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番外編:新興宗教との訣別について


こんにちは。

今日は番外編です。

●ホバの証●という新興宗教が出てきます。

面白い話ですが、宗教的な話が大嫌いな方は読まないことをオススメします。

勧誘ではありません。寧ろ批判記事です。

嫌な方は読まないことをオススメします。



突然ですが、私が小学校1年生の時、母が新興宗教に入信した。

●ホバの証●というニューヨーク発の新興宗教だ。


母の父(私の祖父)は元軍人で、シベリアに抑留され肺をヤラれた。

そのためにずっと働くことができず、酸素吸入器を常時接続していた。

そんな祖父が入退院を繰り返し、いよいよ命が尽きるかもという頃に母は宗教の勧誘を受けたらしい。


母を勧誘にやってきたのは、当時20代後半の独身女性だった。

「永遠の命に興味ありませんか?」

と玄関で聞いてきたらしい。


母はとてもヒステリーな人だった。

夫婦喧嘩になれば靴を投げつけてガラスを割り、刃物も持ち出すような情熱家だ。

そして元々死をとても恐れていたフシがある。

その類の本が家にはたくさんあった。

祖父の寿命も尽きかけていたのもあるだろう。

そのお誘いに即座に飛び乗り、その場で新約聖書を購入した。

勧誘の殺し文句は

「お父様(祖父)になにかあっても、将来楽園で復活するのでまた会えます!」

だったようだ。

まだ生きている人間を捕まえて何を言うのだろうか。



それから毎週のようにその20代の後半の女性が家にやってきた。

自宅で勉強会的なことをしていたようだ。


翌年、祖父が死んだ。

祖父は日蓮宗だかなんだかの宗派で、葬儀にはいろいろな仕来りがあった。

しかし、母はそうした宗教的な仕来りは一切やらなかった。

●ホバの証●の教理で、そうしたものはすべてNGだからだ。

母は親戚やらから白い目で見られたようだ。

そして、実の妹と葬儀を巡って大喧嘩をした。

理由はわからないが、宗教がらみだろう。


火葬場に向かう時、一族郎党で行列を作り棺を運んだ。

その列を、母を勧誘した●ホバの証●の女性が道路の向こうに佇んで見ていた。

涙を流しながら見ていた。


母は行列を離れ、その女性の元に駆け寄り泣きついた。

女性は言った。

「偶像崇拝しなくて良かったですね」

二人は泣いていた。

私には意味がわからなかった。


そのうち、母はエホ●の証●の集会とやらに参加すると言い出した。

8歳の私には選択権はなく、無理やり連れて行かれた。

毎週日曜2時間、火曜1時間、木曜2時間の集まりだった。


2時間の集まりであれば、2時間。

ずっと静かに座っていなければならない。

寝てもイケナイ。


子供にはキツイ。

めちゃくちゃキツイ。


入れ替わり立ち替わり男の人が講演をするのだが、話の内容など面白いわけもない。

※●ホバの証●は男尊女卑社会で要職は男性しかなれない。

よって講演はすべて男性。女性は勧誘のロープレなどの寸劇担当であった。


これは子供にとってはほぼ拷問だった。

しかもこれら集会とは別に年に2回ほど、大会と呼ばれるものがある。

これは関東なら関東、九州なら九州という大エリア区分で開催するもので、出席者数万というビッグイベントで、ドーム球場などで行われる。

1泊2日や2泊3日となり、通常の集会の何倍もキツイ。

しかも冷房があまり効かない場合が多く、夏休みに行われる夏の大会は正真正銘の地獄。



しかし、行かないわけにはいかないのが●ホバの証●だった。

●ホバの証●は子供への体罰がOKだった。

いやOKというか推奨していた。


集会で3歳児などが泣き叫ぶと、母親はすぐに別室やトイレに子供を連れ込んだ。

数分後に

”ギャン!!”

