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ミュージカル「ケイン&アベル」世界初演の観劇記~原作の魅力とともに物語を考察する

〇はじめに

20世紀を代表するイギリスの人気作家ジェフリー・アーチャーが書いたアメリカが舞台のベストセラー小説「ケインとアベル」を、世界で初めてミュージカル化して上演したのは、21世紀の日本だった。
ミュージカル「ケイン&アベル」は、東宝とキューブが共同で製作した。主役のケイン役・松下洸平さんとアベル役・松下優也さん、第三の主役で狂言回しも担っているフロレンティナ役・咲妃みゆさんらキャスト陣の美しくも迫力ある歌と演技、ブロードウェイ等で活躍する海外クリエータースタッフによる楽曲や脚本の素晴らしさも相まって、2000席近いシアターオーブは連日満員となった。世界初演のミュージカル「ケイン&アベル」が大成功だったことに疑いの余地はないだろう。

この壮大な大河小説をミュージカル化すると聴いたとき、私は楽しみであるとともに、重たいストーリーになるのだろうと覚悟した。たとえ悲劇でも最後のカーテンコールで昇華されるのがミュージカルの魅力だと思っているが、2人の男の闘い、復讐劇だ。しかも私の遠い記憶では小説の主役はアベルだったのだが、座長はケイン役の洸平さんである。ミュージカルはどのようなストーリーになるのだろうか。
私は原作小説を読み返してからミュージカル初日を観た。ケインを主役とした理由がぼんやりとわかったような気がした。アベルは単に勝者ではなかった。2回3回と繰り返し観劇した後、原作の続編小説「ロスノフスキ家の娘」を読んだ。そこには、ケインの死後に続く物語があり、ケインの死は報われていたと思える内容が書かれていた。そして、4~6回目の観劇をした。公演日程の中盤以降、舞台全体が進化していた。明らかにキャストの歌と演技の迫力が増し、説得力を持って私に迫ってきたので物語の理解が一気に進み、自分なりの解釈ができた。
これは家族の継承の物語であり、ケインとアベルは悲しい誤解からお互い傷つけ合い、どちらも苦しんだが、次の世代に引き継ぐことで自分の幸せも得た、と私は感じるようになった。

ミュージカル作品としての素晴らしさ――キャストの歌と演技、楽曲、脚本、演出、舞台装置等の魅力は私の筆で語り尽くせるものではないので、その道に詳しい人にお任せするとして、ここでは、ミュージカル「ケイン&アベル」のストーリーに焦点を絞ることにする。
ミュージカルは、上下巻ある小説を2時間35分にぎゅっと凝縮しているが、原作をリスペクトして重要な部分は丁寧に踏襲している。しかし、わかりやすく展開させるためにどうしても原作と異なる箇所もある。
原作小説と続編小説を詳細に読み込んでいくと、いたるところに長尺な伏線が散りばめられていて、ときにそれは世代を超えて回収されることすらあった。そうした点でも家族の継承の物語である。こうした原作のエピソードをまず紹介したい。知らなくても舞台は十分魅力的で楽しめるが、キャスト陣も原作を読み込んで役作りをしていると思われるので、それぞれの人物への理解がより深まると思う。特に、続編小説に書いてある「その後のエピソード」は感動ものである。
次に、ミュージカルならではの表現と原作の内容を合わせて、復讐劇の末路、ケインとアベルは報われたのか・・・等、物語を考察する。ミュージカルも原作もまだという人は、物語の概略がわかるのでこちらを先に読んだ方がいいかもしれない。最後に、松下洸平さんの魅力やカーテンコールの様子なども記したい。後日、大阪大千穐楽の様子も追加する予定である。
相変わらず長文で恐縮なのだが、観劇して「あれはいったいどういうことだったのかな?」と気になる点がある人は、ご一読いただけると幸いです。目次から気になった箇所だけ読んでいただいてもいいかもしれません。
尚、文中に紹介してあるミュージカル楽曲の歌詞は、観劇中のメモ書きを基にしているので、間違っている可能性もあることをご承知おきください。


〇ミュージカル「ケイン&アベル」概要
・キャスト
ウィリアム・ケイン:松下洸平
アベル・ロスノフスキ:松下優也
フロレンティナ:咲妃みゆ/ザフィア:知念里奈/ケイト・ブルックス:愛加あゆ/ジョージ・ノヴァク:上川一哉/マシュー・レスター:植原卓也/リチャード・ケイン:竹内將人/ヘンリー・オズボーン:今 拓哉/アラン・ロイド:益岡 徹/デイヴィス・リロイ:山口祐一郎/他
・スタッフ
原作ジェフリー・アーチャー/音楽フランク・ワイルドホーン/歌詞ネイサン・タイセン/編曲ジェイソン・ハウランド/振付ジェニファー・ウェーバー/脚本・演出 ダニエル・ゴールドスタイン
・上演時間:1幕85分、2幕70分、計2時間35分
・日程
2025年1月22日~2月16日(32公演)東京都渋谷シアターオーブ(1972席)
2月23日~3月2日(10公演)大阪新歌舞伎座(1425席)
(詳細は公式HP参照)

〇原作小説と続編小説の概要
ジェフリー・アーチャーの小説「ケインとアベル」"Kane and Abel " (1979年)は、2人の男の誕生から亡くなるまでの約60年間(2人は1906年4月18日誕生、1967年3月4日ケイン没、60歳。その9か月後の11月頃、アベル没、61歳)の生涯をアメリカの歴史を背景に描いた大河小説である。日本で出版されている文庫本は上下巻で分厚い。アーチャーがアメリカ人ではなくイギリス人であるという点も興味深い。しかもイギリスで国会議員を担ったことがある政治家でもある。
書名は旧約聖書の創世記に登場する兄弟「カインとアベル」を想起させる。兄カインが弟アベルに嫉妬して殺す恐ろしい物語で、カインCainとケインKaneはスペルは異なるが、英語で同じ発音らしい。カインは名、ケインは姓だが、ケインという苗字を後世に継承するという意味もあって姓にしたのではないか、と私は当初考えていたが(このあたりは英文学の研究が多くなされていることだろう)、ミュージカルを観てさらに気付きがあったので後述する。
小説はアベルの誕生から始まる。冒頭に載っている登場人物紹介の筆頭もアベルだ。
さらに、この小説には続編がある。姉妹編と言われることもあるが、「ロスノフスキ家の娘」(1982年初版、2017年改訂)は、アベルの娘フロレンティナが主人公で、夫であるケインの息子リチャードも登場する。これも上下巻というボリュームで書かれている。原題は、"The Prodigal Daughter" ,直訳すると「放蕩娘」であり、「ケインとアベル」の最後でアベルがフロレンティナに再会して一緒にご馳走を食べているとき、「放蕩娘の帰宅にふさわしいメニューだ」と言ったところからつけられたようだ。「ルカによる福音書」の「放蕩息子の帰還」(the return of the prodigal son)のエピソードに由来している。
これまでにイギリスでテレビドラマ化されているが映画化はないらしい。

ジェフリー・アーチャー「ケインとアベル」上下(2025)新潮文庫
「ロスノフスキ家の娘」上下(2023)ハーパーBOOKS

【以下ネタバレあり】

1,知ると数倍楽しめるミュージカルと原作で異なる点

・ケインとアベルの生まれた年が原作と違う!

