あんたの顔見てるとこっちまで気分悪いという母
こんにちは。
春は天気が不安定ですよね。
気温も朝晩の差が激しく体調も崩しやすいかもしれません。お気をつけくださいませ!
さて、今日も前回に引き続き幼少期のことを書いていきたいと思います。
前回も書いたのですが、私は幼少期にとても不安感が強い子でした。幼稚園や小学校に行くことも毎日心配事があって、憂鬱でしたし、一般的に子どもが喜ぶ行事、遠足や運動会などもとても苦手でした。楽しみだと思ったことはあまりありませんでした。
なので、普段から不安が顔に出てしまっていることが多かったと思います。
そんな時に母に言われた言葉を思い出しました。
「あんたの顔見ているとこっちまで気分が悪くなる」
「根暗」
という言葉でした。
この言葉をよく言われたのは、週末に車でお出かけをする時が多かったような気がします。
私は車酔いしやすく、いつも気持ち悪くなっていたため、一人で吐くことにもすっかり慣れて、自分で袋を持って大人しく袋に吐くような子でした(汚い話になってしまいすみません…)。間に合わずに車や洋服を汚してしまうということはほとんどなかったかと思います。
とにかく、毎回酔ってしまうので、長時間の車移動や幼稚園や学校行事のバス移動はとても心配でした。家族のお出かけならまだ、私が体調が悪ければ休憩してもらえたりはできますが、団体行動だとそうはいかないので、本当に不安でした…。
今回は家族でのお出かけの時のことを書きたいと思います。
私はほぼ毎回酔わないだろうかという不安を抱えて車に乗っていたので、楽しく会話をしたり、ニコニコ笑ったりと家族団らんの時間を心から楽しむことができていなかったことが多かったのだと思います。子どもらしく騒いだりする性格でもなかったですし、大人しく窓の外の景色を見ていた方が気分も落ち着きました。そうすると、会話に入って来ない、不機嫌そうな顔をしているといつも指摘を受けました。「これから楽しいところに行くのに、どうしてそうやって不貞腐れた顔をしているの?」と何度言われたことでしょう。これから向かう場所は楽しいところかもしれないけれど、車に乗っている今現在は私は楽しめていなかったので、ニコニコ笑顔にはなれなかったんですよね。そこに母からのそのような言葉を浴びせられて、さらに笑えなくなっていたんです。だんだんと表情も曇っていってしまい、しまいには不貞腐れたような状態になってしまっていました。自分でも、自分なりに楽しみにしているということを伝えそびれて、もう後には引けない状態になっていたことを覚えています。
ここまできてしまうと、母は怒り出します。「みんなでせっかくお出かけしているのに空気を壊すな」、「楽しい雰囲気が台無し」「、あんたのそういう顔を見ているとこっちまで気分が悪くなる」とのこと。心の中では、「こっちこそあんたが金切声を挙げて気分悪いわ」と反発していましたが、口には出しませんでした。そして、お決まりの「あんたは行かなくていい、ここで降りなさい」、「歩いて帰りなさい」攻撃が始まります。
私が小さい時には母は免許を持っていなかったので、父が運転をしていました。上記のように私が母に怒られていても、父は車を停めたり降ろそうとしなかったため、私が途中で放り出されることはなかったのですが、その時父が庇ってくれたり、なだめてくれたりしていたという記憶はほとんどありません。母の金切声は父も嫌いだったため、「そうやって怒るの辞めたら?」くらいのことは言っていたかもしれないです。
(母は怒りだすと手が付けられず、間に入った人に必ず火の粉が飛ぶので、誰かが助けるということはあまりなかったかと思います。母が怒りだすと自分に的が向かないようにと大人しく振る舞うようになります。)
不機嫌のまま目的地に着くか、その前にお昼の時間が来て、何を食べるかでまた揉めるかのどちらかが大半でした。前回も書いたのですが、私はかなり偏食で食べられるものが少ない、弟も私程ではなかったですが、偏食で少食、母もなんでも食べられるというわけではなく、お店を決めるのはいつも一苦労でした。私はすでに不機嫌なので、口は出さずにいることが多かったのですが、「あんたが食べられるものが一番少ないんだからあんたが決めなさい」とかでまた怒られたり…。正直私はそんなのどこだって良かったです。お店を決めて入ってくれればそこで食べられるものを探しますし、そもそも車酔いで気持ちが悪いのであまり食べられないので、パンでもご飯でも少し胃に入れられれば十分くらいでした。
食べることが好きな子どもなら、あそこが良い、あれが食べたいと意見が出てくるのでしょうが、うちではそんなことにはなったことがありませんでした。親としてはそれが不満だったんでしょうかね…
子どもとしても、外食のお店を決める瞬間は毎回嫌でしたけど。
と、外食についてはこんな感じでした。