という子供の悲鳴と

”ギャーーーーーー”

と泣き叫ぶ声が聞こえてくる。


尻を叩いたのだ。


尻を叩くという表現は甘く聞こえる。

実際には子供の服と下着を膝下までずらし、

物差しやベルトなどで思い切り引っ叩くのだ。


当然子供は泣き叫ぶこと火のごとしとなる。

そこで母親は言うのだ。

「泣き止まないともう一回叩くよ」

なんの拷問だ・・・。


これが推奨されていたのが●ホバの証●だった。

実際に集会の場で講演する男性なども

「言うことを聞かない場合はムチが必要だ。

そのムチが子供を助けることになる」

と言っていた。

「ムチを与える場合、顔や体の正面はだめだ。

必ずお尻にすること」

とも言った。

内蔵破裂だったり、傷跡が残ったりするのを防ぐためだろう。


「手で叩くと自分の手が痛いし、子供の痛みは大したことがない。

叩くなら物差しか革のベルトが良い」

ここまで来るとどこの拷問官かと思う。

しかし、これが神からの教えらしい。


叩かれたことがある人間でないと、この痛みと恐怖はわからないだろう。

突発的に叩かれた方が精神的なダメージが少ない分、痛みも少ない気がする。


9歳の時、宗教のみんなで野球をやったことがある。

何かのプレイで白熱し、みんなで軽く言い争いになった。

その時、母が出しゃばってルールにもないことを言い出したので、

「ルール知らない人が口出さないほうがいいよ」

と言った。


”母親を馬鹿にした罪により、汝をむち打ちに処す”

帰宅時に母からそう言い渡された。


よほど私の発言が気に入らなかったのだろう、

母は10分ほどかけて最も痛みが大きくなるであろうベルトを物色していた。

ズボンと下着を膝下までずらし、四つん這いにさせられる。


「今からお前を鞭打つからね!これは聖書にも書いてあることだからね!」

と言い放ち、全力でベルトをスイングする母。

この殴られると分かっていながら待機する時間が拷問や処刑を彷彿とさせ、苦痛を増大させるのだ。


あまりの痛みにキレるほど唇を噛みしめる私。


こんな光景が日常だった。

お盆を割ったといい鞭打たれる。

集会で寝たといい鞭打たれる。

生意気な口を聞いたといい鞭打たれる。


これ、普通に暴力ですよね。と思っていたが、

なにせ”神がムチを与えろ”と言っているが教理のため、

争っても無駄である。

何年にも渡って自分をベルトで引っ叩く相手を愛せるはずがない。

私は母を恐れるようになり、嫌うようになり、憎むようになった。

そしてその後、私の感情から母を消した。


当時の私は、自分が育ち、力に対して力で制圧できるようになるまでは我慢するしかないと考えていた。

●ホバの証●の母親たちの間では、何で叩くとより痛いかという情報共有がされていた。


7歳から18歳まで、私は●ホバの証●に関与させられた。

以下はその教理や実際にあった出来事だ。


☆10歳の時、●ホバの証●の子供が交通事故に会い、親が輸血を拒否したため死亡に至った。この情報は●ホバの証●の間では狂喜乱舞状態で流布された。まさに信者の鏡として。

母は私に言った。

「もしお前が同じ状況になったら私も輸血を拒否する」

婉曲的な殺人宣言に近いことを平然と我が子に言わせるのが神というものらしい。

この”輸血拒否”は当時のメディアでも相当話題になった。

●ホバの証●が輸血を拒否する根拠は聖書の記述だ。

”血は神聖なものであり、これを食べてはならない”

と聖書に書いてあるから、●ホバの証●は輸血を禁止する。

この他にも血抜きされていない、もしくは上手くできていない肉も禁止だ。

私の時代では血抜きがちゃんとできていないということで、

クジラ肉は食べてはいけなかった。

でもレバーは食べていた。


豆アジなど、小魚はそもそも血抜きはしていない。

でも皆バクバク食べていた。それはOKらしい。

根拠は不明だ。


輸血は摂食行動ではない。

しかし現実的に血液を摂取しているのでNGらしい。

要は自分ルールなのだ。

宗教法人の偉い人達が、他のキリスト教との差別化をするための輸血禁止であったのだろう。

そしてその狙いどおりに話題となった●ホバの証●。

そんなくだらないルールで狂信的に我が子を見殺しにした親はその後どんな人生を送ったのだろうか?


