ではないか。

この辺りは史跡も多く、なんせ旧家が多い。地元民が大事に歴史の変遷を紡いできたのがわかる。「お鷹の道」は約350メートル。周囲の木々からこぼれた葉が絨毯となった地面は季節によって色が変わりインスタスポットになっているらしい。それもそうであろう。だって…

写真の技術が乏しいのが恨まれるが、秋には黄金の風景をまぶたの裏に焼き付かせてくれる。聖武天皇が全国に国分寺を建立してから何百年もの間、今でも人々の目を潤していると思うのは僕だけであろうか。

さらにリサーチしてみると「お鷹の道」付近は、かつて尾張徳川家の御鷹場に指定されており、江戸時代から地元民に知られていたらしい。きっと先生のあの無骨な人柄もここで培われたのだろう。戦後になって、遊歩道に整備されたあとは四季折々の自然が楽しめる散策スポットになったということだ。

休日にもなれば、散歩する夫婦やカップル(ちっ…)、ペット連れが行き交っている。大小さまざまな石を平らにはめ込んだ石畳の道は、これからも幾人もの歩行を促す一助になる。数百年の歴史の責任を負わされている。そして僕もまた…カッコつけて言うならば、先人の見識を学び、模倣し昇華しながら未来を創りあげるクリエーターとして、どこに行き着くかわからない歴史の道を築いていかねばならないと思う。この石畳のように。

お散歩コラム、気になった方はフリー雑誌でも掲載しています(*´∀`*)

文章テイストはかなり異なりますが、都内主要駅のフリーペーパーのラックでお見かけの際はぜひお手にお取りください!


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