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#7 本気で社会を変えるにはー尊敬すべき対象は?【前編】

歴史を紐解けば、人類史のほとんどは闘争の歴史でした。他国を恐れ、他国よりも強くあろうと軍備を増強します。他社を恐れ、他社よりも少しでも安いもの、良いものを提供しようと血眼になって努力します。受験戦争、就活競争、スポーツなど、あらゆるものが競争の対象で、お金をより多く稼ぐことこそが勝利の証でした。その結果、常に経済は成長が求められ、無秩序な開発は気候危機と環境破壊を生み、軍拡競争は今も際限なく続いています。グローバルな危機に立ち向かうために今必要なのは、競争ではありません。競争が生む負の作用に経済や環境はもう耐えることができません。過剰な競争ではなく、協力し合う関係が求められています。

協力関係を築くためには、互いが価値観の違いを乗り越え、尊重し合えることが必要です。そのためには自分が尊敬される人物であろうと努力し続けること、相手をありのままで肯定しようとすることが求められますが、これはどちらも大変に困難なことです。頭では理解しても実行は容易ではなく、絶えず見直し続けるという不断の努力が必要です。

ここから本題ですが、"尊敬(存在を肯定)すべき対象"はどこまでを含めば良いのでしょうか?

例えば100年先の人は対象に含めるべきなのでしょうか?仮にあなたが将来に危機感を抱いて頑張ったところで、100年先の人はあなたと同じ時間軸を生きることはできません。あなたがどれだけ努力したとしても、その瞬間を褒めてはくれません。歴史的な偉業でない限り、その行為に気づかれないことがほとんどでしょう。あなたの必死の努力は、見返りのない一方的な贈与にならざるを得ないです。その逆もしかりで、あなたが自己中心的に動き、100年先の人に多大な不利益を与えたとしても、それは一方的な関係性です。法律を遵守している限り、後から罪に問われることはありません。であれば、自己の満足感を最大化することが自身の幸福につながると考える人ならば、将来の世代は捨ておき、周囲の人にはある程度配慮しながら自分勝手に生きるのが合理的であるかもしれません。

#4で化石水の話をしましたが、「問題はいつかは起こる、けれどそれがいつかは分からないし、それが起きるまで問題にはならない」ケースの場合、後先考えずに今を楽しむ刹那的な生き方も最適なものの一つと言えます。ただ、自分勝手に振舞う人が増えれば増えるほどにシステムは脆弱になります。なにせ自分が生きている間さえ良ければ何をしても構わないという発想に陥っているからです。

これを解決するためには、相手が敵対関係でない限り、相手を尊重することに条件を求めないことが"鍵"であることが分かります。つまり、社会が持続的に豊かであり続けるためには、「他者に見返りを求めず、他者を互いに助け合える仲間として信じ、"無償"かつ"無条件"に他者の存在を認める勇気を持つこと」が必要なのです。

こんな無茶苦茶なことは一見達成不可能に見えます。けれど歴史を紐解けば、上手・下手はあるにしても、人類が今まで存続できたのは、将来の世代への見返りを求めない貢献があったからです。親が子を思う気持ち、あるいは親が孫を思う気持ちは、下心ありきの関係ばかりではないでしょう。幼少の頃、生きていくためには誰かに頼らざるを得ない未熟な存在であったとしても、親や兄弟、社会が支えてくれたおかげで私達は生きています。受け取った無償で無条件の恩を次世代に渡す、そういう命のバトンを脈々とつないでこれたからこそ、それはできるはずだと信じています。

(#8へ続きます)


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