世界の東と西で運命のように同じ日に生まれたケインとアベル。原作小説には1906年4月18日と2人の誕生の日を明確に記してあるが、ミュージカルのパンフレットを見ると1901年になっていて5年も早くなっていた。
それを知ってから観劇の際に確認すると、プロローグでフロレンティナが述べる最初の言葉が「新世紀の幕開けに・・・」であった。
ミュージカルでは、20世紀になった年に2人が生まれた設定にして、新世紀の物語だということをより印象づけようとしたのだろう。
ケインが亡くなった日は、原作では、フロレンティナのニューヨーク店の開店の日であり、それは1967年3月と記されている。ミュージカルでは明確に描かれていないが同じ流れと推測されるので、ミュージカルのケインは原作よりも5年長く65歳まで生きたことになる。
アベルはミュージカルでは描かれていないが、原作には、ケインの死後約9か月後、つまり1967年11月頃に亡くなったと思われる記述がある。
ケインとアベルの死に際に関しては後述する。

・2人の子ども時代:アベルは何度も死にかけ、ケインはオズボーンと対決

ミュージカルでは、原作小説の上巻3分の2に相当する部分――ケインとアベルが誕生し大人になるまでの約20年間――がプロローグになっていた。狂言回し役のフロレンティナが語り、その脇にケインとアベルの子役と親たちが現れ、「スナップショット」と表現される写真を舞台背景に映し出しながら振り返る形で描いていた。
アベルはポーランドの森で親亡き子として生まれ、養父母に育てられ、貧しい暮らしだったが、聡明で賢かったため男爵の養子となる。当時の名前はヴワデク。戦争が始まり敵が侵攻して姉のフロレンティナは殺され、男爵は敵に殺される直前に、アベルは男爵の実の子であると告げ、自分の銀の腕輪をアベルに与えて逃がした。数分の寸劇なのだが幼少期のアベルがかなり苦労したことがうかがい知れる。
ケインの方はあっさりした描写で、裕福な銀行一家のケイン家に生まれたウィリアム・ケインは、尊敬していた父親をタイタニック号で失い、深い悲しみを子ども時代に得たことが描かれている。
これらは冒頭数分のことだが、フロレンティナらが歌う「宿命の二人」が勇壮なメロディーとともに描かれ壮大なプロローグとなっていて、フロレンティナがラストを歌い上げると、会場からいつも万雷の拍手が起こり、既に涙がにじむ。
冒頭から目が離せない物語が始まるのだが、原作小説では、2人の子ども時代を克明に描いている。

原作小説は、アベルの誕生から始まる。ポーランドの森の奥で産み落とされると同時に母親は死に、アベルは貧しい猟師一家に引き取られ、ヴワデクと名付けられた。賢かったため男爵の息子の遊び相手として姉のフロレンティナとともに男爵の城に住むようになる。しかし、ドイツとロシアがポーランドに侵攻して男爵もヴワデクも城に幽閉された。フロレンティナは彼の初恋の人だったが、目の前でソ連兵に凌辱され死んだ。ヴワデクには乳首が片方しかないという身体的特徴があり、幽閉中にそれを知った男爵が、死ぬ前に実の子であることを伝え、銀の腕輪を継承した。シベリア収容所に送られたヴワデクは脱走し、その後も何度も死にかけ、生きるために殺人を犯したこともあり・・・苦難の末にアメリカに移民としてたどり着く1921年までの様子は、読んでいて正直苦しいので、ミュージカルで省略して正解だと思う。
ミュージカルでは、続く第1場の船の舳先のシーンで、男爵の名を名乗るようになったアベルが船で出会ったジョージ(上川一哉さん)、ザフィア(知念里奈さん)とともに歌う楽曲「アメリカン・ドリーム」があまりにも希望に満ちあふれて迫力があり、感動的である。

一方、原作小説のケインは、裕福な銀行一家のケイン家に生まれ何不自由ない暮らしだったが、6歳で父親をタイタニック号で失った。ケインと母親も一緒に船に乗る予定だったが、ケインが前夜に熱を出したので母親と一緒にロンドンに残ったため命をつないだ。2人の祖母に厳しく育てられ、学業成績は抜群で、特に数学に長け、7歳から小遣い帳簿つけ、やりくりして小遣いから投資をし、将来の銀行家としての才覚を発揮していた。
ケインが13歳のとき、まだ若く美しかった母親は、父親の死後の寂しさを埋めるようにヘンリー・オズボーン(今拓哉さん)と出会い再婚を決めた。ケインは子どもながら、自分の小遣いで探偵を雇い、オズボーンが財産狙いの悪人であることを突き止め、ケインの少年時代に影が差すようになった。
ケインはお金には困らず十分な教育も受けていたが、父を亡くし母も当てにならず、1人で闘う孤独な少年時代を送っていた。12歳のときに学校で出会い親友となったマシュー(植原卓也さん)だけが、ケインにとって心ゆるせる家族のような存在だった。

・ケインの母の死はオズボーンのせい!

ミュージカルの第1場では、ケインがハーバード大学を卒業すると同時に亡き父が勤めていたケイン&キャボット銀行に親友のマシューとともに就職することが決まり、現頭取のアラン(益岡徹さん)がそれを歓迎するパーティーの場面が描かれる。ケインらが楽曲「最高の時代」を、「♪天井知らずの好景気」と軽快に歌い踊る楽しいシーンであり、ケインが高潔な父のような銀行家になり社会の役に立つと誓う楽曲「父の名の恥じぬよう」を歌い上げる見せ場だ。
しかし、場面は急転直下。ケインは母親が再婚相手のヘンリー・オズボーンの子を授かっていることを知り、オズボーンは財産狙いの詐欺師だと母親に告げ、ショックを受けた母親はパーティー会場で倒れて死ぬ。ケインはオズボーンを家から追い出し、2人は憎み合うことになる。
このミュージカルの描写でも、母親の死に関して決してケインが悪いわけではないが、オズボーンはその後もケインにつきまとい、ことあるごとに母親の死がケインのせいだと責めたりお金を無心してケインの怒りを買っていた。
ところが。原作小説では、ケインは母親の死に一切かかわっていない。しかもケインが母親を亡くしたのは16歳とまだ子どものときだった。
原作では、母親は高血圧の持病で(当時は治療法がなかった)、ケインの次の子を流産して以降、出産を医師に止められていた。母親はオズボーンから何度もお金を無心され母自身の口座から50万ドルを渡していて、ケイン家の口座(家族信託)からもさらに50万ドルを渡し、つまり計100万ドルをこの男にだまし取られた。加えて、多くの女と浮気をし、母親の親友とも寝ていたことを母親自身が探偵を雇って気付き、妊娠による体への負担とそれらのショックから死んでしまうのだった。
つまり、母親の死は完全にオズボーンのせいであり、ケインは全く悪くない。
それなのに、ミュージカルで、ケインが公衆の面前で母親を責めているような描かれ方をされているのは、ケインが気の毒だなと感じる。父親譲りの高潔なケインがオズボーンを公衆の面前で告発するのは理解できる流れではあるのだが。
原作でのオズボーンは、容姿が良いだけでミュージカルより100倍最低最悪の男である。名前も経歴も嘘、逮捕歴すらあった。

・マシューは全く悪くない!!

ミュージカルではおとぼけな印象で描かれているケインの親友マシュー。
大恐慌下でマシューが投資に失敗しケイン&キャボット銀行に大損させたせいで、同銀行はいっとき全ての融資をストップし、そのためにアベルのリッチモンドグループへの融資もしなかったとミュージカルでは描かれている。その結果、アベルはケインを心底憎むようになったわけなので、ケインとアベルの復讐劇のきっかけは、マシューのせいのようにも見える。
しかし、原作小説では全く異なる。銀行の融資のストップとマシューは一切関係ない。大恐慌下で銀行がケインの忠告を聞かずに株を売り損ねて大損したためであり、責任はむしろ頭取のアランにある。ミュージカルのマシューが私は気の毒でならない・・・
それだけではなく、原作のマシューもケインに負けず劣らず超優秀なサラブレッドである。マシューの父はケイン&キャボット銀行より大きなレスター銀行の頭取で、ケインの父親と親友だった。マシューとは12歳のときに学校で出会い、ケインの母親が死んだときもマシューは病院まで付き添ってずっと傍にいてくれた。
ケインには及ばないが勉強も優秀で、マシューは勉強だけでなくスポーツも得意で、女性との遊び方もケインより長けていた。
ハーバード大学卒業後、ケインはケイン銀行で、マシューはレスター銀行でそれぞれ働いていたが、途中からマシューはレスター銀行を辞めてケイン銀行に入りケインを助けるようになった(マシューの父は、ケインを息子のように可愛がっていたし、マシューがいっとき親友の銀行で修行することをよしとしてくれた)。
原作でも、マシューが亡くなったのは治療法のない病気のせいで、悲観して酒を飲んで荒れていた時期もあったが、それは大恐慌が過ぎ去って以降のことだ(つまりケイン銀行の融資ストップとは関係ない)。ケインに病気のことを打ち明けてからは、マシューは死ぬ直前まで真面目過ぎるほど働いた。
マシューの父親は息子の死をとても悲しみ、自分の遺言書に、マシューの代わりにケインをレスター銀行の後継者に指名した。
ケインは権力闘争に巻き込まれ苦労しながらも、最終的にレスター銀行の頭取となり、その後、ケイン銀行を吸収合併してさらに大きな銀行とした。
※そのため、原作ではケインは「レスター銀行の頭取」で、アベルが買い占めた株もレスター銀行のものであるが、ミュージカルではややこしくなるからだろう、ケイン銀行のままとなっている。買い占め率も51%とされているが、原作はもっと複雑である。

6歳で父を、16歳で母を喪って孤独なケインを、原作のマシューは唯一の親友として常に傍にいてケインを助けてくれ、いわば非の打ち所がない人物として描かれている。そんなマシューが死んだときのケインの喪失感が相当なものであることは、ミュージカルも原作と同じである。既に愛妻ケイト(愛加あゆさん)と結婚していたことがせめてもの救いであった。
ミュージカルで、ドイツの戦場で死にかけるケインが楽曲「また会う日まで」で、最愛の妻ケイトではなくまずマシューに語り掛けるのは、マシューの死に際を見ているからであり、自分が死ぬときもマシューが傍にいてくれたら心強いと思うとともに、マシューや両親にまた会えるのなら・・・という気持ちも込められていると感じた。

・ザフィアはアベルを献身的に支える妻?