☆●ホバの証●が讃えるのは●ホバのみ。よって、校歌や国家を歌ってはだめ。そのため入学式や卒業式や運動会などの度に親やそのほかの信者達が歌っていないか監視に来て、歌わない子供達をみて信者の鏡と大喜びしていた。


☆●ホバの証●以外はすべて悪魔”サタン”サイドの人間なので、できるだけ関与するな、と宣う。友達付き合いもNG。勉強なども無意味。むしろ勉強などができれば大学だなんだとサタンサイドに陥ることになるので、大学など行く必要なし。中卒などで実質出家信者状態になるのがベストで、大学などいく在家信者はランクが低いと洗脳される。(かなり比喩的に言っているが実質こういう教えだった)

→各地域ごとに”群れ”とかいう信者の集まりがあり、いくつかの群れを束ねる”長老”というのが居る。この長老は男性しかなれない。長老はフルタイムの仕事を持たず●ホバの証●に身を捧げていないと信者のおばさまたちからの信頼を勝ち取れない傾向にあった。私のエリアの当時の長老は、半ニート。関東地方の偏差値低めの高校を出て、その子供もかなり偏差値の低い高校に通っていた。そのため、信者の子供が進学校などに行くと、勉強=ダークサイドに落ちる的な講演が繰り返された。


☆災害や不幸などがあるとサタンの仕業。いいことがあると●ホバのお陰。

信者が迫害されていた時、奇跡によって救われたなどの眉唾話がよく吹聴された。

そうした時、じゃあなんで神の僕である信者が迫害されて殺されたりするのを奇跡で助けないのか?と聞くと、急に今は神は奇跡を起こされないのだという。さっき奇跡を起こして助けたと言ったばかりなのに・・・。

こうしたデマや作り話は信者を精神的に縛るために頻繁に出回った。

しかし新人の勧誘時は決してこれらの話はしなかった。

少なくとも●ホバの勉強を始めてからが暗黙のルールだったようだ。


※当時最も出回ったデマが下記。

●ホバの証人の研究生(まだ正式信者前の卵)である二人の主婦が山菜採りに山に出かけた。(山菜採りver.、きのこ狩りver.など地方で異なるらしい)ワラビを取っていた二人の主婦が休憩しているとワラビが話しかけきたそうだ。なんと話しかけてきたかは忘れたが、要は●ホバへの信仰を捨てろと言ったそうな。その主婦たちは「そんな暇があるんだったら、私の肩でも揉んで頂戴」とワラビに返答したらしい。そうすると主婦たちの首はワラビに乗移っていたサタンによって圧し折られ、死亡。サタンの相手をすると殺されるというとっておきの教訓話だった。

こんな稲川淳二でもしないようなレベルのデマがまことしやかに流れるほど、脳内お花畑の団体だった。

これを聞いた当時の私は、母に”二人共死んでるのに、なんで状況が伝わってるの?”と質問をしたが、睨みつけられて終わった。

ご存知の方も居るだろうが、この事件は実際にあった長岡京殺人事件をアレンジしたものだ。ワラビ採りの主婦ふたりが惨殺された事件で、1人は絞殺、1人は刺殺。宗教的な雰囲気のために超常的な力で首の骨を圧し折られたとしたのだろう。

ただ、こうしたデマ話は宗教団体が流したのではなく、暇な主婦信者の井戸端会議レベルから派生し伝播したものと推定される。


☆勧誘のためのアポなし自宅突撃に毎週拉致される。

母は熱心な信者となり、毎日のように他人の家にアポなし突撃をする自称奉仕活動にのめり込んだため、私も強制的に連れて行かれた。訪問先ではおばさんなどに「暑いのに大変ねぇ」などと言われると、母が「暑いですけど、この子は自主的に着いてきてるんですよ」と息と嘘を同時に吐いていた。

