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【過去】2019香港・もう見られないもの
こんばんは。今日は過去の香港旅の話し。
過去記事を書く気はあまりなかったが、これだけは残しておきたい。
香港
香港には過去に2回行ったことがある。コロナ禍前の香港は本当に飛行機が安かった。安値を狙わなくても往復2万円で毎日香港エクスプレスが飛んでいた。
当時めちゃくちゃに仕事が忙しかったので、その発散も含めて週末にキャンセルがきかない飛行機を予約し、無理やりの休暇、金土日月の最長3泊4日・有休2日取得の弾丸でよくアジアに行っていた。
初めて
香港に初めて行ったのは2018年。夜に空港に着いて尖沙咀のホテルに入り、食事と散歩でもするか、とカメラを持って海沿いに出た。歩いて数分。目の前に現れた夜景に驚愕した。あれほど美しい夜景は他のどこの場所でも出会ってない。
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そこから3日間写真ばかり撮っていた。なんて写真映えする街だと思った。そういえば当時赴任していた会社の同期に泊めてもらったり。
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2回目
2回目は2019年11月。そう、香港にとって「あの頃」だ。
2019年逃亡犯条例改正案に反対するデモ。
日本でもニュースで見て知っていたが、なぜ旅行を取りやめしなかったのかは忘れた。まぁ何とかなると思っていたのだろう。両親にも特に反対はされなかったと記憶している。都合の悪いことを忘れているだけかもしれないが。
そんなこんなで、1人香港に向かった。
過去のGmailを掘り返してみた。この便だった。
香港エクスプレス航空 UO625便
2019-11-09 0630 羽田空港 (HND) 国際線ターミナル発
2019-11-09 1050 香港国際空港 (HKG) 着
香港エクスプレス航空 UO32便
2019-11-11 1755 香港国際空港 (HKG) 発
2019-11-11 2245 羽田空港 (HND) 国際線ターミナル着
午前中に空港に着き、バスに乗った。香港の2階建てのバスの特等席、2階席の一番前に座れた。しばらくして隣に日本人の男の子が座った。名前は忘れたが初香港の大学生か何かだったと思う。
市内が近づくに連れて落書きが増える。前回は見なかったものだ。
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大学生の子と重慶マンションで両替ついでにカレーを食べることになった。インド風の割と本格的なカレー。
食べた後、自分は行きたいところがあった。彼に聞くとついてくると言う。
レノンウォール
Tai po Market駅(大埔墟駅) という少し郊外の駅。の地下道。当時香港最大級のレノンウォールがあった。これに行ったということは多少なりともデモのことを調べてこの目で見てみたいと思っていたのだろう。
電車で30分ほど。駅を降りて地下道へ。
地下道を埋め尽くさんばかりの反政府のポスター。そしてそれを中学生くらいの女の子が貼っている。
このデモは、若さが目立った。
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中心部に戻り彼と別れた。LINEを交換したがその後やり取りはしていないな。元気にしてるかな・・
ビクトリア公園
その夜、香港島のビクトリア公園へ。ちょうどデモ関連で自殺した男性が報道されていた頃で、その追悼集会のような名目だったと思う。
何があっても逃げられるように、荷物は最小限にしたのを覚えている。
しかしそこで見たのは「和気あいあいとしたほのぼの集会」だった。
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日本テレビのクルーが、ヘルメットをして取材していた。自分は記者証もないしPRESSのベストもなく、カメラがあるだけ。見た目は恐らく香港人か日本人かわからないだろう。
どんどん人が増えてきた。救急チームもいた。しかし平和そのもの。警察はの姿は見えない。救急チームも暇そうに談笑していた。
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集会が始まり、スローガンを叫んだり、歌を歌ったり。
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危険な雰囲気は何もない。
当時のデモはメディアに身を晒し撮影して世の中に出してもらうことで、警察の動きを抑止しようという風潮があった。デモのメンバーでも積極的にメディア班が組織され、デモのメンバーと同じくらいカメラやスマホを持ったメディア担当がいた。(本職ではなく、恐らく学生などが多かった)
どこの誰かもわからない自分のカメラも拒否することはなく、むしろ撮ってくれとアピールしてきた。
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集会が終わった。帰りも平和。地下鉄で尖沙咀のホテルに帰った。
翌日昼間は特に予定はなかった。写真を見る限りワッフルを食べながらスターフェリーに乗ったりしているので、特にデモ関連の何かを見たりはせず散歩していたのだろう。
遭遇
夜、赴任していた会社の同期と食事をしようと言っていた。が、夕方になり急遽キャンセルに。1人で食事でもしようと尖沙咀からネイサンロードを北に向かって歩いていた。
群衆が見えた。車道を占領し、歩道の柵を車道に出したり段ボールをどこかから持ってきて交通妨害をしていた。交通妨害以外の破壊行為はなく、特に暴力沙汰は見えない。
スローガンを叫んでいるが、特に危ないことはなさそう。
歩道の端で見ていると隣の青年が話しかけてきた。日本人とわかると日本語を話した。アニメが好きで日本語を覚えたとのこと。名前はリン君(仮名)と言った。
・妨害行為をしている黒い服のメンバー達の顔は撮影してはいけない
・日本や海外の人にぜひ見ていてほしい
と言ってくれた。
しばらくすると黒い服のメンバーが一斉に走って路地に逃げ始めた。そしてニュースでよく見るあの警察車両が到着した。
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警察車両と対峙するのは、黒服メンバーだけではない。実は黒服メンバーはわずかで、黄色の反射ベストを着たメディア班と赤十字マークを描いた救急メンバーが圧倒的に多い。
