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No.5|私たちはどうして行き過ぎてしまうのか?(暴走・衰弱のメカニズム)

私たちは"宿命的に"、悪い結果が予想できていてもなかなか行動を変えられない生き物である。

経済格差、財政問題、少子高齢化、地球環境問題・・・、様々な問題がクローズアップされている中でも意識が追い付いていない。問題は絶えず後送りされている。

なぜ行動を変えられないのか、その原因のいくつかをシステム的思考に基づいて紹介していきたい。

①競争原理が内在する暴走

私たちは、競争を好意的に捉えている。競争によって、資本が有効に使用され、技術が発達し、社会がより良い方に発展すると信じるからだ。例えば古典派経済学に出てくるアダム・スミスの"神の見えざる手"は自由市場の効能を次のように表現している。

利己的に行動する経済主体からなる自由市場は、個々にそのような結果をもたらす意図がなかったとしても、"神の見えざる手"に導かれるように、最大の社会的および経済的成果をもたらす。

これはある意味で正しいだろう。ただ残念なことに、自由な競争は常に暴走を生むリスクを潜在的にはらんでいるのだ。その例として、共有地の悲劇が挙げられる。

コモンズ

共有地である牧草地を誰でも利用できたとしよう。合理的な放牧者は、自らの利益を最大にしようとしてこう考える。「家畜をもう一頭増やした時の便益はなんだろうか」と。
・放牧者は、追加の家畜を売って得られる利益を全て受け取れる。
・過放牧による悪影響は放牧者全員に分配される。その負の便益は放牧者の数で割ったものになる。
この2つの便益を合計すると、家畜を増やすことが賢明な道だと結論付ける。結果として家畜は際限なく増やされ、牧草地は荒地に変わる。

この問題の難しさは、たとえ全てのプレイヤーが合理的な判断ができ、その行動によって破滅的な結果を招くことが予想できたとしても、個々の努力ではその最悪の結末―—牧草地の荒廃を回避できないことである。

この悲劇は牧草地だけにとどまらない。多国間における軍拡競争で最も激しく起こり得る。

隣接する二つの国は、”本音としては戦争をしたくないと思っていたとしても”、他国に攻め込まれた時に備えて軍備を整える。安心を得るために、相手国より軍事力を高く維持しようと考える一方で、相手国も同様に考える。互いの疑心暗鬼によって他国の軍事力は過大評価され、永遠に終わらない軍拡競争を強いられる。

このように,ミクロの視点では合理的であっても,それが合成されたマクロの世界では,必ずしも望ましい結果を生むとは限らない。これは合成の誤謬と呼ばれる。

金融機関に対する取り付け騒ぎや,根も葉もない噂による品切れも,合成の誤謬の一つだ.先んじて行動することが個々人の利益の最大化にはなっても,全体としての利益を損なってしまう.コロナウイルスによる混乱の中で,供給に問題のなかったトイレットペーパーまで買い付け騒ぎが起きたことは,記憶に新しい.

共有地悲劇

利己的な行動が共同体の利益を損なう

古典『リヴァイアサン』の中でも、"自然状態は「万人の万人に対する闘争」を生む"と告げている。これらは、強制力で自由を制限しないか、あるいは個々人が自身の利益を犠牲にしてでも全体の利益を優先しない限り、原理的に止めることができない。

②フィードバックが遅いためのモラルハザード

行動に対して結果が反映されるまでのフィードバックの時間が遅い場合も、対策が取られにくい原因である。

少子化対策は、費用(育児支援、子育て、教育投資等)に対して便益(税収の増加)が反映されるまでに、20年以上の長い年月がかかってしまう。また、気候変動の悪影響は徐々に蓄積され、数世代後に深刻な事態を招くことが予想されている。

これらの問題は、対策を取らないことが短期的な利益を最大化させるため、対策は後回しにされやすい。自分の任期中・あるいは存命中だけ問題なければ良い、というモラルハザードを招きやすいのだ。本来は長期的な利益を優先すべきにも関わらず、目先の損得ばかりが過剰に評価されがちである。

