Tomoyuki Nakano
偶然つけたBSで、気候変動に対する若者の行動のドキュメンタリーを見ている。以前見た番組だが、今見ても心が動かされる。 底にあるのは、こんな世界をつくってきた大人たちへの怒りだろう。 政治家も企業も誰も責任を取らず、責任を果たそうとしない。 私の知人の大学生をはじめ、多くの若者が、今、入管法改悪阻止のために行動している。 彼らも抱いているに違いない。 こんな差別に満ちた、醜悪な社会をつくりながら恥じることもない大人たちへの怒りを。 それは、私にも向けられるべきものだ。 現
SDGsという言葉に懐疑的である。誰もがこの言葉を知るようになり、持続可能な社会を意識するようになったのは、素晴らしいことだと思う。 しかし、Sustainable(持続可能な)という言葉だけが独り歩きしていないか。持続可能な企業、持続可能な自治体、持続可能な国。都合のいいように使われていないか。 持続可能である前に、持続することが許される社会であることが優先する。私はそう考える。 いじめやハラスメントを経験した人ならわかると思う。学校など燃えてしまえばいい。明日など永
難民申請者の方のためのシェアハウスをつくりたいと、前回書きました。家の間取り的なところも書きました。今回は、その家と地域とのつながりについて書いてみます。 ただ、住んでもらうという家にはしたくないです。地域の人たちとつながりあって、お互いに学びあえるものにしなければと強く思います。 シェアスペースを使った学びあい。絵本カフェ風に、親子、または子どもたちが気軽に立ち寄れるみんなのほんだな。地域の高校や中学の生徒さんとの交流。 地域の農家さんと難民の方とでゲストを招いて、農
ごぶさたしてすみません。だいぶ間が空いてしまいました。 NPO法人化が、ようやく見えてきました。時間がかかりすぎてしまったのは、すべて私のおそれのせいだと思います。役員を引き受けてくれた方の意見を聞いて、全員の同意をもらわなければならないという思い込みもありました。私がどこまで自分の意見を貫くべきなのか、迷いがありました。 今も迷いはありますが、振り切るべきときなのか、とも感じています。暴走したら、他の方に止めてもらえばよいのですから。 私が実現したい、最も具体的なこと
まもなく皆さんに告知できます。 映画の自主上映会を開催します。 12月の開催で、告知ができるのが11月1日ですので、明日からです。 国内の難民申請者の若者を描いたドキュメンタリーです。 そして、今回の上映会は、高校生との共催なのです。 今月(10月)、難民申請中の方を招待してオンラインイベントを、ほぼ独力で開催し、成功させた高校生たちが、上映会も企画しています。 本当に素晴らしいです。彼らの行動力に尊敬の念を抱いています。 私も立ち止まっているわけにはいかないと、勇気づけ
いま、行き詰まりを感じている。 難民の方のくらしを創りたいと思い、NPOも準備をしている。 働く権利も与えられず、医療さえ十分に受けることができない状態に置かれている人たちに、希望を持ってもらいたい。 難民だけではなく、マイノリティと呼ばれている人たちの希望になりたい。 しかし、現実は。 お金のこともある。偏見や差別もある。 個人的には、家族の生活もある。 考え出すと負のループに陥ってしまう。 俺は間違っているのか。 どこが間違いなのか、何が間違いなのか、、、 気付けば、間
昨日、10月2日は国際非暴力デーだったそうだ。そうだ、というのは、昨日の午後まで、全く知らなかったからだ。 インド独立運動の指導者であったマハトマ・ガンディーの誕生日を国際非暴力デーとして、2007年の国連総会で制定された国際デーの一つだという。 ガンディーは、「非暴力・不服従」によってインドの独立を指導し、イギリスからの独立を果たした。決して「無抵抗主義」ではない。 私はもちろん、インド独立時は生まれてもいない。だが、成人してからガンディーを知り、映像などで「非暴力・不服
虐待事件が繰り返されている。おそらく氷山の一角なのだろう。 いまだに増え続けている。なぜなのだろう。 学校でのいじめも、職場でのハラスメントもなくならない。 自ら命を絶つ人は後を絶たない。昨年から今年にかけて、特にこどもや若い女性の自殺が増えている。 人は、なのか日本人は、なのかわからないが、いつも弱者をつくってきた。 古くは士農工商の下に置かれた人たちであったし、近代以降も差別が続いてきた。アイヌや琉球といった民族的な差別や、障がいのある方やハンセン病などの病気を持った方