ショコラティエ
ショコラティエ 著:藤野恵美 光文社
自分も何か、自分にできることを探してその道を歩きたい。そう思わずにはいられない話。ただ、そう思ってから行動する人は、どれくらいいるのだろうか。
パッケージで手に取った本。どの世界でも、第一印象は大切で、今ではお菓子のパッケージやお菓子自体も思わず収集したくなるような、SNSに載せたくなるようなものが多い。
いくら中身が良くても、手に取ってもらえなければ伝わらない。
手に取ってもらえず、廃れていったものがたくさんあるんだろうなと思う。
けれど、最近では外見重視のものも増えてきたような。そういう時って残念な気持ちが数倍にもなる。この本を手に取った時も、やや不安があった。この表紙、オシャレだけど中身はどうなんだろう…なにしろあらすじも書いていないので博打だったが、今回は勝つことができた。
才能って何だろうかと思う。自分の才能を見つけてその道に進む人を見ると、すごいなぁと思うし、羨ましくもある。
自分の話になるが、何かしらの才能はあるはず、と夢を見るものの探すことはなく、何かを続けたこともない。私の子どもの頃、欲しいものはわりかし手に入り、やりたいこともやらせてもらえた。バスケット、テニス、ハンドボール、ピアノ、ヴァイオリン…いろんなものに触れてきたが、どれも続かなかった。器用ではあったため、どれもそこそこの所まで行くのだが、なにせ努力ができなかった。努力もできなかったし、そこまで思い入れることができなかった。多分、ちょっとした好奇心で始めるものの、すぐにそこそこできるようになる。ただ、自分より上手な人は五万といるわけで、その人たちの前に出るのは恥ずかしいし、そこに行こうと努力するのも嫌だからやめてしまう。逃げる癖がついていたんだろう。努力せずに自分がトップに入れるものなんて、ないというのに、それを探していた。
だから、光博の気持ちに共感できる場面が多々あった。けれど、他の人から見れば、光博も羨ましいと思われる立場にいるだろう。それは私にも言える。
隣の芝生が青く見える、というのだろうか。
自分には何の才能もないと思っていた光博。私は、光博は分析して評価することに長けている才能があると思うのだが。ピアノにしても、チョコレートにしても、作り手の思いを正確に捉えることって、それだけでとんでもない才能だろう。本人からすれば、それがわかるからこそ自分と比べてしまうんだろうけど。
全部の視点を持っている人なんていないので、それぞれの得意な部分を持ち寄って他の人の苦手なことを補っていくことができれば、より良いものを作り出せることができる。そんな当たり前のようなことだけど、誰かに助けを求めるのってなかなか難しい。行動するのも難しい。
何かを持っている人ってすごい。自分にも気づかないだけで、そういう部分はあるのだろうか。
あぁ、誰かの目を気にせずに、自分がいいと思うからいいんだと思えるようになりたい。
自信を持つのって、こんなに難しいことだったかな、と思わずにはいられない。
何だかぐちゃぐちゃになってきたため、終わる。