※現代社会ではアポなし訪問はしづらくなり、駅前や交差点で罠を仕掛けて待ち伏せる伝道活動になった。ちなみにこの伝道活動に月何時間掛けたかを信者は報告しなければならない。またこの時間によって、ランクがあった。


☆パソコンはダークサイドへの近道だから必要ない。

→そもそも当時のPCは30万以上するものが多く、買える信者は少ないための実質禁止令。2000年に入りPCが安くなると寧ろPCを推奨。教団の教本などもCD-ROMやDVDで発行しだす変わり身の速さ。


☆インターネットはダークサイドへの近道だから使うな。

→PCの普及に伴いインターネットは信者獲得の近道と分かるや速攻でWeb開設からITを利用しまくるなどの対応力を見せる。同時に信者たちはエゴサーチをやりまくり、元信者や被害者の会などのサイトを猛チェックし、●ホバのバチがあたるようにお祈り。※エゴサーチは今もしており、教団を否定するような書き込みやサイトはすぐに察知される。


☆21世紀は来ない、その前にハルマゲドンでドーンってなると終末論で信者の恐怖を日々煽る

☆ハルマゲドンが来るので、結婚などしている場合ではない。サタンの世で子育てなど無意味という圧力がある。最悪結婚してもいいが、信者同士でなければタブー。

☆人類誕生より今に至るまで、神に逆らった人以外、すべての人はハルマゲドンのあとで楽園となった地球に復活し、永遠に平和に暮らすと言いふらす。(地球のキャパシティw子供も産めねぇwでも織田信長とか会ってみたいw)

☆聖書の中で誕生日に首を切られた聖人的な人がいるので誕生日を祝うの禁止(生まれた日なんてめでたくない!イエスが死んだ日こそ神聖!)

☆クリスマス?あんなのは邪教の祭。だからクリスマス禁止!て言うか誕生日もだけど、1年で祝っていいのはイエスが死んだ日だけなんだからね!

※事実、小学校2年次よりクリスマスも誕生日も祝ってもらっていないし、プレゼントも貰っていない。


☆十字架は悪!だって、聖書にイエスは杭にかけられたと書いてある。十字架なんて書いてない、だからキリスト教は嘘!



こうした教理を日々あの手この手で聞かされてきた。

そして私は高校生になり、進学を考える時期に差し掛かった。


☆大学に行きたい??絶対行かせない!悪の道だ!

☆お父さん(非信者)が行けと言っているので行かせるしかない。但し、正式に信者にならなければ絶対に行かせない!

※この時母は、●ホバの証●を離れヤンキーとなって落ちぶれ、再び●ホバの証●に逃げ帰った私の兄に命令し、私に馬乗りになって1時間暴行を加えた。暴行の原因は不明である。


☆大学に行けば一人暮らしなので完全に●ホバの証●とは縁を切ることができる。偽装信者になろうと勉強開始。(10年に渡って集会などに拉致られていたが、何も頭に入っていなかったためほぼゼロから丸暗記)

