悪の教典
悪の教典 著:貴史祐介 文春文庫
私はこの話を、映画から入った。ハスミンこと蓮実聖司を演じる伊藤英明は素晴らしいと思う。今でも、指パッチンをしながら笑みを浮かべてこちらを向く伊藤英明の顔が鮮明に思い出せる。悪の教典が観たいというよりは、蓮実聖司を演じる伊藤英明を見たくて何度も映画を観ているのかもしれない。定期的に観たくなるのだ。
さて、映画の話はそこそこにして。
ふと、小説を読んでいないなと思い手に取った。ただ、タイトルと内容がアレなため堂々と外で読むのは憚られる。
映画で大まかな流れは分かっていたが、主要人物それぞれに話の焦点があったり、蓮実自身の考えを垣間見れたりと肉付けされた部分が読めたのと、頭の中で登場人物たちがリアルな表情をもって動いてくれるのは映画を先に観た利点かもしれない。
しかし、私自身なぜここまで悪の教典に取り憑かれるのか。
内容はグロテスクで倫理的に問題のある場面ばかり。日本に住んでいたら、ほとんどの人は遭遇しないだろう場面。リアリティとはかけはなれている、と思うのは私が平和な日々を過ごしてきたからだろうとは思う。
だからこそ、非日常に魅了されるのだろうか。私の中にも、蓮実のような一面があるから?…なんて考えるのが凡人のそれな気がするが。
なんとなく、犯罪を行う人物が描かれる時、たいてい過去で虐待を受けていたとか、親に捨てられたとか、少しは同情をかう部分が入ってくるイメージがあるのだが
蓮実聖司にはそれがない。ただただ自己中心的で、秒針が悪側にふっきれている。
最初から最後まで蓮実聖司は蓮実聖司なんだなと思う。だから、ひどいシーンにきた時も、あぁ…まぁ蓮実聖司だからなぁ。と許して(?)しまうのだろうか。
悪の教典の感想というよりは、蓮実聖司の感想になりつつある。感想でもない気がしてきた。
書いていて思うのは、やはり私は蓮実聖司に魅力的な何かを感じるのだろう。
だけど、ハンダゴテで蜂の巣にされるのも、ショットガンで蜂の巣にされるのも、刺されるのも折られるのも吊られるのも勘弁願いたいが。
あくまで小説の中の人間で、私は安全なところから読めるから、いいんだろう。
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