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Inspiring Stories: self-centered って悪? 朝の電車で

年末が近づいてきて、心がざわついている。このプロジェクト今週中に終えて、週末は掃除しなくちゃ。最近忙しくて、友達にも会えていないなぁ。

あのタスクこの日までに仕上げてとお願いしたのに。仕事も人生もあなたを中心に回っていない!与えられた仕事、やるべきことの期限を守ってくれないから、こちらまでとばっちりを受けちゃう。

何故だろう、年末はとりわけ、こんなネガティブな感情に支配されがち。年内にやりきりたい、仕上げなくては、といったプレッシャーからなのか?

残念ながら、自分が計画したようには物事は進まない。他の人もこちらが期待したようには動いてくれない。そう、当たり前!それぞれにやるべきことがあり、「自分中心に」物事が進むわけが無い。大げさに言えば、それが人生じゃない!?

本当に些細な朝の出来事で、心のざわつきが少しだけ収まった。

今日は朝からゆとりがなかった。いつも通りに駅へ向かったのに、なぜだか、発車寸前に滑り込みセーフという状態で、朝が始まってしまった。駅までの猛ダッシュで、息が上がってしまい、私に少しだけスペースを空けてくれた周りの乗客に気を使いながら、呼吸を整えた。

意識を周りに向ける余裕が出てきた時、どこかで聞き覚えがある音が。コンスタントに繰り返される音。「あっ!誰かがいびきをかいている」それもかなりのボリュームで、この満員電車のなかで。

発生源を探そうと、首を少しだけ動かしてみた。多分あの男性!温かい座席で、隣の人にもたれかかることもなく、夢の世界に意識を飛ばしている。座れているってことは、私よりずっと前から電車に乗っている?あるいは単にラッキーだっただけ?それにしても、かなりお疲れの様子だ。

一瞬にして、心が暖かくなった。自分の世界に入り切っているその男性。例え短時間だとしても、身体と心を休めることができている。周りの乗客も顔をしかめるどころか、まるで何も無いかのようにやり過ごしている。私と同様に、「きっとお疲れね」と優しく見守っているように見えた。

なぜだか、"self-centered" という単語が頭に浮かんだ。 

"self-centered" は「ジコチュー」という意味で、"selfish" と同義語なので、ネガテイブなニュアンスに違いないが、私はかなり好意的にとらえている。

"self" (自己)を中心に置く "self-centered" は、"others-centered" よりずっといいと思う。 とりわけ「他人の利益」のために「自己犠牲」をしがちな日本的な観点からすると、実は大切な概念ではないだろうか?

しかし、しかし!

極端な「自己中心主義 ("self-centered")」は、"me, me, me …"(私を見てて、見て!)の典型で、他の人のことなんか全く眼中になく、自分の都合ばかりを押し付けようとするもので、ネガティブに違いない。

今、何が自分には必要か?何に重きを置くべきか?「これが重要!」といった選択、例えそれがどんなに小さな選択であっても、そういった選択をする時には、迷わず "self-centered" になるべき。自分の人生なのだからと思ってしまう。それ以外の場面では、他の人を思いやれる心のゆとりを持つべきだとは思うけれども。

電車でいびきをかいていたあの男性。余計なお世話だけれど、目的地で下車できただろうか?早朝の power-nap (短時間の仮眠)は効果的だった?電車を降りる時、車内を少し振り返り、心の中でそっと尋ねてみた。「今日も一日頑張ってください。」

良かった!ざわついている私の心の中に、まだ少しだけ優しさが残っていて。

Thank you for reading this through as usual.  I am more than sure that you have come across small but heart-warming encounters like mine.  I could be happier if you share your experiences.  See you in a bit.   

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魔女とも英語(english_break_through)
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