エミリの小さな包丁

エミリの小さな包丁 著:森沢明夫 角川書店

とにかく味のあるおじいちゃんが素敵で、こういう家で一夏を過ごしたいなぁと思う物語。
和室、風鈴、畑、海。レトロな雰囲気が表紙からも伝わってきて、こういうのがスローライフというのか。好きな人にはたまらないだろうと思う。

主人公は、自分に自信がないうえに、何かを持っている人に強烈に惹かれる節がある。上司に関しても、「こんなにすごい人が自分と付き合ってくれているだけでありがたいこと」と自分を卑下しているほど。
きっと、直斗さんや京香さんに関しても光るところがあったから憧れを抱いていたんだろう。直斗さんへの気持ちは1人ではじめて1人で盛り上がり1人で終わらせたんだな…と思ったけれど、まだ自分の武器を見つけていなかったからこうなったんだろうなと思う。
どうにも、誰かと自分を比べてしまう主人公。ただ、これは終盤で考え方が変わっていくし、武器も手に入れ、ひとつの自信を手に入れた主人公は強くなって、冒頭のシーンにつながるんだろうと思うとそれもいいなと。
個人的には、直斗さんを諦めず「しっかり気持ちを伝えるくらい自信がついたら、また戻ってきます!」と直人さんと京香さんに宣戦布告するくらいしてほしかったけど。(といっても、多分あの2人は恋仲な気もするので、感謝を伝えに帰ってくるみたいな展開で)

ただ、私はおじいちゃんが出てくるまでの間、5回ほど読むのをやめようかと思った。
なぜなら、無理矢理(と私は感じた)綺麗な表現を入っているところ、なぜ含みを持たせた書き方をしているんだろうと思うところがあったから。

冒頭、主人公が自分の武器を見つけて帰ってきたところと思われるシーン。これは読んでいなくても、最後の方の展開なんだろうなという予想がついたし、それならば主人公は心が強くなって、前に向いて歩き出しているところなんだろうと察しができていた。
だが、主人公の武器が「包丁」であることだからか、まるで相手を今から刺しに行こうとしているのでは?とも思える遠回しな書き方。だけど、風景描写や主人公はいたっておだやかに見える。「いやいや、普通に書けばええやん」と突っ込んでしまった。
そして、最後まで読んだからこそ思う。この冒頭、いるのか?

あとは、ところどころ出てくる
「バター色のひだまり」
「パイナップル色の海水」
「マンゴー色に変わりつつある水平線」
といった詩的表現。分かりにくい、というよりはなぜこの表現を使ったんだろうと思う。一人称視点の書き方だが、この主人公がこんな表現使う?と。

梅雨が明けたのは、ほんの三日前のことだった。そして、その日からいきなり世界はぎらついた光であふれ出した、オセロの駒をひっくり返したみたいに、わたしの周りは突如として夏になったのだった。(本文より抜粋)

ここの表現は「???」だった。オセロの駒をひっくり返したみたいに、とは。
黒い面が一気に白くなる様子からだろう、それはわかる。

最初は、あぁ、この本は綺麗な言葉を並べたい物語なのかな
と思ってしまい、読むのをやめようかと思ったのだった。

しかし、出てくる高齢者の方々は味があってよかったし、主人公の居場所ができ、徐々に独り立ちしていく様子はよかった。
特におじいちゃん。寡黙というのがよかった。青春映画などによく観られるひとり語りというのもあまりなく、押し付けるような感情もなく。

だんだん、何を書きたいのかわからなくなったため終わる。

昔から読書感想文が苦手で、どう書けばいいのか調べてもよくわからず、自分はどう感じたのかを文章にするのは難しい。
そのため、この日記も拙く読みづらいことは重々承知だ。
あくまでこの感想は、私の一方的なもので、共感を求めているわけではない。
ただただ、私はこう思ったんだという気持ちをかける場が、欲しかった。

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