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寄り福を目指して

ふたつの世界を行き来する

ヒョロロロロ…ヒョロロロロ…というアカショウビンの鳴く声で朝、目が覚める。喜界島に来て10年。季節によって目覚ましに来る鳥が変わることをいつの間にか知っていた。

私は大学教員をしながら都市に暮らしていて、奄美群島の1つである喜界島を拠点として研究をしている。10年前に調査で訪れたい喜界島に、ただ暮らしたいという理由で、住民票を移してしまった。この島でいつでもいつまでも研究できるように師匠と一緒に「喜界島サンゴ礁科学研究所」を設立した。なかなか去らない私たちを島の一部として受け入れてもらえるようになった。

島に来た当初は必死に学校や集落や様々な集まりで講演活動をおこなった。しかし、一人の若手研究者が知っている世界は、学校で習うよりも深いかもしれないが針のように狭い。次第に、この島で起こる自然と社会的な営みが私にとってはこの世界の教科書であり、私は教わる立場に変わっていった。

私は自然科学の研究者で、数値や確率的に有意であることを論じるという科学の世界で生きてきた。それは人が人らしさを限りなく排除して、自然を理解しようとする行為である。しかし、私が喜界島で教わってきたのは、周りの自然や社会の変化を感知しながら、人らしく生きる暮らしである。そこには複雑な自然や社会変動に対する受容と、一元的ではない価値観があり、島唄や八月踊りがどうにもならない心や多様な個を包み込んできたのではないだろうか。私は対極的な二つの世界を行き来する生活を今も続けている。

解析できない“幸せ”

私は樹木と同じようにサンゴに刻まれる年輪の化学分析から海の環境変化を読み出す研究をおこなっている。ひとりのサンゴから、数百年間分の思い出話を聴く気持ちで、解析をする。それと同じように、この島の人たちの話を聞くようになった。

「この水源にはね、水の神様がいると聞いていたよ。朝、神様より先に水を使ってはいけないの。今はここで洗濯もしなくなってしまったけどね。」

「追い込み(漁)でクルビラーが獲れなくなった。でも農業は大事だから責めてはいけない。海はこれからの人、次第だね。」

「(サトウ)キビは歳だからね、やめたんだ。集落の人は減っている。でも幸せに楽しくやってるよ。」

一人一人の思い出が社会や環境の変化と繋がっている。無くなったものを憂いながら、数字や表面に現れない幸せや優しさがある。私はこの島の「人らしさ」を研究したいと思っているが、少なくとも、残して伝える役割を全うしたい。

「みなさんのことを“寄り福(ゆりぶっくー)”っていうんだよ。島には常に何かが流れ着く。人だったり、モノだったり、知恵だったりする。海岸の漂着ゴミのように困ったものもあるが、良いもの(福)は海から来る。」

私はこの島の福となることを目指している。

2024年7月
山崎敦子(喜界島サンゴ礁科学研究所)


本稿は「人と国土21(第50巻3号) 特集 奄美法・小笠原法の延長・改正と今後の振興開発/奄美・小笠原での暮らし」に掲載されたものを一部改訂して掲載しています。


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