ミュージカルのザフィアは、活発で強く優しい女性として描かれている。特に、リロイ(山口祐一郎さん)が自殺した後、悲嘆にくれるアベルを励ますザフィアは聖母マリアのように輝いていた。
楽曲「あなたならできる」を歌いながら、アベルの目からあふれる涙を指でぬぐい、「家族が増えたのよ」と自分のお腹にアベルの手を当て子どもを授かったことを伝え、アベルはやっと前を向くことができた。
しかし、原作小説では2人は離婚しているのである。ザフィアは、アメリカに向かう船の中で、アベルが初めて女性を知った相手である。その後別の場所でそれぞれ働いていたが、シカゴで再会、結婚し、娘フロレンティナを授かった。アベルは娘のことは可愛がったが、仕事に明け暮れてザフィアのことはあまり構わなくなり、ザフィアはアベルの上昇志向についていけず心はすれ違い、アベルが戦地から帰ったあと離婚したのである。娘フロレンティナとはその後もずっと交流が続いた。

・そもそも原作での2人の容姿は?

ミュージカルで、洸平ケインと優也アベルはあまりにもかっこいい。
原作小説ではどう描かれているかというと・・・
ケインは長身、容姿端麗に描かれている。青い目でおそらく黒髪。髪の色についてははっきりした描写はないが、瓜二つと言われた父親が黒髪と書かれているため。
アベルは黒髪に青い目。子どもの頃の低栄養や苦労の影響もあるのか身長は低く、足を片方軽く引きずっている。アメリカに来て裕福になってからは太った。

2,ミュージカルで描かれていない「その後」の号泣エピソード

続編小説「ロスノフスキ家の娘」は、先述したようにアベルの娘フロレンティナが主人公で、ケインの息子リチャード(竹内將人さん)との結婚後のことだけでなく、ケインとアベルについてもさまざまなエピソードが書かれている。原作小説「ケインとアベル」でさらりと触れられた内容が、世代を超えた長尺な伏線回収となっていて、「こういうことだったのか!」と感涙することがたびたびあった。
ミュージカルで、フロレンティナが過去を振り返る形で狂言回し役として登場するのは、この続編小説があるからこそだと思う。

・銀行頭取の座を奪われたケインの仇をリチャードが!

なんと続編小説では、息子リチャードが、ケインの仇を取って頭取の座を取り返したのである!
リチャードは、フロレンティナと駆け落ちしたのでケインの銀行では勤められず、苦労して他の銀行で職を見つけたが、フロレンティナの会社が繁盛してからは彼女の会社の会計等を担って支えていた。
アベルの死後、アベルが保有していたレスター銀行の株をフロレンティナが相続した。その株は、ケインを頭取から追い落とした株で、当時アベルに加担してケインを裏切って頭取になった男が銀行内にいた。リチャードとフロレンティナは結託してその男との激しい権力闘争を勝ち抜き、リチャードは頭取の地位を奪い返したのである。小説中に描かれている年月を計算すると、ケインの死後約2年後のことであった。
リチャードが銀行頭取に就任した株主総会で、株主代表からケインのことを「この銀行の歴代頭取のなかでも最も優秀な人物だった」と言われ、ケインの名誉は回復された。銀行一家のケイン家は継承された。
私は、リチャードはずっとフロレンティナを手伝って生きていったのだろう(まるで髪結いの亭主のように)と勝手に思い込んでいたので、このくだりを読んだときはリチャードの男気に感動したし、天国にいるケインがどれだけ嬉しいだろうかと考えると泣けてしょうがなかった。(※レスター銀行とはケインがケイン&キャボット銀行を吸収合併した大銀行のこと。ミュージカルではわかりやすくケイン銀行のままにしている)

・フロレンティナ6歳で気付いたリチャードとの宿命

フロレンティナは6歳のときに学校の模擬大統領選挙に立候補し僅差で敗れた。その理由は、「ロスノフスキ」という難しい名前を投票用紙に書くことができない級友がいたためだった。そのとき彼女は決意したのである。「わたし、本当に簡単な名前の男の人と結婚するの」と。
アルファベットたった4文字のKANE(ケイン)を姓に持つリチャードとの運命の恋はやはり宿命だった⁈
そして、ミュージカルでフロレンティナとリチャードの息子ウィリアムが、「ママ、いつかニューヨークの大統領になるかもね」とはしゃいで言っているが(アメリカの、ではないところが可愛らしい)、実際に続編小説の最後で、フロレンティナはアメリカ初の女性大統領に就任するのである。

・ジェシー・コヴァッツって誰?

ブルーミングデイルズでリチャードが一目ぼれしたフロレンティナは、ジェシー・コヴァッツと名乗っていたが、それは架空の人物ではなかった!苦労を知らずに育ったフロレンティナが10代の頃、アベルのホテル内の売店でアルバイトをしたときに、怠惰な態度でフロレンティナを怒らした女性店員の名前である。フロレンティナはジェシーの件を上司に訴えたが、それを知ったアベルに逆に怒られ、結果としてフロレンティナが多人数のチームで働くことの大切さを知るきっかけとなった。
この事実を続編小説で読んだとき私は心底驚いたが、フロレンティナは初心を忘れないように、自分への戒めとしてこの名前を使ったのかなと感じた。
ちなみに続編では、リチャードはフロレンティナのことを、結婚後も愛情をこめてジェシーと呼んでいた。

・リチャードが手袋を贈った相手は?

ミュージカルでは女性用の手袋を買っているが、続編小説で、リチャードは父親ケインの誕生プレゼントとして買いに行ったことが書かれている。つまり、ケインがリチャードとフロレンティナを引き合わせたようなものなのだ!これはもう宿命としか言いようがない・・・
リチャードはケイン好みの「濃紺、革製、模様なし」のシックな手袋を大量に買っていて、ケインに贈ったもの以外の手袋はその後ずっと自分自身が使っている。

・孫もアベルと同じ体の特徴が

アベルがポーランドの男爵の実の子だと判明したのは、男爵と同じく乳首が片方しかないという体の特徴を持っていたからだが、続編小説には、リチャードとフロレンティナの息子、つまりケインとアベルの孫息子もまた、乳首が片方しかないと書かれていた。アベルは銀の腕輪を継承しただけでなく、体の特徴も継承していたことがわかったのだ。

・ケインからフロレンティナに継承されていた指輪!

