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「日本の貧困女子」(中村淳彦著)

過日、本屋大賞ノミネートされた「東京貧困女子。」が都会版とすると、中村氏の定義する”東京50キロ圏を超える”「地方」の貧困女子の超リアルな物語だ。

都会版と地方版、と明白に違うのが、とにかく人が芋づる式に出てくることだ。田舎独特の二世代三世代の同居に加え、中学時代のコミュニティの根強さが人のつながりの強さを作ることになっていて都会にはない話だ。

その中村氏の定義でいうと私は「地方の専業主婦」となり、彼女らの物理的環境の一部は全く合致する。ゆえ「東京貧困女子。」の他人事の感触とはかなり違った共鳴感触で読み進められた。

中村氏によると貧困は経済的貧困を基にして、関係性の貧困、情報性の貧困が重なるという。

関係性の貧困とは家族や身内の助けがないことや、縁を断ち切らねばならない状況で、情報性のそれは福祉や制度という情報が入らないことで救われない状況だ。

関係性からは、母親が娘の奨学金を取り上げる、振り込まれた給料を渡さない、ということが起こっている。また配偶者からの支配的な暴力、と、なかなか脱せない落とし穴が転落の原因になる。

情報性からは、生活保護などの救済制度を知らなかったという意外なことで、自分たちの交流の狭さや、レベルの拙さが原因と思われるが、中村氏の「中学時代のコミュニティ」の根強さの指摘は数多く取材された結果の分析で私にはまさか、の感想だった。

私は地方出身で、現在もなお地方に住んでいるので、地元コミュニティの強さは実感し、世代同居や少しの男女格差はまだまだ都会よりは強いと感じる。

本に出てくる彼女らとの違いは何か、実は今回この答えがかなり明確になった。
これも中村氏の分析によるそれが本の中にある。
敢えて書かないがなるほどと思う。

先に出した「東京貧困女子。」は本屋大賞にノミネートされただけあり、国会議員たちからもかなりの興味をもたれ、口コミで広がった。
階層が異なると、なかなか自分事には思えないにしても動きとしては私は高く評価したいと思う。

注目されたのは、今回の地方版もテレビ番組で見られがちな浅い状況ではなく、それに至るまでの背景が深く掘り下げられているからだと思う。中村氏の寡黙式傾聴術の賜物だ、他に比がない。

これは、自分をセンタリングしてひたすら相手の話を聴く、一言投入して核心に迫るというやり方だそうだ。

話は一転するが、中村氏と私はFacebookの介護グループの運営にかかわっている。
グループの中には一万人を越えるメンバーがおり、天から地までの階層が形成されているのが私にもわかる。

中村氏の論に、今後は中年男性が貧困に転落することが予測されていて、事実介護グループでは、年上を敬え、という圧力的ないくつかの「老害」が見られている。彼らは、取材対象の貧困原因を自己責任だ、を振りかざしている。

長くなりそうなので最後に。
貧困は他人事だ。しかし躓く(つまずく)きっかけはほんとうに些細なことだ。
今後自分に、また次世代にそれは起こるかもしれない。こういう些細なことからだ、を知っておくことでわれわれが救われることはあると確信する。