やり切ったという実感があってこそ。
いつになく人の出入りが激しくなるこの春。腹を括って、泰然自若としていられるように、努めます。
飛ぶ鳥跡を濁さず、を最近考えています。過去の私を振り返って、その言葉を肝に銘じて行動してきたつもりです。
そうではない人を目にして、なんだかそれが意外に思えて、過去のその人の仕事全てを転覆させかねないものにも見えて、正直戸惑っていたりもします。
最後の最後に手を抜いてはいけない。若い頃から、そう思ってきた要因はなんだろうなと考えますが、特に思い付きません。
終わり良ければ全て良しという言葉もありますが、それとはちょっと違ってて。
結果のことじゃなくて、過程と心持ちのことなんですよね。
やり切るってことです。その場を去るのであれば、最後こそです。
結果を言うなら、良くても悪くても言い訳をしない。結果は結果として、甘んじて受け入れるしかありません。
そこで仮に何かを言われたとしても、自分の中にやり切ったという思いさえあれば、馬耳東風。気にかかることなどありません。
やましいことがなければ、これが今の実力なのだと受け入れて次に進むだけ。
そうやってスッキリとした心持ちでいられるのも、やはりやり切ったという実感があってこそ。
飛ぶ鳥跡を濁さず、には、そういった意味を含むのだと、私は考えています。