ケインは、アベルに匿名で200万ドルを融資するだけでなく、アベルに娘が生まれたとき、エメラルドの指輪を匿名のままでアベルに贈っているということが、続編小説に描かれている。その指輪はケイン家に代々伝わる骨董品だった(このエピソードだけでも、ケインが当初はアベルを応援していたことがよくわかる)。
そしてフロレンティナは、その指輪の贈り主が誰かを知らぬまま、リチャードと一緒にケインに会いに行くとき、その指輪をつけていったのである。ケイン自身は死んでしまったのでフロレンティナがその指輪をつけている姿を見ることは叶わなかったが、見たらどれほど驚き喜んだことだろうか。ケインが贈ったと知らずとも、ケインに初めて会う際にその指輪を選んでいるというフロレンティナのセンスの良さに感動しただろう。
アベルは孫に銀の腕輪を継承したが、実はケインも義理の娘となったフロレンティナに指輪を継承していたのである。なんと粋な話であろうか。このエピソードを読んだときも涙が止まらなかった。

・ケインとアベルを記念した基金を創設、その名前は・・・

リチャードとフロレンティナは、2人の父親を記念した基金を創設した。バロングループ(旧リッチモンドグループ)から毎年200万ドルを寄付し、教育を受ける機会がなかった移民一世や、出自に関係なく特別な才能を持った子どものために使うという趣旨だった。もちろんバロングループの節税対策もあるが、「お互いの父が生きているあいだにできなかったことを、わたしたちが生きているあいだにやりましょうよ」とフロレンティナはリチャードに提案している。
200万ドルというのは、ケインがアベルを救った額と同じである。
さらに、この基金は、「レマゲン基金」と名付けられた。それは、アベルがケインを救ったドイツの戦場の地名であった。
ちなみに、続編小説のこの場面で、「ケインとアベルが戦場で出会っていることがわかったのは2人の死後で、生前はお互いに知らなかった」との旨が関係者から語られているのだが・・・実際にはどうだったのだろう?後述する。

3,復讐劇の末路は?~ミュージカルならではの説得力~

ミュージカルは歌で語る。楽曲で語る。事態の変化や登場人物の感情の動きなど台本数ページ分の展開を1曲の歌で表してしまう力がある。
原作小説と続編小説を詳しく読み込んだ私だが、ミュージカル「ケイン&アベル」の楽曲とキャスト達の表現力が素晴らしく、表情と歌声だけで、台詞や歌詞にはなくても、「おそらくこういうことだろう」と伝わってくるものがあった。
ケインとアベルの復讐劇は誤解に基づいていることが、観ている者にはわかる。

一見すると、ケインはアベルに「負けた」とみることができる。
一方アベルは、自分を救った200万ドルを融資したのはケインであるという真実をケインの死後に知り、自分の行為を悔いて泣き崩れる。
また2人は、アベルがケインの命をドイツの戦場で救ったことを、お互いに気付いていたのだろうか?
2人の人生は幸せだったのだろうか。報われたのだろうか。
ここからはミュージカルの内容を軸に、原作小説と続編小説の内容を照らし合わせて物語を考察する。

・ケインとアベルの対決1:1幕「命ある限り」

アベルがケインのことを誤解して憎むのは、ある意味理解できる。そもそもアベルはエリートのケインとは真逆で出生からの苦労人であるし、リロイの娘に「移民」という理由で結婚を拒否されたことも、生粋のアメリカ人を憎む理由のひとつになっていたかもしれない。
しかし、ケインは元々アベルのことを憎んではいなかった。リロイに融資できなかったことはケインの責任ではない。先述したようにミュージカルではマシューの失敗のせいで銀行が大損したと描かれているが、原作小説では大恐慌下で銀行が策を講じることができなかったからである。ケインはたまたまリロイの担当となっただけだ。
ケインはアベルの経営の才能を高く評価し、個人投資家として匿名で200万ドルを融資してアベルを救った。原作では、その後もアベルの活躍ぶりを知ったケインが微笑んでいる様子が何度か描かれているし、先述のように、フロレンティナが生まれたときに匿名のままで指輪などの贈り物もしている。200万ドルとは、2025年2月現在のレートで約3億円である。当時はもっと価値があっただろう。貯蓄を頑張って作れる額ではなく、ケインがその才能を発揮して投資と運用を重ねてきたからできた財産である。その自身の財産を、アベルの才能を信じてあの大恐慌下で投じたのだ。簡単にできることではない。

1幕の最後の見せ場、ケインとアベルが直接会って対決したあとの楽曲「命ある限り」では、ケインとアベルが火を噴いたかのような迫力で歌う。
(以下、歌詞は聴き取れた一部を抜粋)

 ♪ケイン
 救いたくないか、救えるはずだろう
 どうするべきか、人として今こそ
 父なら選んだはずの生き方だ
 活かせなければ何が財産だろう

ケインは、アベルからの融資依頼を銀行の決定だからと断りながらも、リッチモンドグループを再建したデータを見てアベルの才能に感嘆し、助けたいと悩む。父ならば個人投資で助けただろうと考え、ケイン個人で融資してアベルを救うことを決意し、電話で指示を出すのである。洸平ケインのよく伸びる歌声は、苦悩からの決意表明だ。

ところが、そんなケインの決意を知らないアベルは烈火のごとく怒りまくって歌うのだ。

 ♪アベル
 命かけて俺が後悔させてやる
   お前は終わりだ
 悔やめ。叫べ。恨め、俺を。すべて奪うぞ
 覚悟してろ、死ぬまで

アベル、あまりにも怖い・・・舞台背景の炎を背負って歌う優也アベルの声は初日からヒートアップしていたが、日に日に怒鳴るように歌うようになって余計に怖かった。

歌う2人の迫力に圧倒されるのだが、よく考えるとあまりにも悲しい完全なるすれ違いなのである。
ミュージカルのケインはアベルに「私のようにあなたの力を見抜く個人投資家がすぐに見つかりますよ」とまで言っているのだが、このセリフがアベルの心に一切届かず、「俺はハーバード出じゃないからそんな人脈はない」と逆ギレしてしまうのである。
ケインももう少しソフトに、「自分が個人投資家を探してみる」くらいのことをアベルに話せばよかったのにと感じるが、結果論だ。ビジネスで期待をもたせるような言い方はご法度であるし、2人で話しているときは個人融資を決めていたわけではないのだから。
原作小説では、ケインはこうした個人融資を匂わすことすら一切言わず、表面上はとても冷淡にアベルに対応していた。
ケイン銀行に断られてすぐに匿名投資家から200万ドルの融資があったとき、アベルは「ケインが紹介してくれたのかな」といった考えは全く浮かばなかった。それは、ケインとの対決のすぐあとにシカゴのホテルが放火されるという事件が起こり逆上していたこと、その火災で保険会社に勤めていたオズボーンとある意味「運命の出会い」をし、ケインに対するあらん限りの悪口を吹き込まれたことも大きいだろう。また原作では、当時アベルに親切にしていた事業家がいたので、その人が融資の恩人だと思い込んでしまうのである。

そもそもアベルは、リロイが自殺したのはケインが融資を断ったせいだと思っていたので、リロイへの弔い合戦のような気持ちがあっただろう。
ミュージカルは原作と異なり、ケインの親友マシューの死を、リロイの自殺と同じ時期に設定している。ケインもアベルも両親がいなくて孤独だ。父のように慕っていたリロイを喪ったアベルの怒りと、親友マシューを病気で喪ったケインの悲しみを同時期に効果的にぶつけた脚本は非常に上手い。
ケインはマシューの失敗のせいで融資をストップするとアランに言われた以上、銀行にアベルへの融資をあれ以上強くは言えなかっただろう。そしてアベルに「お前は全く苦しんでない」となじられ、怒りの感情も沸いただろう。それでもケインは、ここでは冷静さを保ち、個人で200万ドルを融資するのである。

・ケインとアベルの対決2:2幕「今が瀬戸際」

戦場から戻ったケインとアベル。実はケインは、ドイツの戦場で死にかけていたところを、アベルに命を救われた。そのことを当時は、2人とも気付いていなかった。
ケインとアベルの妻がそれぞれ、夫が生きて帰ってきたことを喜ぶと同時に、家族を顧みず復讐心をつのらせる姿勢について、楽曲「戦争から戻って」で強くさとすように歌う。

 ♪ケイトとザフィア
 敵意だけで生きる人生はどうか手放して
 どんな戦いでも、家族失えば
   何の意味があるというの

愛加ケイトと知念ザフィアの愛情がこもっていて、歌の最初は心から夫を心配しているのだが、後半は不安と怒りも混ざっていく。しかし、ケインもアベルも妻の言葉に耳を貸さない。

アベルはケイン銀行の株をさらに買い占め、追い詰められたケインは今度こそ誤解を解こうと電話をするが、アベルは冷たく言い放つのだ。

「私の考えは、創世記とは真逆のストーリーです」

兄カインが弟アベルを殺す創世記とは真逆、つまりアベルがケインの息の根を止めると通告したのだ。
ついにタイトル回収・・・ではないが、これは正式な宣戦布告だ。
さらにアベルは、オズボーンのケイン批判を信じていたため、ケインに対し「自分の母親を死においやった」等の人格否定するようなことを言った。
これがケインの導火線となった。
ケインは、オズボーンに母親とお金を奪われたことを心底怒っていたので、アベルに対しついに怒りを爆発させ、誤解を解くのは無理だとあきらめ、反撃の一手としてアベルとオズボーンの不正をマスコミにリークする流れとなるのである。
ここでの楽曲「今が瀬戸際」も激しい。