知りたいことが山程出てきて、長老さまを質問攻め。

「なんで●ホバの証●だけが神に認められたんですか?」

「神がそう言っている」

「それはなんで分かるんですか?」

「今の指導者たちがそう言っている」

「だからそれはなんでわかったんですか?」

「神がそう言ったから!」

「・・・」



「人類6,000年って言いましたよね?」

「そうだ。人類なんて神が造られてから6,000年しか経ってない」

「人類の化石とかラスコーの洞窟とかそれより古いみたいですけど?」

「放射性炭素年代測定は正しくない!」

「前に聖書に名前が出てくる遺跡が放射性炭素年代測定で聖書の時代と一致したと言ってましたよね?」

「正しいときもある!」

「・・・」


もういいやと、私は諦めた。

彼らの理論は最終的には

「神だけが知り得ること」

「必要がないから人間には教えていない」

「それを知ろうと思うこと自体が傲慢」

「ただ、●ホバの証●だけは神に選ばれた本当の組織」

という論法で会話にならない。


例えば、21世紀は来た。

30年前、確かに●ホバの証●達は21世紀は絶対に来ないと言い続けていた。

アメリカ本部の自称14万4千人(ハルマゲドン後に簡単に言うと天使的なものにトランスフォームすると自称する人たち)や教団の代表者たちもそう言っていた。


それが21世紀が来た時。

「私達は公式にそんなことを言っていない」とニューヨーク本部。

確かに言っていた証拠が教本などでザックザック。

「神が言っていたわけではなく、人間が勝手に言っただけ」とニューヨーク本部。

「人間は完全ではないのだから間違えて当然。でも神が●ホバの証●

を許しておられる」と盲目の信者たち。


すべては「人間は完全ではないのだから間違えて当然。でも神が●ホバの証●を許しておられる」の一言ですべてを片付ける完璧な理論を完成させいてるのが●ホバの証●。



今は昔の第二次世界大戦時、ヒトラーにすり寄った●ホバの証●。

ヒトラーが負けると、

「私達は神に選ばれた本物だからナチスにめちゃくちゃ迫害されて殺された!被害者だ!」

と言いふらす。

だが、戦時中の大きな集会である大会で「ハイル・ヒットラー」と数万人でやり、ヒトラーこそ正義なんて言っちゃった講演の録音が残っていた。如何にヒトラーが素晴らしいか熱弁する当時の会長の肉声も残っていた。

「そんなのは●ホバの証●を潰そうとするサタンの陰謀!」

でも、テープは本物だった。

ここで伝家の宝刀。

「人間は完全ではないのだから間違えて当然。でも神が●ホバの証●を許しておられる」


これで会話は終了する。



もうテストだと思ってさっさと信者になるに限る。

私は半年で信者になった。

試験的なものに合格し、バプテスマという儀式を受けた。

晴れて異端扱いの宗教団体の一員となったのだ。


その1ヶ月後、私は実家を離れ大学のある町に引っ越した。

その町にも●ホバの証●はいた。

母の圧力で3ヶ月くらい集会に通わされた。

男性の信者はフリーターが良しとされていた。

大学生は私だけだったため、肩身は狭かった。

信者たちは勉強ができないとかではなく、この宗教ではそれが良いとされているからその道を選ばされていた。

みんな目が濁っていた。

現世での幸せを捨て、たとえハルマゲドン前に命が尽きたとしても、復活し楽園とやらで永遠に生きるために現世を諦めたのだ。

私は3ヶ月かけて徐々に集会からフェードアウトした。


そう、晴れてダークサイドに落ち、●ホバの証●が言うところの「世の者」となった。

もうムチで叩かれることもない。

大学や会社をやめて信者になった人の体験談を呪いのように聞かされることもない。


こうして私はあっさりと●ホバの証●と訣別した。

そのかわり、私と入れ替えで兄がどっぷりとハマっていった。

兄は典型的な落ちこぼれでヤンキーで、家庭内暴力などもするどうしようもない暴れん坊だった。

まともに就職することもできずというかする気もなく、実家に泣きついたのだ。

母は宗教への入信を条件に兄を許した。

信者でいれば、どんなに落ちこぼれでもフリーターでも宗教団体の中で出世していける。しかも兄は一応進学校の出身だ。

兄は、自分の居場所をやっと見つけたのだろう。

その後、父のスネを齧りまくりながら、兄は信者と結婚し、子供を二人もうけた。

父のスネは齧り甲斐があるらしく、母と兄家族4人が働くことなく宗教にのめり込めている。

今では兄は私の実家で”長老”となったらしい。

らしい、とは、私はここ20年で3回ほどしか実家に帰っていないからだ。

しかも最後に帰ったのは10年以上前だ。



実家に帰る度に母は私に言った。

「お前は一回信者になったのだから、集会にいかなくても信者だ」

母は私はまだ信者であると言いたいらしい。

”どんな893組織だよ!”

