優柔不断は完璧を求めていたから。間違ってもいいと認めてみることにした。
優柔不断。それは、性格で変えられないものだと思っていた。
昔は、一つ服を買うにしても、3回ぐらいデパートの中をグルグル回って、ようやく決めていた。いや、結局買わないこともあった。
レストランの注文も、旅行の行き先も、人との約束も、決めるまでに時間がかかる。一度決めたことを、その1秒後には別の選択肢が良かったんじゃないかとグズグズ考えてしまう。
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最近、それが完璧主義から来るのだと言われた。後天的に身についたものだとも。
テストの答え。
親や社会の常識。
周りの目。
そういったものを通して、どこかに正解があるように錯覚し、正しくあれと教えられてきた。そう無意識に訓練されてきたらしい。
でも、結局はなにを選んでも正しい。どれを優先するかだ。
頭では分かっていても、いざ決断の時になると脳の理論的な部分がストップする。特に、不安いっぱいだったり、ネガティブな時は、決められない。普通だったらしないようなことをしてしまう。
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去年、自分がいっぱいいっぱいだった時に、ある人にすごく迷惑をかけた。言ったことを覆したり、約束を反故にしたり、大人げないことをしてしまった。
その人は、何も言わずに去ることもできたのに、私のそういった部分を指摘してくれた。きっと指摘するのもエネルギーがいったことだろう。悲しかっただろう。
でも、その人のおかげで、自分の弱さにはっきりと気がつくことができた。
頭がぐちゃぐちゃになっている時は、冷静な判断ができない。それはそうかもしれない。
だからこそ、
心と身体のコンディションを調節できるようにしよう。
自分の視点だけではなく、相手の視点も想像して、俯瞰して見るようにしよう。
自分の本当に欲しているものを、見極めて選ぶ癖をつけよう。
あの時の経験は、それをハッキリと実感するために起きたのかもしれない。
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人は毎日が決断の連続だ。
なにを着るか。
なにを食べるか。
どこへ行くか。
どのルートで行くか。
なにを言うか。
言わないか。
無意識の中で決めている。
これまでは、完璧主義で、間違うことが怖かった。失敗したくなかった。でも結局、どっちの選択肢もアリなら、結果はなるべく気にしないようにしてみよう。
・自分に寛容になって、選んだ方をゆっくりと味わってみる。
・モヤモヤしても、変えたくなっても、まずはその不安定な感覚を持ち続けてみる。
・持ち続けた先にあるモノを、まずは体験してみよう。
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ここに書いたことを、どれだけやれるかわからない。でも、変えられないと思っていた優柔不断さがナントカなるなら、意識してみようと思う。