「オートリバース 」(高崎卓馬)を読んで
昭和50年代
章ごとに挟まれる「ザ・ベストテン」のランキングを見て、唐突に当時の環境にタイムスリップした。1982年、私が中学2年の教室では、男子が聖子派と奈保子派と別れていて、それがファジーな感じの派閥を形成していた。
ステージに上がるアイドルには親衛隊なるファンの結成組織がアイドルごとにそれぞれあり、揃いの法被をまとい、声援、コールを送る、というのが当たり前になっていた。その派閥の延長である。私は当時「どっちでもない」と返事しながら、聖子に注目していた。
小泉今日子はその頃、清純派としてかわいい要素は持ちながらも、二番手以下の位置にいたかと思う。ひょんなきっかけから、その小泉今日子の親衛隊に入ることになった直(チョク)の青春物語、といったところで、立ち位置が違うながらも同じ時代を共有していたことが舞台に引き込まれてしまう理由になるのは当然かもしれない。
Nくんの話
高校に入って席が近くて話すようになったNくんは「聖子も奈保子も柏原芳恵も堀ちえみもかわいいよね」と言って下敷きに切り抜きを丁寧に入れている男子だった。
大学に入ってもNくんとはときたま文通してみたりする関係で、手紙にも「コンサートに行ってきた」と、地元のイベントに来た彼女らの生写真を送ってくれたりあいかわらず熱心なファンだった。
そんな中、一世を風靡した「おニャン子クラブ」が登場したのがまさにこのときで、親衛隊と彼女らの距離はぐっと縮まり、身近なアイドルの先駆けだったと思う。
卒業の年「おニャン子クラブの解散コンサートに行った」と手紙にあった。よくやるわ、と半ば呆れていたが、ハイテンションの彼は「感動して泣けてきた」とつづる。そこまで熱くなれる彼を不思議に思っていた私は結構冷めたところがあった。
時は流れて四半世紀。FacebookでつながったNくんはあのときのまま大人になったような感じだった。現代版おニャン子に近いAKB48にご熱心で、娘が好きだから、と言い訳のようなコメントをしつつコンサートに行っていることがアップされていた。
直の恋愛
直(チョク)は成就できない恋愛をしていた。たまらないほど好きなのに、相手の女の子もその気持ちを知っているのに、決して成就できないとわかっていた恋愛だった。誰の眼にも触れないところでそっと手を握ったり、気持ちをそっと伝えたりするだけで、それ以上のことはありえなかった。
誰しも大人になってしまうと、大人になればなるほど恋愛は厳しくなる。思い通りにならないのだ。若いときよりもどうしてもそうなる。
小泉今日子の親衛隊は現在、私と同じ中年世代、だいたい40代から50代になろうかと思う。当時も今も、成就できない恋愛はある。直の”何かを得るから何かを失うんだよね、何かを失うから何かを得るんだよね”と叫びたい悔しさはいつの時代にも通じるものだと若き時代に投影しているように思えた。
はかなすぎる命
誰もがフツウに人生を送れると思っていた若いころ。フツウに大人になっていくんだろう、という漠然とした未来に一応向かっていたはずで、そこには周りの人たちも同じように行くものだとなんの疑いも持っていなかったはずだ。しかし実際は唐突に人の命が消えていく。誰にでも死は遅からず早からず訪れるのに身近な友人の死はかなりきつい。直もそれに漏れなかった。失うものはたくさんあった代わりに手に入れたものもあったはずだ。そう信じたい。
アイドルは女神
異論はないだろう。しかしアイドルは見えない苦労が山ほどあるし、小泉今日子のそういう描写はあちこちにちりばめられていた。そして「当時の孤独も、怒りもすべてひっくるめて懐かしすぎていました」と帯に綴っている。アイドルは過酷な人生を送っている、ということは当時は思いもしないことだった。
私は
読み始めからとても苦しかった。昭和50年代、今思うと自分の人生の中でも苦しい思いをしていたらしい。もうすでに解き放たれていることなのに当時にオートリバースされて消された歌をいつまでも待つ身になっていた。
とてもたくさんのことを思い出す本で、これを書くのもだいぶ時間がかかった。自分の半生を振り返る稀有な機会を頂戴したことは財産にしておきたい。