#9 本気で社会を変えるにはー変わろうとしない穏やかな日常に潜む孤独と葛藤
気候危機も生態系の崩壊も待ったなしの状態です。小さなぼや(小火)程度であればすぐに消火ができるでしょうが、それが無数に発生し、それぞれがつながって一気に燃え広がれば、人の手にはどうすることもできなくなります。私たちは何もかもしなければならない状態にいながら、何も行動できずにいます。
子供のような純粋な視点に立つと、今の表面的な平和は極めて残酷に見えます。科学者がこれほどの危機を警告しているにも関わらず、大人たちの関心が驚くほど低いのです。大人たちは、自身のことを無力で何もできない存在だと頑なに信じています。何もせず、今までの快楽的なライフスタイル(生活様式)に固執し、それを変えようとしません。
危機的な状況に立たされていることよりも、その解決が困難であることよりも、関心がないこと・知ろうとしないこと・時に知ったかぶりをすること・知って何もしないことなど、解決しようとする意志が希薄であることが恐ろしいのです。
子供より知識があり、経済力があり、経験があり、社会に責任を持つべき大人が、率先して高い目標を立てることを諦めています。理想を学校で説きながら、それを実践しようとしません。子供の近くには、真剣に、一緒になって悩んでくれる大人がいません。大人たちの建前と本音、言葉と行動に溝がありすぎ、孤独と葛藤に迫られます。また、大人になる時間を世界は待ってくれません。刻一刻と事態は悪化しています。純粋に、自分以外の存在を自分と同じくらい大切に思いやれる人ほど、そのギャップ(乖離)に苦しめられることになります。これは「エコギルト」と呼ばれるものですが、頑なに"変わろうとしない穏やかな日常"に苦しみ続けることになります。
日本で将来の夢と聞かれると、ほぼ職業の話になります。スポーツ選手、医師、看護師、研究者、あるいは、幸せな家庭・お嫁さんという回答もままあります。それとは違い、気候危機を解決したい、生態系を守りたいんだと言えば、「すごいね」「立派だね」と大人たちは無邪気に答えてくれるかもしれません。ただ、周囲の理解や協力を得られないまま、その夢を持ち続けることはとても難しいのです。絶えず無関心な刃が襲ってきます。何をしたらいいかも分かりません。これほど抱き続けるのが痛くて、はかなくて、尊い夢はありません。
たとえ達成が困難であっても、そうした社会問題の解決に立ち向かうことは、誰だって、何歳からだってできます。夢は職業で決まるものではありません。困難だから諦めるものでもないのです。意志があるところに夢は宿ります。何気ない日々こそが試練の連続であり、夢(意志)を持ち続けることが辛く、苦痛を伴うものでも、歯を食いしばって頑張ろうと歩み続けるものなのです。
(#10へ続きます)
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