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本当の自分

大学4年生の今。僕はコート上でも、ベンチでもなく、観客席から自チームの試合を観戦している。というよりは、負けることを願っている。

僕は8歳からバスケットを始め、今現在までバスケット中心の生活を送っている。中学、高校、大学といい環境でバスケットができ、プロバスケット選手への近道かどうかを判断基準に進路選択してきた。
 
中学では、県大会優勝。高校では全国大会出場を果たし、キャプテンとして活躍した。

大学

一年生の頃には、前歯を4本失う大怪我をし、3年時には、右膝内側靭帯断裂。4年時の春には左人差し指(利き手)開放脱臼をした。
それだけではない。一年生の頃は、Bチームでそこには就活を終え、バスケットへのモチベーションが低い先輩が何人もいた。そんな先輩を見過ごすことができず、闘志むき出しで抵抗した。
その結果、スタッフ陣から「先輩と仲が悪いから」という理由で試合に出してもらえなくなった。
コロナパンデミックが比較的落ち着いた2021年。
三年時には、「どうしたら試合に出られるのか」「コーチたちが俺に求めていることは何か」「何をすべきなのか」ということで頭がいっぱいになり、

スタッフ陣から

「考えすぎ。お前らしさが感じられない、お前を使うメリットを見出せない」

とはっきり言われた。

地元

実家の愛猫

地元を出て上京してきたため、年末年始や長期オフの時は、地元に帰る。
結果を東京で残すことができていない自分自身がとても情けなく、惨めで恥ずかしかった。両親や友人に合わす顔が無いと思った。

地元にいる頃は大口を叩き、

「YouTubeに俺のハイライトすぐ載るから期待しててな!」
「プロ注になって帰ってくるから、友達全員に自慢しといて俺のこと」
「おとーさんにはカイエン、カーさんにはゲレンデやな」

希望しかないあの頃の自分は、今の自分を見たらどう思うだろう。

帰省するたびに、両親や友人は

「期待しとるよ!」
「いつになったらお前の活躍、自慢できるようになるん?」
「俺も頑張るからお前も頑張れよ」
「早くお前がまた試合で輝いとる姿見たいわー」

という希望と期待いっぱいの言葉をかけてくれたが、それに応えられない自分が染むほど情けなくて、申し訳なかった。

ラストイヤー2022


今日(リーグ戦第5節)、これまで4連敗していた僕たちのチームは念願の初勝利を挙げた。

だが、僕はスタンドで彼らの試合を”負けを祈りながら”見ていた。

4連敗している間もちっともなんとも思わなかった。
むしろ、「負けて当然。俺出てないんやもん」と考えていた。

その気持ちを試合に出られない仲間に共有して、「お前もやろ?」「俺の言っていること間違ってる?」と正当化した。

こうして、noteを書いている今も、
明日の試合を心から応援できる自信がない。

本音


悲劇のヒロインぶってるだけで、負け犬やん、俺。
かっこ悪すぎやろ俺。
今のお前は、友達と両親が願っている姿の正反対じゃないん?

心の奥深くには、こういう想いが渦巻いている。

本当はわかっている。

本当は、ずーっと前からわかっている。




試合に出られない”今”を作ったのは自分であり、その結果悔しさを感じ、不貞腐れ、悲劇のヒロインぶっていること。
こういう振る舞いと行動をとっている自分は、自分から見てもめちゃめちゃカッコ悪いということ。
不満と恥ずかしさばかりで、周りにばかり目を向けていること。
コントロールできないことばかりに気を取られ、『今を生きる』ことができていないこと。

結局、どんなに現状を受け入れられなくても、周りの目が気になっても、

『今は今しかない』

『今をどれだけ最高のものにできるか』しかコントロールできることはないし、それが今できる最善の選択だと思う。

これを書きながら、自分自身に言い聞かせている。

これは俺じゃない」
「俺はまだまだやれる」
「自分の人生、最高に楽しまなきゃいみないだろ」

根本的なことは変わらないが、考え方と捉え方は変えられる。

俺の人生だろ。岡本太郎氏の言葉を借りるなら

”命を燃やせ”

バスケットボール以外の生活面から120%充実させよう。
逃げるわけじゃない。積極的に生きよう。

”俺の価値は俺だけが知ってりゃいいんだぜ”






最後まで読んでいただきありがとうございました。


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