#11 本気で社会を変えるにはー人生のレールから降りる
人生のレールという言葉があります。多くの人が長い年月を歩き、踏み固められた通り道で、徹底的に研究、効率化されており、その道をたどるのであれば、ある程度どんな未来が待っているか容易に想像ができます。道に迷うこともなく、怪我をする心配もありません。何も考えず、ただその道に従って進めば良いのですから、これほど楽なことはありません。
一方で人生のレールから降りることは容易なことではありません。舗装された道路を歩くことはできても、獣道を踏み歩くのは常にリスクがつきまといます。誰もガイドしてくれません。その先に何があるか分かりません。道は荒れており、わずかな距離を進むことでさえ容易ではないのです。
けれども、気候危機や様々な社会問題の到来が予想される日本において、今の道を歩き続けることこそがリスクになりつつあります。けれど、多くの人が親の背中ばかりを見て育ち、与えられた指針に疑いを持たず、闇雲に突っ走り続けます。道が永遠に続くと信じ、自然破壊や資源の枯渇などの様々な問題に目を背けながら・・・。
私たちはレールから降りることを真剣に考えなければなりません。与えられた常識を疑い、未開の道を進まないといけません。無傷ではいられないでしょう。とても効率的な、利口な生き方ではありません。それでも今のままではいられないのです。
今のところ、しがらみのない若者の方から、全く新しい生き方を模索し、挑戦しようとしているように見えます。大人はとまどい、レールに戻るよう善意でアドバイスしています。けれど、するべきは率先して道を切り開くこと、あるいは生き方を自由に選ばせることです。それを大多数の保守的な票で意見を押し殺し、足を引っ張るだけになってしまってはいけないのです。
レールから逸(そ)れ、誰も知らない道を歩くわけです。最初は失敗だらけで、後悔もします。100に1つ、1,000に1つしか成功の道がないかもしれません。それでも全力を尽くした失敗は1つも無駄にはなりません。その道が間違いであると一つ分かり、次に活かせるからです。心が折れない限り、何度もでも挑戦できます。失敗を繰り返すほど、確実に成功に近づきます。そう生きる人にレールはもう必要ありません。どんな逆境でも跳ね返す力があるからです。
#7で、社会が持続性に豊かであるためには、「他者に見返りを求めず、互いに助け合える仲間として他者を信じ、"無償"かつ"無条件"に他者の存在を認める勇気を持つこと」が必要条件であると述べました。レールにこだわる人は、条件付きでしか人を信じません。競争の中でしか人は働かないと信じ、自分が利他的に考えて譲歩すれば、他者がきっと出し抜いて利益を総取りするだろうと考えます。
レールから降り、共存共栄の道を目指す人は、他者を無条件に信じようとします。そうしなければならないものであり、他者の意識はきっと変えられると信じています。根拠を待ち出しません。勇気をもって、そう決断するのです。
(#12へ続きます)