応援!北海道キカク人 vol.2「他人の生きている世界をどう想像できるだろう」 小町谷健彦さん(株式会社fuchi代表取締役)
北海道には魅力的なキカク人がたくさん!!
チャレンジングな活動をしている人にスポットを当て、その活動を応援する連載企画「応援!北海道キカク人」。
第2回ゲストは、株式会社fuchi代表取締役 小町谷健彦さん。
小町谷さんはUターン後に厚真町で起業し、地方創生プレイヤー、映像製作プロデューサーとして幅広く活動されており、様々なキカクにチャレンジし続けています。
そんな小町谷さんにキカクの秘訣を伺うべく取材してきました!
伝えるだけじゃなくて、一緒になって変えていきたい
―大学を中退して自主映画を作られていた経緯を教えていただけますか?
小町谷さん:家庭の事情もあって高校時代とても悩んでいたのですが、大学に行ったらその悩みを話せる人が見つかるかもしれないと期待して進学したものの、実際は全然そんなことはなくて、、
周りに悩みを打ち明けられず苦しみ、大学に行かないで映画館で時間を潰しているような日々を過ごしていたのですが、そのとき何本かの映画にすごく感銘を受けて。自分が悩んでいることに近かったと言うこともあって。
その時に「もしかして映画の世界に行ったら、話し相手が見つかるとか、自分みたいに生きづらさを感じている人に何かを届けられるんじゃないか」と思いました。
当時住んでいた寮の映画好きの人たちとそんなことを話しているうちに、「俺らも映画を撮ってみるか!」となって。
自主映画を作ってみたり、プロの現場でちょっとお手伝いしてみたりしているうちに、「もうこっちの世界で生きていこう」と考えるようになりました。
ただ活動を続けていくうちに、やっぱり素人なので限界があることに気づいて、、
それで当時僕がすごく好きだった、北海道が舞台の映画を作っていた会社の社長のところに脚本を持って直談判しに行ったのですが、話しているうちに「お前なんか面白いから俺のところで働け」と言われ、社長の家に住み込みしながら働くことになりました笑
―それはすごい話ですね。そこからは順調に映画作りができたのでしょうか?
小町谷さん:これがすごく大変で、、。書生のように社長の身の回りの世話をする生活から始まって、映画に関係ないようなことまでありとあらゆることをやっていました。
最終的に認めてもらう事ができて、社長付のアシスタントプロデューサーになることができたのですが、当時は日本映画バブルが弾けたころで、映画会社が軒並み潰れていくような時代でした。残念ながらその会社もご多分に漏れずで、無理な仕事をしようとして資金がショートしてしまい、、人を不幸にしてしまうような壮絶なことがたくさんありました。。
そこで誰かの不幸の上に成り立つような仕事に同調できなくなってしまい、会社を辞めることにしました。
映画作りに絶望しかけてしまったんですが、色々な人と会っている中でドキュメンタリー映画を作る人たちとの出会いがあって、話しているうちに「この人たちは世の中のことを真面目に考えているな」と感じて。
そこで少し希望を持って、働きながら映画の夜間学校に通い出すことにしました。その学校で4,5年ドキュメンタリー映画について勉強するのですが、すごくお世話になった映画プロデューサーの方に「そんなに映画作りたいならうちに来るか」って言ってもらえて、そこからまた映画製作会社で働くことになりました。
―新しい会社での仕事はどうだったんでしょうか?
小町谷さん:すごく充実していました!ドキュメンタリー映画業界では伝統のある会社だったこともあって、関わる人が一流の文化人ばっかりで、とても楽しかったんです。
でもその会社もやっぱり経営的には厳しくて、30年余りの間に積み重なった無理で借金が膨らんでいって。
ドキュメンタリー映画で返済できる金額と負債のバランスが合わなくなり、スタッフや出演者にお金が払えないとか、その状況で僕自身も相当無理をすることになって、結果的には倒れてしまった。
そうなると、本当に尊敬している人たちと働いていただけに、それで無理だとなると、これからどうしていいかわからなくなってしまった。
また映画に絶望しかけたんですけど、元々は映画に救われたって気持ちがあったし、作っていた作品にはプライドを持っていたから、やっぱり続けたいと。
ただ、これまでと同じことやってたら絶対ダメだと強く思いました。
これは構造的な問題で、映画を作るだけではダメなんじゃないかと。誰かの生きづらさとか、そういったものを助けたいと思って始めたことだったけど、見てくれる人も限られているし、それをやってても本当に世の中が変わるんだっけ。って思い始めて。
だから、映画を作りたいって思う反面、自分も一緒になって変えることをやりたいっていう風に考え始めました。
企画の源泉はいつも目の前の誰か
―そこから故郷である北海道に戻ってくることになった経緯を教えていただけますか?
