可能性
「人間が想像できることは、人間が必ず実現できる」
19世紀を生きたSFの父、ジュール・ヴェルヌ氏の有名な言葉。
とても素敵な言葉だし、否定するつもりは微塵もなくて、むしろこの言葉はきっと正しいと信じていたいです。
が、当然ですが、裏を返すと「人間が想像できないことは、人間には実現できない」となります。当然です。そこで僕は何がしたくなるかというと、「人間が想像できないことを想像」したくなるんですね、ひねくれているので。で、これがどうしても不可能なので頭を抱えているわけなんです。人間が想像できないことの唯一の定義は人間が想像できないという点なので、たとえ僕以外の誰にも想像のつかないような突飛なことを思いついたとしてもそれは人間が想像できないことではなくなってしまうからです。
では、それはなぜかというと、僕が人間だからに他ならないのですが、ということは僕のひねくれた欲望は自分が人間でありながら人間でないものになりたいと言っているのかもしれません。いや、べつに人間になりたくて人間になったわけでもありません。
だけど、初めから植物として生を受けていたら、人間でないものになりたいなどとは思うはずもありません。たいして望みもせず人間として生まれた結果、そのことによって人間でないなにかになってみたいという欲望に気付いてしまったんです。隣の芝生が青く見えるからでしょうか?少し違います。別に人間世界に嫌気がさしているわけではないし、猫や犬や向日葵みたいになりたいなぁと思っているわけでもないからです。ただ、人間には想像できないことを想像してみたい。どう考えても論理的に不可能なこの欲を満たすのは、やはりどう考えても論理的に不可能。どこまで行っても人間としての僕には人間としての僕がつきまといます。
では、動物や植物たちは人間が想像できないことを想像できるのでしょうか?(人間も動物だろ!ってのは置いといて)
ヒマワリ「できるよ!!!」
とでも言ってくれれば非常にありがたいですが彼ら彼女らとはコミュニケーションがとれません。冒頭の格言をロマン的に解釈すれば、植物たちが想像できることは植物たちが実現できるはずですから、観察によって彼らが人間の想像できないことを想像しているのか把握できることになりますね。僕はあまり動植物には詳しくないですが、植物の構造などを応用した商品はこの世の中に数多くありますから、きっと人間には想像できないことを彼ら彼女らは想像しているんでしょう。
ここで、僕の欲望は潰えます。
そもそも、人間に想像できないことを想像したかったのは、それが誰にもできないことだと思われたからです。
だけれど、植物やらが人間の想像できないことを想像しているのだとすれば、「人間では思いつかないこと」はいちおうこの世に生み出されていることになりますから、僕が仮に人間という線引きを突き破って人間では思いもよらないことを思いついても、パイオニアにはなれません。
まあ、それはそれでいいんですが、この世界では、他の人間に想像できないことを想像すると、すこーし注目されたりされなかったりします。ぜひ、他の誰にも想像できないようなことを想像してみたいものですし、それを実現させてみたいですね。
余談ですが、冒頭の格言、アロット・ド・ラ・フュイの伝記にある原文はTout ce qu'un homme est capable d'imaginer, d'autres hommes seront capables.
というもので、厳密に訳すと
「ある人が想像できるもののすべては、他の人々が実現できることだ。」
となるので、想像した人が実現までしてしまうとこの格言をも超越できます。ぜひ想像から実現まで、独力で何かを生み出してやってください。期待してます。
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