人間の暖かさは存在するのか

※薬物全く関係ない、プライベートな投稿です。

旅行好きとして思う


「人の暖かさに触れて感動しました!」とか言う旅人多過ぎ。

しかし人の暖かさとはなんでしょうか。

そんなものがあればホームレスは存在しないし、いじめも野良猫も存在しないと思うのです。
困っている人がいたら助けてあげる というのは優しさでしょう。しかしどれほどの人がそうするでしょうか。

勇気が足りない

「人はみんな本音では優しい」というのは、多くの人間に通じる一般的な見方ですよね。
例えば、目の前で小銭をばら撒いてしまった人がいたとして、その人を助けるでしょうか。
もちろん助ける人もいるでしょう。
しかし助けてあげずに通り過ぎた人は皆その人を気にもとめなかったかというとそんなことはないはずです。
「あっ、手伝おうかな」と思った人も必ずいるはずです。

しかしそこで手伝うに至らなかった大きな理由として、謎の恥ずかしさがあります。
このような問題は電車で席を譲るか問題にも同じ事が言えるでしょう。これらは多少の勇気が必要な行動です。

心の底では皆優しいよね!


行動で示せるかとは別に「みんな心の底では優しいよね」という共通理解が日本人一般にあるのではないかと考えています。
冒頭の、「人の暖かさに触れて感動しました!」という発言は、「人は冷たいと思っていた!」とか、「人が暖かいとは思わなかった!」という意図から生まれた発言ではないはずです。人が本来暖かいものであるということを前提とし、その上でそれを直接的に体感出来た事に喜びを覚えている発言であるはずです。

 しかし、人の暖かさがあるのになぜホームレスやいじめがあるのでしょうか。 

ホームレスはなぜいるか


まず、そのような他者は、意識が救うべき存在としてそもそも捉えていないということです。
これはある種当然の事です。
そこにまで自分の責任があるとは言えないため、合理的な選択をすればそうなります。

自分を優しい人(or性格)だと思うか?という問いがあれば、多くの人が 「そうだ」 と答えるはずです。
しかし彼らは自分が見てみぬふりをした人間のことを忘れているのでしょうか?
私達は忘れているのではなく、最初から意識していないのです。
最初から意識していないのですから、見捨てたことにも助けなかった事にもなっていません。

野良猫はなぜいるか


世の中には猫好きがたくさんいます。そして街には野良猫がいます。
猫は人間のペットとして進化を遂げた動物であり、人間に好かれる才能に全振りしており、犬ともに、野生で生きる動物とは一線を画した存在です。
そんな猫が路上で生活をして、食べ物もゴミを漁ることしかできず、冬の寒さにどれだけ凍えているかについて、猫好き達はどう思っているのでしょうか。
なぜ野良猫を助けずにペットショップで猫を買うのか、不思議ですが、これも全く同じ例でしょう。

猫好きは最初から野良猫を野良猫としか思っていません。野生動物が野山にいるように、野良猫は街にいる、と思っているのでしょう。

自分が何を拾い、何を捨て、何を通り過ぎて行ったのか。
しかしそんなことを全て覚えて意識して生きていくことは出来ないので、必然的な事でしょう。

助けが必要な人達


2つ目は、本当に助けが必要な人は、助けたいと思うような姿(や性格)をしていない ということです。

人が「助けてあげたい」と思えるような人には、
既に寄り添ってくれる誰かがいるでしょう。

なぜ誰にも助けてもらえない人がいるのか。
それは誰もその人を助けたいと思えなかったからです。
これは見た目にも性格にも言えます。

私がいじめに関わった経験


この問題は僕自身、小学校でいじめがあった時に体験したことでもあります。
4年生の時に転校してきた女の子で、片手の指が親指以外長さが完全でない子がいました。
もちろん周囲も最初はその子をいじるようなことはしませんでした。
しかしそういう行為は始まると段々広まっていき、結果的に男子も女子も大体皆がその子の事を嫌っている状況になりました。

僕は誰にでも偏見なく接するタイプだったので、クラスで最後まで僕だけが普通に接していました。
すると彼女は僕のことを好きになってしまいました。僕は困りましたが、わざと遠ざけるようなことはしませんでした。
そんなふうに仲良くなってから、彼女がおかしいことに気づき始めました。
結論から言うと、彼女は虚言癖でした

「ここはおじいちゃんのアパートだから、全部自分たちで使える部屋だ」

「サッカーをやっていたからアラウンドザワールド(リフティング技)が出来る」

「手と手を近づけて静電気を起こせる」
など、他にも思い出せるだけでもかなりありました。

これらの嘘は当然、彼女が人の気を引きたくてついたものであり、悪意があったわけではありません。
しかし当時の私にとっては簡単に受け入れられるものではありませんでした。

このようなことが重なった結果、僕は完全に彼女の事を嫌いになりました
その後彼女はクラス全員に無視されるようになりました。
これは辛いことです。
彼女はまた転校してしまいました。


このような経験があるので、僕はいじめに合う本人になんの問題も無いとは思えません。もちろん当時の僕の"無視"という行動は彼女を酷く傷付ける行為であり、許されるべきことではありません。
それ以降、この時の後悔から、皆から嫌われている人に対しても、できる限り平等に接する事を心掛けてやってきましたが、毎回同じ事を感じます。

とにかくその時、彼女を助けたいと思う人はいませんでした。
そういうことです。
クラスメイトの誰も、彼女を助けたいと思う人がいなかったのです。

結論


僕は、この2つの事が、僕自身の持つ「人の暖かさ」への疑問の答えになっていると思います。

意識が救うべき存在としてそもそも捉えていないか、助けたいと思えない相手か、ということです。

締め方がわからないので終わりです。
細かい事でもコメントは歓迎しております。


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