伝説→リアル 変換──伝説は実際はどうだったのかを置き換える事典──
鬼が出てきて人が龍になり神にもなる、天狗の元で修行をし力を手にする者が居れば天狗にさらわれ遠くの町に行ってしまう者もいる。
私はそういう話が昔から好きでよく地域資料なんかを集め回っている。私の地元は片田舎にあるのだが、そこですらそういった伝説が数多く残っており、人から人へ伝えられ私たちを楽しませてくれる。そして楽しいだけでなく多くの伝説は出来事が起こった場所を伝えてくれている。
俵藤太秀郷が龍女に頼まれて山を7周半するほどの大きさがあるムカデを退治するという伝説では龍女は滋賀県大津市瀬田にある瀬田の唐橋の辺りに住んでいたとされるしムカデが7周半のとぐろを巻いていた場所は滋賀野洲市にある三上山である。
別の話でいえば平将門のさらし首が京都から東京辺りまで飛んだ伝説では首は京都府京都市の七条河原の辺りに晒されたとされ、東京辺りまで飛んで最後に落ちた場所は千葉県市川市の不知森神社(通称、八幡の藪知らず)となっている。
このように場所が伝えられており「この場所でこんなことがあったのか」と思いながら訪れるのもまた良いもので伝説とはかく様にお話以上の価値を持ち合わせており伝説の地は聖地になって人が来ることからビジネスとしても活用される。
しかし、伝説というものは九割九部嘘であり実際の体験に尾鰭がついたものや土地に神の七光りを与えるために完全に創作したものが多い。つまり残念ながらお話に出てくる喋るキツネやタヌキといった可愛らしい奴らも九割九部はいないわけである。だが、それら含め前述の通り多くの伝説には元となった体験があるのだ。
ここでは伝説の元になった話はこういうものなのではないかという多くの推測を挟みつつ歴史的事実を以て話のリアルを探ろうとするものである。
鬼が出る
鬼というのは元の漢字を辿れば死体を表す漢字であり中国では死者の魂そのものをあらわすとされている。それが日本に輸入されてから形はどんどん変わっていき今の赤い肌に2本の角、虎のパンツを穿いた鬼になったわけだ。
もっとも、それは1番メジャーな姿であり他にも地獄の牛頭馬頭や獄卒、餓鬼道の餓鬼、丑の刻参りで普通の女が妖怪化した鬼女など様々な鬼が言い伝えられている。様々な言い伝えが現代にまで残っているがいちばん有名な鬼といえば酒呑童子だろう。
酒呑童子は大江山に住んでいたとされる酒と女の好きな鬼で京都の貴族の娘を次々にさらったために源 頼光とその仲間たちが討伐に行き、酒呑童子が酒を飲んで寝ている最中に首を切ったといわれている。残りの鬼たちも頼光一行が殺し尽くさんとしたが酒呑童子の有力な手下であった茨木童子だけは逃げ延びたという。逃げ延びた茨木童子はその後に一条戻り橋で頼光の部下である渡辺 綱と戦い腕を切り落とされている。
さて、他にも鈴鹿山脈には鈴鹿御前という鬼がいて、退治を命じられた坂上 田村麻呂は鈴鹿山脈に向かうがそこで鈴鹿御前に恋をして子供までもうけたという鬼と恋に落ちる物語というのも残っている。
様々な地域に鬼の伝説というのは残っているが実際のところ彼らの正体は朝敵や山賊などであったとされる。
代表的な例を出せば大墓公 阿弖流為(たもきみのあてるい)と磐具 母礼(いわぐのもれ)のようないわゆる蝦夷(えみし)と呼ばれるような関東・東北地方に住む人々は鬼として描かれることがあった。というのも当時は関東・東北地方は京都から見れば未開の土地で分からないことも多かった。未開の土地への無知と恐れから野蛮人が住んでいると考えるようになり、それに朝廷が東北地方を侵略することの正当化のために彼らを鬼とした。
後に坂上田村麻呂が阿弖流為を倒した話は鹿島神宮文書の中で藤原頼経という人物が悪路王という鬼を倒したという伝説のもととなったとされ、藤原頼経の出とする九条家の威光を強めるためにこのような伝説が生み出されようである。
さて、このように多くの鬼たちは政治のために鬼にされ悪とされてきた人々だった。こうして見ると本当の鬼というのは彼らを鬼扱いした朝廷なのかもしれないと思えてならない。
龍となって天まで登る
"りゅう"というのは二種類いて、西洋の竜、いわゆるドラゴンと呼ばれるような二本足で立って火を吐く生物ともう一方、東洋の龍、中国やアジア各国で見られるような蛇の如く細長く──場合によればそのままの蛇の姿をしていることも少なくない──鹿の角に項は蛇、鱗は鯉の鱗で拳は虎、爪は鷹の如き生物とされる。今回紹介するのは東洋の龍である。