 ♪ケイン
 俺はバカか。できるはずない、和解など
 恨んで誤解した奴に追い詰められて
 出るぞ勝負、最後の切り札使うぞ

♪アベル
 恨むがいい。もう出口も逃げ場もないぞ
 だが息の根止めてやるまで油断しないぞ

♪ケインとアベル
 憎しみの炎燃えるだろう
 仕掛けろ、調べろ
   あいつか俺かが とどめをさすまで
   犠牲が出ようと闘い続ける
   やるかやられるか、その瀬戸際

洸平ケインも優也アベルも、お互いに噛みつかんばかりの勢いで激しい歌声を掛け合っていた。ケインの青い炎とアベルの赤い炎の闘いだ。
2人は怒りのパワーを炸裂させすごい迫力なのだが、誤解だとわかっている私はいつも悲しくて泣いてしまう。2人を見守っていたケイトとザフィアも同じような気持ちだったのではないかと思う。

月日が過ぎ、大人になったケインの息子リチャードとアベルの娘フロレンティナが偶然出会って運命の恋に落ちた。まるでロミオとジュリエットである。苦しい復讐劇のなかで、若い2人のコミカルなシーンは、音楽も軽快でダンスシーンでは会場から手拍子が起こり、私も大好きなシーンのひとつだ。原作でも心がやすらぐひとコマである。
しかし、ケインもアベルも宿敵の子どもと結婚することを大反対し、さらに反目を深める。
聡明なフロレンティナがなんとかアベルを説得しかけるも、同時期、アベルは就任が決まりかけていたポーランド大使の話がケインのリークのせいで流れ、さらにケインへの憎悪を深めた。
そんな憎み合うケインとアベルに、ケイトとザフィアがあきれ果て、楽曲「もううんざり」で怒りをぶつける。

♪ケイトとザフィア
 もううんざり、
   やめなければ憎しみで破滅するだけ
 怒りのこぶし振り上げても、
   あなた救われない。誰にも勝てない
 憎しみだけ、怒りだけ、
   その最後に待つものは孤独だけ

愛加ケイトと知念ザフィアの迫力がすごい。東京公演初日に観たときよりも、終盤に差し掛かると迫力が倍以上アップしていた。夫への怒りの中に混ざっているのはきっと悲しみだ。
リチャードとフロレンティナも頑固な父親に真っ向から反抗して歌う。

そして、ついに破滅のときがきた。
ケインは、頭取の座を奪われた。アベルが銀行の株を買い占めたためだ。
アベルは、贈賄で組んでいたオズボーンが自殺したため打ちのめされた。

「そんなバカな。私はなんてことをしたのだ」と呆然とする2人・・・

ケインは頭取の座を降ろされ完全なる負けだが、アベルに関しては、オズボーンが自殺したことで、原作ではむしろアベルの罪は軽くなっている。しかし、汚職が世間に知られたらポーランド大使は担えず、アベルは祖国凱旋への夢を絶たれた。また、リロイの自殺を「ケインが殺した」という理屈のアベルにとっては、オズボーンの自殺は「アベルのせい」といえる。自責の念に耐えられなかっただろうし、あれほど責めたケインと自分は同じことをしたという考えにも打ちのめされただろう。

そこですかさずケイトとザフィアが「もううんざり」の続きを恐ろしくも悲痛な声で歌う。

♪ケイトとザフィア
 これが答えよ。戦いの結果よ
 何になるの、家族なくして

なかなか厳しい妻たちからの突き付けだが、彼女たちの心の奥底から出た悲鳴であり、愛しているからこその夫への怒りと改心を迫る言葉であることが、歌声と表情から伝わってきた。これだけ妻に詰め寄られたら、頑固なケインとアベルもようやく自分の人生を見直そうと思えたかもしれない、と感じるには十分の迫力を持っていた。
この楽曲はケインとアベル、ケイトとザフィア、リチャードとフロレンティナの6人で歌っているのだが、アンサンブルも一緒に歌っているかのような声量のド迫力だ。
「もううんざり」。この楽曲で、ケインとアベルの復讐対決が終わり、この作品が大きな転換点を迎えたことがわかる。

・ケインは200万ドル融資のことをなぜ言わない?

なぜケインは、アベルを200万ドルで救ったのは自分だと告げなかったのか。その事実を伝えたらアベルの誤解も解けるかもしれないのに。
ミュージカルでは、それはケインのプライドのせいとされているが(フロレンティナの台詞)、原作小説を読むとプライドのせいだけではないことがわかる。原作には、ケイン家の家族信託の条項に、個人投資の内容がケイン銀行と利益相反してはいけないので必ず匿名を保つということが定められていて、ケインはそれを守ったと書かれている。ケインは子どもの頃から父親を見習って何事にも厳格な態度を取ってきた。それは公明正大で間違っていないのだが、原作で、16歳のときアランに、「将来そのような強硬な態度を後悔することになるかもしれない」とたしなめられているように、ケインの融通の利かなさは、自身を破滅に導いたのである。
しかし、ミュージカルで語られた「プライド」とは、「自分が救世主だと相手に知らせるような粋でないことはしない」といった内容だけではなく、「アベルに融資するように銀行を説得できなかった自分が許せない」という思いもあったのかもしれない。
そして、アベルと真っ向から争うようになってからは、それこそ実は自分が救世主だったなどというのは「プライドが邪魔をして」決して言えないことだったのかもしれない。
しかし言うべきであった、と私は思う。おそらく皆がそう思うのではないか。ケインが素直にアベルに話していれば、2人は最高のビジネスパートナーになれたのではないか、と。

4,ケインとアベルは報われたのか

・ケインは報われたのか

ケインが亡くなったのは、原作小説では銀行頭取の座を追われた約5年後だ。
原作では、ケインはフロレンティナのニューヨーク店オープンの日に、リチャードとフロレンティナを自宅に招待していて、2人と和解する予定だった。ケインはフロレンティナの店をのぞいてリチャードの姿をしっかり見て満足しているし、自宅に戻ったあと、もうすぐ息子とその妻、孫に会えるという満ちたりた気分で暖炉のそばの椅子で待っているうちに亡くなった。ケイン自身はリチャードを赦し、現在の姿も見ていて、幸せな気持ちで死んでいったと読者に思わせる記述がされている。しかし、せめてあと1時間、命をつないでいてくれたらリチャードに会えたのに、と考えると悲しい。
ミュージカルでは、フロレンティナのニューヨーク店をそっとのぞいただけで、リチャード達と会う約束があったかどうかなどは描かれていない。
ケインの人生は幸せだったのだろうか。死ぬ前に報われたのだろうか。

・アベルは報われたのか

生き残ったのはアベルであり、生きてフロレンティナに再会でき、リチャードを赦すこともでき、孫にも会って、とても幸せな余生を送ったかのように見える。
しかし原作小説は、アベルにも厳しいのだ。アベルはケインの死後約9か月後に亡くなっている。そしてそれは、念願だったポーランドのワルシャワにホテルを建設し、そのオープニングセレモニーにアベルが出席する直前のことだった。アベルは以前、ポーランドのアメリカ大使に任命される直前で、ケインによってその道を絶たれていた。祖国ポーランドに凱旋することを強く願っていたアベルは二度もその機会を叶えられず、その点では志半ばだったとも言えるだろう。
そもそもアベルはケインの死後、ケインが自分を救ってくれたことを知り、激しく悔いている。
アベルの人生は報われたといえるのだろうか。

・ドイツの戦場でのこと

ケインはアベルを200万ドル融資で救った。
アベルはケインをドイツの戦場で救った。
本当はこれでお互い様なのであるが、戦場でのことをケインとアベルがわかっていたのかどうか――
このことは、私の中で何回か解釈が変わった。なぜなら、先述のように、続編小説のなかで、「ケインとアベルが戦場で出会っていたことを生前の2人はお互いに知らなかった」との旨を関係者が語るシーンがあるからだ(リチャードとフロレンティナが設立したレマゲン基金のくだり)。
私が続編を読んだのは3回観劇した後だったのだが、それまで2人はお互いに気付いていたのだろうと思っていたのに、この続編のくだりで打ち砕かれた。
しかし、そのあとまた観劇を繰り返し、楽曲「何のために」の歌詞をよく聴いて、フロレンティナの店の前でケインとアベルがすれ違ったあの瞬間に、2人は気付いたのだろうと考え直した。