私はどんどん実家に寄り付かなくなった。


時は流れ、私は結婚することになった。

一応念の為、両親を招待した。


当日、出席したのは父だけである。

母は父に伝言をしていた。

「お前はまだ●ホバの証●だけど、奥さんは世の者(非信者)だ。そんな集まりはサタンの集まりなので出席はできない。あと結婚のことは祖母などには言うな」

伝言とは言え、後にも先にも、母の言葉を聞いたのはこれが最後だ。

生で言葉を聞いたのはもっと前で覚えてもいない。


母が●ホバの証●に嵌って感謝していることが2つだけある。


1つ目はスポーツでそれなりの成功を収めたことだ。

母は●ホバの証●になってから、まともに家事をしなくなった。

元々家事が嫌いな母だったとは思うが、輪をかけて酷くなった。

宗教の勧誘を優先し、常時外出。

たまに信者仲間が家に来た時は見えるところのみ片付ける。

外出続きで食事は基本惣菜を買ってくる。

そのうち父が単身赴任となると、朝起きてこなくなり、私は朝食を食べなくなった。中学1年のときだった。

高校に入ると基本的に昼食は弁当になった。

朝起きない母。当然弁当はない。

私はいつも500円をもらってコンビニや購買でパンなどを買って食べていた。

こうした家庭は少なかった。8割がお弁当だった。

たまに母は悪いと思うのか、超不機嫌な状態で早起きをして弁当を作ってくれた。

いやいや作る弁当が美味いわけがない。中身はすべて冷凍食品であるにも関わらず不味かった。

そして弁当箱。尋常じゃないくらい臭かった。

まともに洗ってすらいないのだ。

母が不機嫌に弁当を作ろうとするのを避けるため、私の朝はどんどん早くなっていった。

母より少しでも早く起き、家を出る。

これが日課になった。

そうして私は誰よりも先に通学し、朝練をした。

その御蔭で誰よりも部活が強くなり、大会でもかなり良い成績を収めることができた。

これが1つ目の感謝だ。1つ目の感謝と引き換えに私は朝食を受け付けない身体になったが・・・。



2つ目は家事だ。

そういうわけで母はロクに家事をしなかった。

大事な大会の日にユニフォームが洗濯されていないなどは序の口で、その日学校に来ていく服がないこともあった。

そのため、小学校4年時には私は自分で家事ができるようになった。

洗濯も、料理も。

小学校でできる料理など知れているが、中学にあがる頃には食事だけでなくデザート分野にまで手を出し、チーズケーキなどもノーレシピで作ることができるようになっていた。


結婚した時、妻の母に聞かれた。

「おふくろの味はなぁに?」

私は答えた。

”無いです”