「あんたの顔を見てるとこっちまで気分が悪くなる」と言われたことに話を戻しますと、そう言われたところで、私の表情が明るくなるわけはなく、ますます暗くなっていきます。それにますます怒る母…と悪循環が続きます。しかし、目的地には着いてしまうわけですから、来たからには楽しく遊びたいし、遊ばせたいという気持ちがどちらにもあったんだと思います。なんとか本来の目的であるそこで遊ぶということをするのですが、私は子どもなので、遊んでいるうちに楽しくなってきて、笑顔も増えていきます。そうすると、親は満足そうにしつつも、「さっきまで不貞腐れていたのに、すぐに態度を変える、気分屋」というようなことをわざわざ言ってきます。私はそのような言葉を聞いて、「さっきまで機嫌が悪かったら、すぐに楽しんではいけないんだ?」と疑問を抱きます。そして、私はまずは反省しなきゃいけないのかなとか、楽しまない方がようのかなとか、いろいろな考えが巡ってしまい、また表情が曇っていってしまうこともありました。そんな様子を見て、「いいんだよ、楽しんで遊べば」と言う時もありましたし、「また暗くなって、面倒な子」という時もありました。
まず、親が子どもの顔を見ていると気分悪くなるから見たくないと子どもに言うことは、結構な出来事じゃないでしょうか。言ってはいけないことだと思います。顔を見たくないと言われると全否定された気分になりますし、「どんな時も受け入れてくれる親」、「いつでも好きでいてくれる親」という存在は無くなってしまいます。愛着の形成ができなくなってしまうのではないかと思います。「根暗」、「のろま」、「くず」みたいな暴言もよく言われました。今思うと人格否定ですよね。おかげで私は自分のことを根暗だと思ってしばらく生きてきてしまいましたが、本当はそんなことはなく、おしゃべりでお調子者みたいなところもあるのに、どうして本当の自分が出せないんだろうと学生時代はだいぶ悩みました。
また、今でも思うのですが、私は自分の行動や気持ちをわざわざ言葉にして代弁?してくることがとても嫌です。上記の子どものころのエピソードで親が自分の心の変化を私に伝えてきたり実況のように言って来たりすることに対して、観察されている感じがなんとも言えない不愉快さを感じます。「さっきまで不貞腐れていたけど、ちゃんと楽しめているな」と心に留めておくか、両親間で会話する程度で終わらせてほしいと思っています。それを遊んでいるその時や、帰りの車の中とかで、「あんたコロッと態度変わったよね」「こうだったようね」と解説されることが嫌いでしたし、今でも嫌です。今も母は結構私の行動を目のまえでわざわざ解説したりします。あとは、父が私を見て、私について何か思ったことを母と共有するために母に言った際には、母は自分で止めることはできず、私に「パパがあんたのことこう言ってたよ」よ伝えてきます。良いことも悪いこともです。私は、父と話した時はそんなこと言っていなかったのに、本当はそんなふうに思っていたんだと悲しくなったこともありますし、そんなことまで見られていたんだと気持ち悪くなったこともあります。子どもの成長や子どもの特性を話す時は親の間で共有して、それで終わりにしてほしいなと思います。例えば、父と普通に話した後に、母から「パパがあんたわがままだなと言ってたよ」とか、父に職の相談をした後に「パパがあの子はなんでちゃんと働けないんだと言っていたよ」とか言われたことがあります。あとは、容姿のことなどもパパがこう言っていたよ言われたりしていました。
そんな風に言われていたということを知ったら、もう父と話したくないと思うのは当然だと思ってしまうのですが、どうなのでしょうか…。
母は自分で私から父を遠ざける行為をしていますが、父も母も私自身が父が嫌いで避けているとか思っていると思います。避けているわけではないのですが、そういうことを聞くのが嫌なので、必然的に関わりたくなくなってしまいます。
このような体験があったからなのか(私はそうだと思っています)、私は自分について人から何か言われることがあまり得意ではありません。せっかくアドバイスをくれている人に対しても、少し距離を置きたくなってしまうこともあります。とにかく、自分に注目していたということが分かるととても嫌なのです。
会社での評価も嫌ですし、自分の行動によって、こう人が思った、考えたということをフィードバックされることがとても苦手になりました。
夫からは、人の意見を気にしすぎと言われますが、そうなってしまったのも必然的かなと思ってしまいます…。
親の影響は子どもにとってとても大きいですよね。
私は、子どもの発達の知識がなく子育てすることにとても不安と恐怖を感じますが、私の両親はそんなこと考えなかったんだろうな。時代もありますかね。今のように情報社会ではなかったですし、子育ての理論もだいぶ変わってきていますよね。
自分は子どもに同じことをしないように気をつけたいと思っています。
いつも書き出すと、書きたいことが溢れてきてしまい、まとまりがない文章になってしまいますが、それも私の今の感情を表していて、素直な文章になっているかと思います。
乱文失礼いたしました…!
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