♪ケインとアベル
 敵だろうか、ドイツの戦場でみた
   プラザホテルは、あれが最初
 そして怒鳴り合った、金のことで
 上げたこぶし、彼の手首、銀の腕輪
   よぎるすべて
 運命、宿命。言葉にならない今
 なぜあんなに戦ったのだろう

この歌詞は2人それぞれのモノローグとして歌われ、お互いに言葉を交わしているわけではない。
何も語らずとも、お互いの生き様を知らぬとも、激動の時代を生き抜いた男同士として、あの瞬間に理解し合えたものがあったのだろう。
原作小説にはこう書いてある。まずケインの描写。

「そのとき男の手首の、袖のすぐ下のところに、銀の腕輪が見えた。一瞬のうちにすべての記憶がよみがえり、はじめて納まるところにぴたっと納まった。最初がプラザ・ホテル。次がボストン(注:原作ではケイン銀行はボストンにある)、そしてドイツ。そして今は五番街。(中略)すれちがうときに、ウィリアムが帽子を持ちあげて男に会釈した。相手も会釈を返し、やがて二人は一言も交わさずに逆方向へ歩み続けた」

その後ケインは亡くなり、フロレンティナとリチャードに会ったときのアベルの言葉はこうだ。

「実は、われわれは彼が死んだ日に会ったんだよ」(中略)「嘘じゃない。われわれは五番街ですれちがった。彼はきみたちの店の開店祝いを見にきたのだ。帽子を持ちあげてわたしに会釈した。あれで充分だったのだ」
楽曲「何のために」は、原作通りだったのだ。
ここで、少し話を戻して、戦場で死にかけたケインが歌う「また会う日まで」の歌詞を思い起こしてみる。
親友マシューに死ぬ恐怖を語り、死んだら両親にすぐ会えるのかな、など弱気なことを歌いながら続く2番の歌詞はこんな感じだった。

♪ケイン
 光る何か、あのきらめき
 最期が近いとみえる天国への道なのか、
   優しいまぼろしなのか
 違う。誰かが、もうすぐまた会える誰か

ケインの魂が天国に昇っていくかのようなきらめきが舞台の背景に映され、ケインも階段を昇っていく。そして強烈な強い光を背にしながら続きを歌うのだ。最初聴いたとき私は、これは、死に瀕したケインがマシューや両親に思いを馳せ、妻への感謝を述べている辞世の歌なのだと思っていた。しかし、この観劇記を書き始めて考えているうちにもしかしたらと思い、東京千穐楽を観た時に歌詞をできるだけ聴き取ってみた。
すると、この「光る何か」は、アベルの右腕の銀の腕輪のことなのだろうと「ぴたっと納まった」のである。
戦場でケインを助けるときに、味方兵と話しているアベルの台詞で私がよく聴き取れない箇所があるのだが、おそらくアベルが銀の腕輪をつけたまま戦場に来ていることを注意しているのだろう。

続編小説で私が混乱した、「2人は戦場での出会いを知らなかった」と関係者が話したとの記述も、間違ってはいないのだ。あのすれ違いの瞬間にケインとアベルがドイツの戦場でのことを理解し合ったたことを、周囲の誰も知らなかったということなのだ。
ケインは、生きているうちにアベルに感謝をしたのだろう。
アベルも、自分が救った相手がケインであり、それにケインが感謝したことに気付いただろう。すれ違ったあの瞬間に。
しかし、アベルはケインを救った自分の手柄を、フロレンティナにもリチャードにも話さなかったのだろう。なぜだろうか。
もしかしたら、ケインに融資のお礼を言うことができなかったつぐないの気持ちがあったからなのかもしれない・・・そう考えると涙が出てくる。

・「君の名に恥じぬよう」

融資がケインからだったことを知り、泣き崩れるアベル。そこに、霊となったケインも舞台中央から登場する。
フロレンティナとリチャードが訪ねてきて、ケインとアベルの孫息子をアベルに紹介する。
ここでケインは歌う。

♪ケイン
 我々のあやまちを無駄にせず
 君らしく誇らしく生きてほしい
 誰よりも君の名に恥じぬように

この楽曲「君の名に恥じぬよう」は、ケインが1幕の冒頭で高らかに歌った「父の名に恥じぬよう」と同じメロディラインで対になっている。
家族の継承の物語なのだけど、自分のあやまちを認め、考え方を変えた。それは妻や子どもたち、つまり家族のおかげであるが、「君の名に恥じぬように」と本人主体の物語になっていくのだ。
この直前のシーンで、フロレンティナがニューヨーク店をオープンさせるとき、アベルの親友ジョージが「これは君の物語だ」と語り、フロレンティナは楽曲「私にはできる」を歌うのだが、これは1幕でアベルを励ますザフィアが歌った楽曲「あなたならできる」と対になっている。
こうして家族の物語は継承されていくが、少しずつ本人主体の物語に変化しているところが素晴らしい。
思えば、ケインもアベルも両親を早くに喪い、家族の愛に飢えていた。さらにケインは親友のマシューを喪い、アベルは父のように慕っていたリロイを喪った。だからこそ、結婚して家族を作り、子どもに継承していくことを強く望んでいたのだと思う。ケインは父の名を息子につけ、アベルは姉の名を娘につけた。そしてこの運命の息子と娘が出会い子どもが生まれ、その名は・・・

アベルは自分の継承者として、男爵の証の銀の腕輪を孫息子の右腕にはめた。
霊のケインはそっと孫の右腕に手を添える。その表情は・・・アルカイックスマイルのように極力抑えているが、慈愛が満ちているように私には見えた。
フロレンティナが孫の名を呼ぶとともに、孫は銀の腕輪をはめた右腕を空に突き上げた。

「ウィリアム・アベル・ケイン!」

そしてカンパニー全員での大合唱とオーケストラの音楽が響く。毎回涙があふれる。
孫は、ケインの名ウィリアムとアベルの両方の名前を継承した。
それだけではなく、ケインの姓も継承している。アベルは名前を、ケインは姓としてこの物語を作り上げたことが、ここで見事に昇華したと思った。ケインとアベルは、孫によって名前もひとつになれたのだ。
このラストシーンを観ると、ケインとアベルの人生が幸せでなかったはずがない、と思えるのである。

5,ケインの死の意味

長々と書いてきたように、この物語はケインとアベルという2人の男を軸に描かれているが、原作小説はアベルが主人公で、続編小説はアベルの娘フロレンティナが主人公である。
しかしミュージカルでは、ケイン役とアベル役はW主演の扱いで報じられているものの、座長はケイン役の松下洸平さんである。
楽曲も、ケインはソロナンバーが2曲あるが、アベルのソロはない。アベルは松下優也さんの存在感と迫力ある美声でソロのように聴こえる楽曲が複数あるのでわかりにくいが、パンフレットの楽曲紹介を見るとわかる。
ミュージカルではなぜケインを主役にしたのだろうか。
この長い観劇記を書こうと思ったきっかけは、この点を私なりに考察したかったからでもある。

ケインが、自分の命をもって和解と平和をもたらしたからだ、と私は今、考えている。
アベルは心からケインに感謝し、娘と再会し、娘の夫と孫にも会い、ふたつの家族はひとつになった。
物語が一気に動き出したのは、ケインの死がきっかけだ。ケインが死なない限り、弁護士の文章は明らかにならなかった。
そう考えると、アベルが先に死ななくてよかったとすら思えてくる。戦場でのことはすれ違った瞬間に互いに気付き、2人とも年老いて過去のこだわりは捨てる気になっていたけれど、それでもアベルがケインの融資のことを知らないまま死ななくてよかったと思うのだ。
ケインの死こそ、ケインとアベルの復讐劇を真に終わらせるための鍵だった、ということだ。
また、ケインは主役であってもあくまで「受け」である。アベルがどれだけ吠えても、ケインが受けてこそ2人の物語は展開する。そういった点でも、世代を継承する物語を進めている役割はケインなのだろう。



6,「W松下」がキャスティングされた効果

東宝が海外ベストセラー小説を世界で初めてミュージカルにしようと考えたとき、なぜ松下洸平さんと松下優也さんの2人を抜擢したのか。
それは私が知る由もないが、知的で冷静で繊細な「静」のイメージのケイン(青がテーマカラー)は洸平さんにぴったりだし、情熱的で直情的で激しい「動」のイメージのアベル(赤がテーマカラー)は優也さんにぴったりで、他の配役など考えられないほどの見事なキャスティングだと思う。
さらに、ケインは先述のように「受け」の演技を要求されるので、それが得意な洸平さんにははまり役だったと感じる。