東洋では風水学の中で龍は気そのものとされたり、雨を降らす水の神とされたり、仏の眷属とされたり様々な面を持っている。
その中でも特にピックアップされることが多いのは水の神としての側面である。水の神の中でも水源の神であり──他には水を適度に分配する水分神(みまくりのかみ)や水そのものの神である罔象女神(みずはのめのかみ)などがいる──また、雨を降らせ、雨を止ませる神でもある。
雨というのは作物を育て、生命を育む非常に大切なものであるから、その分、水の神である龍神というのは重要視され多くの伝説に登場する。
例えば雨宮龍神社の伝説ではこの神社の前に居た白陀をしばき倒したら──正しくは一撃棒で叩いただけとされる──雨が降ったという。
他にも龍光寺の伝説では旱魃が寺の辺り一帯で起こった際、行基上人がやってきて法華経八巻を読む儀式を行うと龍が出てきて「人間懲らしめるために大竜王が旱魃引き起こしてるよ、でも君の仏恩に報いるために雨降らすね、それしたら私が大竜王に殺されるけどね」と話して間もなく雨が降った。そして雨が止んだ頃に例の龍が頭・腹・尾に分かれて落ちてきたという。人々は龍を弔うために寺を三寺建立したそうだ。
と、まぁこのように雨と龍には深い関わりがあるがこれらに関してはその地で雨乞いの儀式をして雨が降ったという出来事を物語チックにするために盛りに盛って作り上げられた話だろう。
龍の伝説には別のパターンもあり、人が龍となるというものである。
兒神社に残る伝説では寛朝大僧正が遍照寺山腹の辺りで龍に変わり天に昇ってしまい残った稚児は悲しみにくれ入水したという伝説が残っている。これは恐らく単に死しただけだが、寛朝のすごさを演出するために龍となったという伝説が創られたと考えられる。仏教説話にはこうした仏教徒が徳を積んで壮大なラストを迎えるというものも多い。
さて、龍というのは神聖視されがちであるから小さなことを大きく見せるためによく使われる事が分かっただろう、それだけ龍には華があり金の輝きの如き価値を人々は古くから見出していたのである。
怨念が災いをもたらす
日本にはそれはそれは面白い文化がある。アニメやゲームも面白い文化であるがそれよりもっと昔からある御霊信仰の文化だ。
御霊信仰というのは簡単に言えば災いの元と思しき人物の魂を祀るというもので、例えば天神信仰は有名だろう。
菅原道真公は右大臣として醍醐天皇に仕えていた。そしてある時、左大臣の藤原時平に「宇多上皇を欺き惑わした」とのデマを流された結果、醍醐天皇の命令で大宰府へ左遷され、その後は都を恋しく思いながら死んで怨霊となったとされる。道真が死して以降、醍醐天皇の皇子である保明親王が死に保明親王の子供も死に清涼殿落雷事件が発生、これにより火雷神と同一視され恐れられ、北野寺にあった火雷神を祀る北野神社に祀られることとなった。
他にも平将門も怨霊として語られることが多いが、討ち取られた当初は平氏の英雄や武神的扱いを受けていた。しかし近世になって歌舞伎や浮世絵の中で怨霊として描かれたこと、近代になって将門の首塚が開発されそうになった時に何度も事故が起きたことから怨霊扱いされることとなった。
ちなみに人でなくとも強い力を持っていれば祀られることがある。九尾の狐なんて有名だろう、鳥羽上皇が病に伏せた時、陰陽師の安倍泰成はその原因が上皇の寵愛を受ける玉藻前という女性であるとつきとめ、安倍泰成が真言を唱えると玉藻前は九尾の狐の姿となり逃げた。逃げながらも女性をさらうなどしていたため上皇は討伐軍を組み最後は討伐軍に殺されることとなる。しかし死後、玉藻前は殺生石に変化して近くを通る人々の命を奪うようになったがその後、玄翁和尚という人物によって破壊され殺傷能力を失ったとされる。
さて、三つ例を出したが共通するのは不運が起こることである。人間にはアポフェニアと呼ばれる無意味なものからも規則性を見つけたがる性質があり、不運には理由があるはずだと平安貴族たちや昔の村人は考えたわけだ、身内が次々に死ぬのは怨霊のせいだと、こじつければいくらでも辻褄なんて合うわけだ。こういったこじつけの先に怨霊が災いをもたらすという伝説が生まれたのだろう。
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