面白みの求心性
面白いものは注目される。エンターテイメントでもなんでも面白くなければ売れないし人気にもならない、注目されるには何かしら面白い要素が必要なのである。ただ、売り物そのものが面白い必要はなく、なにか一要素が二次時創作的に面白いケースもあったりはする。嘘に関してもこれは同じで一つの嘘に信憑性がなくともその嘘を引用したものに信憑性があれば嘘は信じられたりする。
では信憑性はどこから来るのか、色々な信憑性のモトはあるが面白味というものからくる信憑性というのがある。
人というのはつまらないものより面白いものに惹かれるというのは説明した通りであるが信用する時もそれは適応される。つまらない本当よりも面白い嘘の方を信じる場合の方が多いのである。
例えばあるコロナ禍初期のころ、その当時中国で爆発的に感染が拡大したコロナウイルス、そんなウイルスをダイアモンド・プリンセス号というクルーズ船が持ち帰ってきてしまう、そんな時、一人のYouTuberがこの船に乗っているといった動画を投稿した。たちまち世間はそれを取り上げ、日本にコロナが入ったというニュースをロシアの国営放送が報じた時にもその映像は使われた。しかし、実際はそのYouTuberはダイアモンド・プリンセス号に乗っていなかったということが判明した。
そのYouTuberはある程度知名度もあったので少し炎上したようだ。少しですんだのは元々そのYouTuberが炎上系と呼ばれる炎上を売りにしたYouTuberだったからである。
さて、なぜ皆信じたのか、やはり面白かったからだろう。そのYouTuberが自宅で撮っているという事実よりコロナが蔓延する船の上で過ごしている方が面白いし気になるのだ。
しかしまぁただ面白いだけでは人は見てくれない、現代は情報過多の時代と言われ、多くの情報の中からわかりやすい情報を選ぶ傾向がある。そう、パッと見て面白い情報である必要があるのだ。ではパッと見て面白い情報はどうやって作るのか、恐怖や憐れみなどの感情を揺さぶる方法、それから権威付けを使う方法の二つが手っ取り早いだろうか、
この面白さによる嘘は情報過多の現代、さらに力をましており、今後さらに効果は強くなるだろうと考えられている。