また、「ケイン&アベル」を洸平さんと優也さんが演じると発表されてから、「W松下」と称されることも多くなったが、この同じ姓を持っているということが、2人が起用された理由のひとつになっているのではないか、と私は考えている。
創世記「カインとアベル」は憎み合う兄弟の物語で、原作小説「ケインとアベル」も憎み合う男2人の物語だ。
洸平さんと優也さんはもちろん兄弟ではないが、同じ姓というだけで、何か因縁があるように感じられ、十分に宣伝効果があると私は感じた。
しかも原作はイギリスの小説家が書いたもので、作品の舞台はアメリカ。クリエーター陣は海外スタッフだ。いずれブロードウェイやウエストエンドでの上演も視野に入れているだろう。その宣伝として、日本初演の映像は将来的に繰り返し使われるはずである。
英語で2人の名前が表記されるとこうなる。

  Kohei  Matsushita
  Yuya   Matsushita

日本初演公演を報じた英語の記事は、「Matsushita」がふたつ並び、視覚的にインパクト大だ。同じ姓の2人の俳優の名前を見て、兄弟で演じるのか?と勘違いする人が海外には一定数いるような気がする。「ケインとアベル」のミュージカルを日本の俳優が演じるが、その2人は同じ姓。もしかして兄弟?!・・・と勘違いさせ印象付けるには抜群の効果があったと思うのだ(もしかしたら日本人でも勘違いした人がいたかもしれない)。

私自身は舞台をよく観るようになってたかだか5年だが、その私でも、作品によって観客動員数がかなり異なることは知っている。こんなに良質な作品なのに、有名な作品なのに、と思うような舞台が千穐楽でも満席にならないことなどはざらだ。激しいチケット争奪戦となるのは一部の超有名作品か、人気俳優が出ている作品だけだと思う。
「ケイン&アベル」は世界初演ということで前評判もなく、どれだけ観客を動員できるか未知数だったが、連日満員という大成功の結果となった。特に初日の幕が開くと、評判が評判を呼び東京千穐楽は当日券を求める長い行列ができ立ち見まで出た。
洸平さんも優也さんもいわゆる音大声楽科卒のミュージカル俳優ではない。しかし2人ともシンガーとしてデビューしていて音楽の背景はR&Bだ。歌と踊りの上手さは今作を観た人は皆同意するだろう。
ミュージカル界の大ベテランである山口祐一郎さんが、東京千穐楽のカーテンコール挨拶で、「こんな2人を30年間待ってました。2025年、ケインとアベルでミュージカル界は変わります」と持ち上げてくれたが、ミュージカル人気が高まっている日本で、実力・人気ともに備えている新しいスターが求められていたことも確かだっただろう。

7,洸平ケインの魅力

このミュージカルで、洸平さんは多彩な魅力を存分に披露している。
まず演技。高潔で理知的なケインは抑え目の演技が続く。眉間のしわに浮かぶ苦悩、困ったような苦笑い、喪失の悲しみ・・・負の感情を伴う表情が多いので、ケイトと出会ったときの恥じらいや恋する瞳、子どもが生まれたときの嬉しそうな笑顔が眩しい。2幕からの吹っ切れたかのように怒りをあらわにする感情の爆発も見事だった。
また、戦場で撃たれて倒れるシーンは、舞台「母と暮せば」で被爆した浩二の姿を彷彿とさせて涙なしでは観れなかった。フィナーレで霊となったケインが孫を見守るときのアルカイックスマイルのようななんともいえない慈愛の表情も、「母と暮せば」のラストで浩二が階段の上に戻ってからの表情を思い出した。
洸平さんだからこれらの繊細な心の動きを細かく表現できたのではないかと思う。舞台でも大げさに演じずに観客に届ける演技力は、演出家の栗山民也さん仕込みだろう。
歌はもちろん上手い。アーティストとして歌っているときより腹から声を出して低く太い声で、伸びやかに歌い上げていた。かと思えば語り調で歌う場面はリアルだし、怒鳴ったりがなったりという怒りの語り調が公演を重ねるごとに白熱していた。それだけ大きな声で歌い続けても喉は枯れることなく、豊かな声量は東京千穐楽までの32公演保たれた。2幕の「また会う日まで」の最後の(ファンにとって)ご褒美のようなファルセットは、透明ではかなくて、舞台セットも相まって天国まで届きそうであった。
ダンスシーンも多い。チャールストンダンスも完璧で両足とも跳ね上がり宙に浮く瞬間もあるほどのキレの良さだったし、アイソレーションダンスもお手の物だった。洸平さんはヒップホップを中心に中学から20年以上もダンスを真剣にやってきたのだから。
ミュージカルへの出演は2018~2019年の「スリルミー」以来約6年ぶりだった洸平さんだが、今後もミュージカルに出てほしいと思ってしまった。
2幕計2時間35分の間に洸平さんは何度も何度も着替える。ほとんどが銀行家らしいピシッとした三つ揃いスーツで、ハットをかぶったりコート姿もありとにかくよく似合う。戦場に向かうシーンでは舞台上で軍服に着替える演出もあった。軍服も過去の舞台で着慣れているので似合う。

これだけ大きな作品、お手本がない世界初演ということもあり、座長としてのプレッシャーも相当だったと思うが、アベル役の優也さんと信頼関係を早々に深められたことも大きな支えとなっていただろう。
東京初日のカーテンコールの動画のように、お辞儀をするときは洸平さんはいつものように真剣な表情だった。が、公演回数を重ねるごと、カテコでは優也さんとともに上手と下手から舞台中央に向かってダッシュで駆け寄ってハグし、笑顔で出てきて笑顔でお辞儀したり、小さくガッツポーズをした日もあった。
カテコの挨拶は、優也さんに途中から任せることも多く、1人で抱え込まない姿勢が良いと思ったし、この信頼関係があるからこそ、シングルキャストにもかかわらず、誰一人欠けることなく全公演を完走できたのだと思った。

東京千穐楽のカテコ挨拶では、周囲や観客への感謝の気持ちも伝えたうえで、洸平さんから始めて「0番」という言葉を聴くことができた。これまで「真ん中」とは言ってきたけれど、それは映像の世界のこと。
「自分はもうミュージカルやることないかなと思っていたら、こういった機会をいただいて。こんな素晴らしい皆さんに支えられて、0番に立たせていただけたという、こんなに幸せなことはありません」
胸がいっぱいで私が号泣した。「ケイン&アベル」で洸平さんがまたひとつ新たなステージに上がったことは間違いないだろう。