ぎょっとした義母の顔を今でも覚えているが、義母はこのことを覚えていないだろう。

おふくろの味で思い出すのは、腐った泥水のような匂いのしたまだ芯が硬い冷凍食品が放り込まれた弁当のことだ。

なぜあの弁当箱が腐った泥水の匂いがしたのかは未だに不明だ。


おふくろの味は私にはない。

不機嫌そうに惣菜を盛る母なら覚えている。

「主婦には24時間365日休みがない!」

と文句を言いながら、宗教の集まりがない日にいつもソファでいびきを掻いて寝ていた母なら覚えている。

4時前後は伝道活動がないため、毎日ワイドショーを点けながらいびきを掻いていた母なら覚えている。


私は、美味しいものを好きな仲間と囲んで食べるという、あまりにも当たり前過ぎてその価値がわからなくなっていることの価値を学べた。

これが2つ目のよかったことだ。


おかげで私は料理も得意だ。

10キロのブリでも捌いて刺し身からブリしゃぶから煮付けまですべてできる。

できないよりはできたほうが良い。

家事はかなり得意なので、夫婦円満だ。




私は今、幸せだ。

家族もいるし、リア充だ。


しかし、どういう形であれ、いずれ私は死ぬだろう。

死ねば無だと理解している。

だからこそ、今を生きようと思う。

死ぬことは恐ろしいけれど、妻や子や会社の仲間や友人や、

沢山の人たちと笑いながら楽しく生きようと思う。

死の瞬間に”よく生きた”と思えるように。


母や兄は楽園で復活し、永遠に生きるそうだ。

彼らにとって死は、一旦眠りにつくのと同じだそうだ。

たかだか数十年の人生を生きるよりも、あるかないかわからない楽園での永遠を求めるそうだ。

昔の皇帝たちと似ていると私は思う。

でも皇帝たちは現世での成功も収めたいわばリア充だ。雲泥の差があるかもしれない。


母と兄家族は宗教が発売した宝くじを買ったのだ。

当たるか当たらないかはわからないが当たるのは永遠の命。

その宝くじの値段は高い。

どんなにお金を出しても買うことのできない時間(36年間)と36年間の教団への寄付(5,000万以上)がその対価だ。


もし母の死に目に合うことがあったとして、私はなんと言うだろうか。

”よかったね”

としか言えないかもしれない。

亡くなった祖父や会いたい人たちと楽園で会うということを夢見て時間を宗教に捧げ、信者以外たとえ家族であっても蔑ろにしてきた母。

永遠に生きたいと願う母。

聖書は素晴らしい、●ホバは素晴らしいと言いつつ、他者を批判し、世の中を非難し、常に他人を嘲ってきた母。


生きた世界が違うのだと私は自分に言い聞かせるしかない。

祖父は母の人生をどう思うのだろうか。




最後に父の話をしよう。

太平洋戦争末期に生まれた父は、典型的な昭和の仕事人間だった。

その分めちゃめちゃ稼いだようだ。

今は引退しているのだが、豊富な退職金や年金というスネを家族と●ホバの証●に差し出す毎日だ。


父と話す機会があった。

「今までいくら宗教に貢いだか知ってるの?」

「しょうがないじゃん」と父。

「いや、数百万とかじゃないよ」

「しょうがないじゃん」と父。


「よくあんな人と何十年も夫婦してきたね」

「しょうがないじゃん」と父。

「でも・・・」

「男が一度決めたことは、最後までやり遂げるんだよ」と父。


父は30年以上に渡り、離婚をネタに何度も●ホバの証●になれと脅され続けた。

その度に父は●ホバの証●を家に呼び、勉強会を開いてもらっていた。

年に数回集会にも参加した。

年2回の大きな大会にはだいたい出席した。

でも信者にはならなかった。


大企業のエリートサラリーマンが信者になれば、これ以上の宣伝はない。

地区の●ホバの証●は色めき立った。奴を落とせ!と。

その興奮がピークになる頃、なぜか父の仕事は繁忙期を迎え、父は勉強会や集会を休んだ。

引退するまでの30年近く、父はこれを繰り返した。


母が勝手にするお布施には一切文句を言わなかった。

宗教のために、どんなに母が家事をやらなくても文句を言わなかった。

やりたくもない勉強会も、集会も、すべては

「男が一度決めたことは、最後までやり遂げるんだよ」

という結婚に対する父の信念だったのだろう。

そうすることによって、離婚もされないが信者にもならないギリギリを歩いてきたのだ。


私はそう父に言ってみた。

「それもある。でももし●ホバのなんとかが本物だとした場合、もしかしたら俺も復活させてくれるかもしれない」と父。

そりゃそうだ。

30年以上に渡ってエリアトップのお布施をし、家庭をないがしろにする妻も許してきたのだ。

私が神なら父の復活もワンチャンありとする。

いや、普通そうするでしょ。

ニヤニヤする私。電話の向こうで父もきっとニヤニヤしている。

遠くで母が何かの文句を言っている声が聞こえた気がした。


ギリギリを渡り歩きつつ、宝くじにも一口は乗ってみる。

父は愉快なビジネスマンだったのだ。


父は今も離婚していない。

だが、●ホバの勉強もしていない。

●ホバの証●たちはもう父にあまり関心がない。

引退した70過ぎのおじいさんだ。

エリートが成功を捨てるわけでもない。

入信したければどうぞ的な扱いなのだろう。


宣伝効果もないただの老人になった父は、今日もニヤニヤしながら宗教に現を抜かす妻と長男家族を見ているのだろう。


父の人生が高尚すぎて私には難しい。
















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