#1 社会を本気で変えるにはー正しくない情報であふれる社会
テレビや新聞・ネット記事を見ていると、どうしようもない切なさを感じてしまうことがあります。というのも、フェイクニュースとまでは言えないけれど、社会にはあまりに正しくない情報であふれかえっているからです。
営利的に目を引くために、極端に誇張されたものが多々見られます。あからさまな間違いとは断定できないものの、言い過ぎではないか、論理が飛躍していないかと疑われるもの、果ては政府が都合の良いように解釈をねじ曲げたものが多々見られます。
最近とても残念に感じることの一つが、SDGsの草の根の活動の一つである”マイバック運動”です。これは、レジ袋の有料化(2021年7月~)によって瞬く間に日本中に広がりました。ビニール袋を受け取らず、マイバックを持参してビニール袋の消費を減らそう!それによって地球温暖化の原因である二酸化炭素の排出を減らすことに貢献できるのではないか、と期待されています。
けれども、その努力とは裏腹に、その効果は極めて限定的です。日本人一人当たりの年間二酸化炭素排出量は9~10トンと言われていますが、単純計算すると、一日一人当たり25~27 kgの二酸化炭素を排出していることになります。かたや20cm×30cmのビニール袋の重さはわずか1 gに過ぎず、上の数値と比べるとあまりに少ないことが分かります。マイバック運動に意味がないと言いたいわけではありません。環境問題を考える意識づけとしては分かりやすいテーマでしょうし、海洋プラスチックのごみ問題が取り沙汰される中、海洋汚染を防ぐ効果もあるかもしれません。けれど二酸化炭素の排出量の削減効果という観点からは、上記の通りほぼ全く期待できません。ですが通常その部分には話題に触れられることはなく、できることに終始し、頑張ったことだけにスポットライトは当てられます。斎藤幸平氏がSDGsが「大衆のアヘン」と呼んだように、目標がどのくらい達成できたかについては触れず、ただ頑張った行為だけを抜き出して褒めたたえる有様は、なかなかに信じがたい状況です。
私たちに残された時間——気候危機を食い止めるために行動できる時間はそれほど長くありません。IPCCは2021年8月9日、産業革命前より世界の気温上昇が、最善のシナリオにあっても2021~40年に1.5度に達するとの予測を公表しました。地球温暖化は人間の活動が原因と初めて言及するなど、大きく警鐘を鳴らし、事態は想定より悪い形で予測されています。気候危機はあと10年近くで転換点(tipping point)を迎えるという説もありますが、それによると、平均気温が2℃上昇した辺りで気温が元に戻ろうとする復元力よりも、気温を上昇させようとする力が上回るようになり、自ずと気温が上がっていくというような不可逆な(後戻りできなくなる)変化が起こると想定されているのです(参考)。そうなれば、人類がどれほど努力したとしてももう元の状態には戻れず、坂から転げ落ちるように事態が悪化する恐れがあります。
残念ながらこのような深刻な危機に対して、対策は常に後手に回っています。東京でオリンピックが開催され、日本は熱狂的なムードに覆われることになりましたが、同時期においてコロナウイルスの感染者の数は急拡大しました。第3波をはるかに超える危機的状況に立たされてもなお、都市の人流は減らず、危機感が吹き飛ばされた状況です。テレビを見ればオリンピック一色に変わり、コメンテイターは「感動をありがとう」と連呼します。医療崩壊に立たされた現場からすると、本当に同じ東京で起きていることなのかと目を疑いたくなります。今は感染者を減らすことが最優先にすべきことで、まさに生き死にの現場で真剣に戦っている医療従事者がいる最中、なぜスポーツだけが特別視されるのでしょうか?また、気候危機の観点からも全く猶予がない状況の中、オリンピックにどのような貢献があったのか極めて疑問に思われます。
第1波~第4波 感染者数グラフ (2021/8/10)
政府は2021/7/30の記者会見で『今回の宣言が最後となるような覚悟で、政府を挙げて全力で対策を講じていく。 』と発言していますが、もう何度目の”最後の”お願いなのか分かりません。8/6の記者会見では、『東京オリンピックが感染の拡大につながっているわけではないという認識 』を示していますが、科学的な説明もなく、結論ありきの姿勢だけが透けて見えます。あまりに場当たり的で長期的なビジョンもない政策が続いています。
大抵の人は、危機を感じてからようやく事態の重さを飲み込みます。けれども深刻な被害が出てから行動しようとすれば遅過ぎます。医療が逼迫した結果、仕方なく自宅療養の患者を増やせば、家庭内感染が進みます。また自宅療養中は行動を監視する人もなく、生活必需品を買うために出歩くことを無制限に許してしまうと、さらに感染機会を増加させる結果になります。事態が悪化してからは、何もかも遅く、大きな犠牲を払わなければなりません。
年配の方にこのような話をした時、「人間いざという時はなんとかなるよ」という言葉が返ってきたことがあります。けれども、かつてこれほどの混乱、特に大幅な気候変動を経験したことは人類史上初めてで、影響が未知数であることを考えると易々と納得できるものではありません。社会の混乱は貧富の格差を拡張し、さらなる対立を招き、勇気ある政治的な選択を困難にします。高度に効率化が進んだ現代社会においては、小さな混乱が大きな機能不全を生み、世界全体に影響を落とすこともままあります。気候変動によって食料危機が起き、輸出入が滞る事態になれば、国家間の対立は否応なくエスカレートするでしょう。そうなれば、国家間での協調は一層難しくなります。そういう事態を想定すればこそ、上の言葉はとても無責任で、極めて危うい発想に感じられるのです。
(#2へ続きます)
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