○東京千穐楽カーテンコール

カーテンコール1回目、いつものように舞台両袖から走って駆け寄った洸平さんと優也さん、0番でがっしり抱き合う。そして1人ずつお辞儀。2人とも満面の笑顔。
カテコ2回目で洸平さんが座長挨拶。
「本日はケインとアベル東京千穐楽にお越しいただき誠にありがとうございました!
えー 何を話しましょう。出たとこ勝負にしようと思ってまして・・・まずはご来場いただいたお客様おひとりおひとりに感謝しております。1階席2階席3階席、一番奥の皆様まで、皆様が居なければ叶わなかったことばかりです」などと言うと、いきなり松下優也さんに丸投げした!
優也さんはすぐにそれを受け止め(さすが相棒!)両手を広げて挨拶。大歓声のなか、「勝ったぞー」と笑顔で冗談ぽく。
そして、
「この日が迎えられてマジでホッとしてます。ケインとアベルは歴史を刻んだと思ってます。世界初演ということで皆さんそれぞれ未知なる期待と緊張があったと思います。千秋楽を迎えることが出来たのは支えて下さった皆様のおかげです。お客様もスタッフさんもオケの皆もそう、キャストの皆もそう、本当にありがとうございます!
俺も何しゃべるか忘れちゃった。シングルキャストでここまでやるって久しぶりでしたし自分も未知なるものがありました。コロナになってから、初日から何事もなく千穐楽を迎えるのは当たり前じゃないと知ってるので・・・すごくない?(と、観客に。大拍手が起きる)
そして、後ろにいるみんな!(とアンサンブルの方々に向かって)僕らは自分の役だけやってるわけですけど、皆さんいろんな役をやってるわけです。そしてスウィングの2人!毎公演ずっと袖に居てくれたんですよ。何かがあったときのために、ありがとう!スウィングとアンサンブルの皆にも大きな拍手を!
そしてオケのみんな!」
すると山口祐一郎さんがオーケストラ指揮者を舞台前面に引っ張ってきてくれた。
優也さん「毎公演ありがとうございました。 1曲歌ってください!あ、歌専門ではないですね(笑)。ありがとうございました!(指揮者は戻り、優也さんの話が続く)
この公演は世界初演なので、再演だったり海外でやっていて作品を知った上で来てくれるわけではないから、どうなるかわからなかった状況で、これだけの方に観てもらえて本当に嬉しいですし、世界初演を目撃していただいて本当にありがとうございます。
皆さんの拍手や歓声がこの作品を完成に持っていってくれたので、沢山の応援をありがとうございました!
32公演でもらったパワーを大阪での10公演に持っていきたいと思います。
そして、何よりも我らが座長、松下洸平!(大拍手!)
この作品への出演を決め、大きなプレッシャーを乗り越え、よくぞここまで。すごい!いっつも俺のこと最高の相棒って言ってくれるけど、あんなが一番最高だよ!
(洸平さん、まぁまぁまぁまぁとか照れくさそうに相づち)
稽古場からね、穏やかな海みたいな感じでね。出す方の膿じゃないよ。(わかってるわっ、と照れくさそうに返す洸平さん)
本当に洸平くんがケインだったから自分もアベルを出来たと思う。最後の歌で向き合って歌ってるときちょっとね・・・役を超えるものがね」
洸平さん「わかります。いやーほんとに・・・」
と、2人見つめ合ってこみ上げるものを噛み締める感じ。

そして洸平さん挨拶。
「デビューが22歳でミュージカルで、お芝居面白いなとこの世界に飛び込みまして、長い間演劇に携わっていたんですけど、7年くらいミュージカルからは離れていて、自分もうミュージカルやることないかなと思っていたら、こういった機会を頂きまして、こんな素晴らしいキャストの皆さんに支えられて、0番に立たせて頂けたという、こんなに幸せなことはありません。(大拍手で途中よく聞こえず)
スタッフの皆さん、重たいキューブを動かしてくれてる演出の皆さんにも大きな拍手を。初日から今までサポートしてくださった全てのスタッフの皆様に感謝しています。
どれだけ一生懸命稽古をしても、来てくださる皆様がいらっしゃらないと成り立たないです。今日は立ち見もいらっしゃると聞きました。もう終わりますんで(笑)
最後までケインとアベルを愛して下さった皆様に感謝します。
そして大阪に参ります。我々さらに精進して参りますので、皆様どうぞ応援よろしくお願いいたします」

最後に洸平座長が、
「本日はご来場いただき誠にありがとうございました!」と掛け声。
全員そろってお辞儀。そしてオケの音楽とともに全員退場。洸平さんと優也さんは最後に肩を組んで退場。
会場はオケの軽快なテーマソングに合わせて手拍子。
音楽終わると大拍手!

普段ならこれで終わり。
しかし大千穐楽。そのまま拍手が止まらない(もちろん私も拍手し続けた)。

すると、全員また登場!3回目のカテコ。
洸平さん「我々はもう語り尽くしたので、ザ・グランドミュージックという大きな看板を我々に背負わせてくださった山口祐一郎さん」とふると、山口さんは会場に向かって手を広げ、拍手が止まるように1本締め!
そして山口さんは、
「オジサンはもう思い残すことありません。
洸平さん優也さん、こんな2人を30年間待っておりました。2025年、ケインとアベルでミュージカルの歴史が変わります。これをリードしたのは洸平さんと優也さん2人の信頼関係と友情だ!」と。
さらに山口さんは、
「こんな素晴らしい作品が東京でもう二度と観られない、こんなことが許されるかー」と、会場に向かって威勢よく言い、突然コール&レスポンスが始まった。
山口さんは、洸平さんと優也さんら若手俳優に花を持たせるように持ち上げてくれたり、会場を盛り上げるお手本を見せてくれたのかなと思う。
そして全員が退場したが、すぐに洸平さんと優也さんが肩をがっしり組んで2人だけで登場してくれて、4回目のカテコとなった。
2人ともたぶんお礼の言葉を叫んでいたと思うのだが、会場が大歓声で1階の後方席にいた私には全く聴こえず。
2人は肩を組んだまま笑顔で舞台上手にはけて行き、東京での全公演が終了した。

○雑観

・作品中のイメージカラーであるケインの青、アベルの赤に合わせ、舞台装置も青と赤を基調にしたキューブボックスが2つ登場し、それに階段を組み合わせて展開させていた。
シンプルながらも動きのあるセットだった。

・衣装がすべてカラフルでお洒落。フロレンティナの店に並んでいる服は私が買いに行きたいほどであった。
一方、男性陣のスーツはスタイリッシュでかっこよかった。

・洸平さんも何度も出演したミュージカル「スリルミー」の元の事件である「レオポルドとローブ事件」が起こったことが、原作小説に書いてあった。

・戦場で死にかけて倒れている洸平ケインを、アベル優也が肩に乗せて抱えるいわゆる「山賊だっこ」をして運ぶのだが、おそらく洸平さんがそのような姿で運ばれる役をすることは今後ないだろうと思い、貴重なものを見られて嬉しかった(と私が話すと、友人がレ・ミゼラブルのマリウス役を今後やるかもしれないよ、と言っていたが!)。

・ブルーミングデイルズのフロレンティナ(ジェシー)の同僚、エミー(咲良さん)は、シーンの始まりにイケメン談義をするのだが、なんとそれがアドリブのょうで毎回エピソードが異なっているということに気付いた観客がいて、
#エミーのイケメン大図鑑 というタグがXで爆誕し、毎回のエピソードが集まっていた。キャストにもタグのことが伝わって、盛り上がりを見せ、東京千穐楽ではエミーが登場すると会場から拍手が沸き起こった。キャストと観客が一体化する幸せを感じた瞬間だった。

・踊れる軽快な楽曲が多いので、初日からしばらくはおとなしかった観客も、繰り返し観劇する人も増えたからだろう、東京公演後半には観客から手拍子が起こるようになり、終盤は毎回ノリのよい手拍子で盛り上がっていた。それに合わせるかのように、特に、植原マシュー、上川ジョージ、竹内リチャードたちのアドリブも炸裂していて楽しかった。

Frank Wildhorn on Instagram: "First reviews are in for Kane and Abel the Musical!! 🌟🌟🌟🌟🌟 Theatre Orb Tokyo 🎭 Original Book by Jeffrey Archer Book for stage and direction: Daniel Goldstein Music: Frank Wildhorn Lyrics: Nathan Tysen Choreography: Jennifer Weber Arrangements and orchestrations: Jason Howland Mr. Ikeda and @toho_stage_musical #cube 🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟 Stunning performances by: Kohei Matsushita as William Kane, Yuya Matsushita as Abel Rosnovski, Miyu Sakihi as Florentyna, Rina Chinen as Zaphia, Ayu Manaka as Kate Brooks, Kazuya Kamikawa as George Novak, Takuya Uehara as Matthew Lester, Masato Takeuchi as Richard Kane, Takuya Kon as Henry Osborne, Toru Masuoka as Alan Lloyd, and Yuichiro Yamaguchi as Davis LeRoy.  🎭 Kane and Abel is presented at Tokyu Theatre Orb, Shibuya from Wednesday January 22nd to Sunday February 16th, followed by a regional tour at Shin-Kabuki-za theatre, Osaka from Sunday February 23rd to Sunday March 2nd 🎶 @frank.wildhorn @doctorpickles @jasonhowlandmusic @dannymg @jenniferwebernyc @toho_stage_official #Cube #KoheiMatsushita @kouheimatsushita_official #YuyaMatsushita @matsushitayuya #MiyuSakihi #RinaChinen #AyuManaka #KazuyaKamikawa #TakuyaUehara #MasutoTakeuchi #TakuyaIma #ToruMasuoka #YuichiroYamaguchi #wildhornmusicals #wildhornmusicalfamily @jeffrey_archer_author #JeffreyArcher #pagetostage #worldpremiere #Tokyo #musicaltheatre #KaneandAbel #repost @dannymg" 455 likes, 4 comments - frank.wildhorn on February 5, 2025: " www.instagram.com






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