小町谷さん:自分は映画作りしかやってこなかったから、世の中を変えるために自分ができることを増やさなきゃいけないと考えました。
そこで地域開発系とかコンサルティング系の会社の面接を受けたり、全国を巡って様々な人たちに会っていくんですが、津別町でまちづくりをしている会社の方から「一緒にやらないか」と誘って頂いて、「いい経験になるんじゃないか」と思ってその会社で働くことにしました。
でもやっぱり地方を変えるって簡単ではなくて、町民の思いと連携できずうまくいかないことも多かったんですけど、すごく多くのプロジェクトが動いていたので、とてもいい勉強になりました。
―そうして力を付けつつ、独立を果たすんですね。なぜ厚真で起業されたのでしょうか?
小町谷さん:はい、ある程度力を付けたら独立したいとはずっと思っていたので、2022年に厚真町で自分の会社を作りました。
僕の仕事は企画業で、企画の源泉はいつも目の前の誰か。そこに困った人がいたりとか、そういう事が僕の原動力になっています。
都会だと同質性みたいなものが生まれてきてしまうけど、地域で生きてると色んな人に出会う。そうやって色々な人に合うことがアイディアの源泉になっているので、地方で起業することにしました。
―実際に色々な活動を様々な地域で取り組まれていますよね?
小町谷さん:はい、町に眠っている8mmフィルムで自分達の町の映画を作る「あつまフィルムコモンズ」を立ち上げたり、言葉にならない思いを伝えていく「monotalk studio」、D&Iのコアエッセンスを社会に実装する「共生社会ラボ(仮)」、北海道の未来を創る次世代リーダーを発掘し育てる人財育成プログラム「Ezofrogs」、移住者を求める企業や自治体を「球団」、移住を検討している人を「選手」としてドラフト会議をするイベント「北海道移住ドラフト会議」など、多くの地方創生プロジェクトに関わっています。
他人の世界をどう想像できるかが自分のミッション
―映像制作、地方創生と様々な活動をされていますが、小町谷さんが目指しているものとはなんでしょうか?
小町谷さん:僕の中で1つ固まっているのは、僕の人生のミッションは、
「他人の生きている世界をどう想像できるだろう」
と言うことです。
地球に生きていて、日本に生きていて、同じ景色を見ていても、皆それぞれの生きてきた環境とか経験で違う景色に見えている。
それをまずは受け入れること。
本来分かり合えないはずの人たちが、分かり合いたいと願っているということがそもそも貴重なことなんじゃないかなと。
その先に生きやすさだったりとか、平和だったりとか、そういったことが あるんじゃないかなということを思っています。
誰かの思いみたいなのをどういう風に伝えられるかとか、どういう風に一緒に想像できるかと言う事をビジョンとして、それに沿った活動をしていきたいと考えています。
―ビジョンに沿って進めている活動があれば教えていただけますか?
小町谷さん:主体となって進めているプロジェクトがいくつかあるのですが、1つが「体験型ドキュメンタリーの鑑賞会”いまドキュ”」というプロジェクト。
僕たちが見て欲しいドキュメンタリーを通じて、その映画のテーマを深堀・体験してもらうプロジェクトで、今年は北海道教育大学さんとコラボレーションして、魚食文化について市民に深く考えてみてもらう活動を実施しています。
今年11月に実施される北海道フードフィルムフェスティバルの関連企画として映画の上映会と学生発表を実施することになっていて、来年はこのイベントを全道に広げようと取り組んでいます。
そしてもう1つのプロジェクトがドキュメンタリー映画の製作。
徳島県にある「日本一の高等専門学校を作ろう」と言う国内的にとても注目された取り組みを追った作品、「潰れかけのスタートアップ企業が全米ナンバーワンダウンロードゲームを作るまで」を描いた作品などいくつかの作品製作を進めています。
また日本の伝統工芸と社会課題を掛け合わせてプロダクトを作り、そのプロダクトと共に両方の想いを発信しようと言うプロジェクトも進めています。
茨城県にある老舗の和菓子店の方に言語障害に関するエピソードを聞いてもらい、そこからインスピレーションを受けた和菓子を作ってもらう。それを販売するまでの様子を僕たちがドキュメンタリーにして発信する。
さらにその活動に対して企業の出資を募ると言うことも進めています。
他にもいろいろなテーマでプロジェクトを進めています。
「他者の世界を想像する」ためにできることをどんどんやっていきたいですね。
―小町谷さんが取り組まれているプロジェクトはどれもワクワクするような(羨ましくもあるような)素敵な取り組みばかりでした。本質的な課題を捉えて企画に昇華させるその能力で、これからますます北海道を、そして世界を変えていってくれるのだろうと期待しています!応援!
(ライター:松井 貴彦)