③衰弱のフィードバック・ループ

止められる余力を失った時、あるいは事態が悪い方向に加速してしまった時、もはやどうやっても止められなくなるケースがある。

それは最後の水一滴を奪い合うような著しい貧困状態に陥った場合だ。もはや各々の理性や道徳心に呼び掛けたところで、混乱は収束できない。例えばコロナ禍における操業自粛がそれに近い。

感染予防策で操業自粛が要請される一方で、補償が十分なされなかった。資金力の弱い店にとって、休業は”経済的な死”を意味しかねない。たとえ店を続けることが、店の評判を下げ、感染拡大を招き、そして自粛期間を延ばす結果につながるとしても、目先の経済的貧窮から免れるためには続けざる得ないのだ。

操業を止められない

パンデミックによる衰弱のフィードバック・ループ

これは稀な事象ではない。歴史を紐解くと、この衰弱のフィードバック・ループによって多くの文明が破綻に追いやられている。

おおまかに言って、多くの文明の歴史は共通の筋をたどっている。最初、肥沃な谷床での農業によって人口が増え、それがある点に達すると傾斜地での耕作に頼るようになる。植物が切り払われ、継続的に耕起することでむき出しの土壌が雨と流水にされされるようになると、続いて地質学的な意味では急速な斜面の土壌侵食が起きる。その後の数世紀で農業はますます集約化し、そのために養分不足や土壌の喪失が発生すると、収量が低下したり新しい土地が手に入らなくなって、地域の住民を圧迫する。やがて土壌劣化によって、農業生産力が急増する人口を支えるには不十分となり、文明全体が破綻へと向かう。(土の文明史

成長の限界

人口の増加に伴う食糧の増産圧力を、土地を酷使して使い捨てることでしか凌げないのであれば、最後には破滅を招いてしまう。

これらの衰弱のフィードバック・ループは枚挙にいとまがない。2019年7月から240日余りも続いたオーストラリアの森林火災は、私たちに気候変動の猛威を知らしめた。森林火災によって温室効果ガスが排出され、さらに気温が上がることによって、森林火災が起きやすくなる。気温の上昇によって北極圏の氷が融解し、日射の吸収量を増やすことなどで気温の上昇を招いてしまう。また、ある生物の絶滅が他生物の生存を脅かし、さらに絶滅を加速する。

ポイントオブノーリターン

気候変動における衰弱のフィードバック・ループ

一度通り過ぎたらもう元には戻れなくなる点を、「ポイント・オブ・ノー・リターン(帰着不能点)」と呼ぶ。これを越えてしまったら、どう頑張ったところでやり直すことはできない。問題は、"その点がいつ来るのか"を予想しづらいことだ。そもそもその点を通り過ぎたかどうかすら、後になって検証することでしか認識できないのかもしれない。

壊滅的な食糧と水不足が起きてから、生物種のほとんどを失ってから、気候変動が猛威をふるってから対策を始めるのは遅過ぎる。洪水が目に見えてから逃げ始めても間に合わない。

これらの問題を大げさだと考える人もいるだろう。けれども、最悪を想定しなければ最悪は起こるのだ。現実を見て、リスクを正しく評価しなければならない。100年後、地球環境が破滅的になる確率が例え5%だけであったとしても、あまりに賭けるものが大きすぎる。

私たちは、パンデミックの発生から大きな教訓を得ている。パンデミックの発生が予見されていたにも関わらず、対策は取られていなかったことだ。発生前、テレビや新聞はほとんどパンデミックを扱っていなかった。この災害の発生は偶然によるものではない。

特に日本では、あらゆる危機に対する意識や管理能力がとても低い。特に環境を守ることは、今の経済システムでは評価されず、ほとんど仕事にならない。能力ある人材がいても、活躍できるフィールドがない。

音楽が鳴っているうちは、踊り続けなければならない

これはリーマンショックが起きる前に、シティグループCEOチャック・プリンスが発言したものだ。私たちはいつまでもどう踊るかばかりに夢中になっている。

・あなたの仕事や夢は、次の世代の幸福とリンクしているだろうか?
・教育で、リスク管理の重要性を伝えているだろうか?
・若い世代に無茶な期待と責任だけを押し付けて、放置してないだろうか?

やってみせ 言って聞かせて させてみて 褒めてやらねば 人は動かじ
山本五十六

私達は良いことを進んで実践し、手本にならなければならない。


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