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メディア班は誰よりも最前線で警察の動向を撮影・配信する。権力監視の意味合いが強いのだろう。プロのマスコミではない。そこらの普通の人がスマホと自撮り棒で撮影する。
1回目は警察はすぐに去った。警察・デモ双方に、交通妨害以外の暴力はない。
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リン君と自分は歩道の商店のシャッター沿いに立って様子を眺める。いつの間にか隣にはフランスからきている白人の留学生達も加わった多国籍メンバー。「自由は基本的な人権だよな」などと話す。
2回目に警察がきた。今度は警告旗を持っている!と思った瞬間、ドカドカと催涙弾を撃ち始めた。ツンとした匂いが立ち込める。警察は群衆を蹴散らすため、手持ちの催涙スプレーを向けながら警告してきた。慌てて路地に入る。将棋倒しにならないよう前の人の肩に触れながら一列に。一瞬の出来事。後ろから怒鳴り声が聞こえる。
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路地の入口で、救急班が一人ずつ無事を確認して吸い込んだ人には水を渡している。知らないおばちゃんがマスクを分けてくれた。
その後留学生達はもう少し別の場所を見に行くといって別れた。
遠くで警察車両を追いかけるメディア班のベストが見えた。
自分とリン君は近くの店で食事をした。
日本ではどのように報道されているのか?彼はしきりに聞いた。
食事後、リン君と別れて歩いてホテルまで帰った。文章だと大したことはないが無事に帰れたことに感謝。
3日目
3日目。この日は香港全土でゼネストが予定されていた。朝ホテルのフロントにあったテレビを見ると、警官にデモメンバーが拳銃で撃たれたらしく大きなニュースになっていた。
日本への帰国便は夕方だったが、早めに空港へ行くことに。
と言っても、地下鉄もバスも止まっていた(確か)ので、動いていそうなところまで歩いていくしかない。
ネイサンロードの旺角の交差点、何も変哲もない横断歩道を渡る人々の中で何かが始まった。
チャリン、チャリンと一人、また一人、コインを落とす。それを拾おうとする。赤信号に変わりそうなところで、しゃがんで靴ひもを直す。
赤信号の僅かな妨害。これがきっかけだった。
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どこからかゴミの段ボールや発泡スチロールを持ってきて道路に撒く。
別の誰かが路上の看板や柵を持ってきて道路に撒く。
運転しているドライバーの諦めたような顔とともに、交通妨害が始まる。周りの人々も特に批判はしない。それどころか、水を渡したり声をかけたりしている。
ここでも目立つのはメディア班。一部始終を撮影する。平日だが、見たところ中学生や高校生のような風貌の若者が多い。
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あっという間に交通妨害は完成。
救急車が通るときには、障害物をどかしていた。
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サイレンを鳴らして警察が来た。怒鳴り声をあげて警告しつつ道を開けていく。歩道で見つめる人々の警察へのヤジが凄い。黒服メンバーはとっくにいない。特に衝突もなく、ヤジと共に警察は去っていく。
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また歩いた。そこかしこで似たような光景が見られる。
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歩き疲れてタクシーに乗った。空港には無事にたどり着き、帰りの便にも搭乗できた。
もう見られないもの
この3日間で目にしたものはコロナ禍を越えた今でもとても鮮明だ。香港ではその後国家安全法が施行され、ここまで書いた全ての物は禁止になった。既に数百人が逮捕されている。
妨害行為だけではなく、
レノンウォールのポスター
叫んでいたスローガン「光復香港 時代革命」
歌われていたデモ歌「香港に栄光あれ」
この歌ね
これら全てが禁止になった。6月30日で丸3年たった。デモはなくなったと聞く。30年以上行われてきた6月4日の天安門事件追悼式典も不可能になった。
当時ニュースソースとして自分がよく見ていた、StandNews(立場新聞)は当局の摘発で廃刊になった。
リン君とはFacebookを交換してその後少しやり取りしていたが、今は連絡をしていない。彼は傍観者ではあったが、明らかにデモ支持の民主派だったので外国人である私とやり取りしにくいかもしれない。
他のメディアでは香港駐在の記者が当時たくさんの記事を上げていた。ここに書いていないこともたくさんある。
しかし自分の目であの3日間見たことは忘れられない。信じられないくらい若い子供達が、それを見守り支援する多くの普通の市民が、ボランティアが、自分たちが持っていた自由を奪われたくない、という思いで主張していた。リーダーもなし。「自分にできることをやる」ということ自体がデモの決まり事だったのだ。
水を渡し、マスクを配り、医療の心得があれば救急班として治療を支援し、スマホがあれば警察を追いかけて撮影・配信をした。夜危なければ昼間ポスターを貼り、車を持っていれば逃亡を助けた。繁華街に店や家があれば、門解錠のPassを教えて逃げる若者を匿った。
彼らの活動は、私が帰国後に大学の占拠と大規模な衝突、区議選での圧勝などを経て目に見えて先鋭化した。あえて冷静に言えば、落とし所を失って潰された。
求めていた自由が返ってくる見込みは今のところ全くない。
香港に住む人は過去のSNS投稿を消した。自分がフォローしていたinstgramの若者は、皆2020年以前の投稿を全削除した。しかし心の中の思いが消えるとは、とても思えない。
今ではもう見られないものをたくさん見た3日間だった。
その時しか見られないものがある、それを今後も見ていよう、と思ったきっかけがこの旅行だった。結構危険だったのかもしれない。普通に観光客が撮る写真ではない。しかしあの時に香港に行っててよかった。
香港はコロナ明けに観光客呼び込みキャンペーンをやっている。香港は大好きだ。が、もう以前の香港ではない。
今のところ再訪にはひっかかるものがある。
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これらの風景はもう見られない。