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堤清二の現代語訳『日暮硯』

堤清二による現代語訳『日暮硯』は、平明で読みやすく、誰でも短時間で読むことができる良書だ。併せて原文も収録されている。そして堤氏による長文の解説が、たいへん興味深い。

堤清二は改めてここに書く必要もない著名な人物だが、念のために簡単に記しておくことにしよう。
堤は1960年代から実業家として活躍し、自身が率いる西武百貨店を三越を抜いて日本一の百貨店に成長させた。ついでインターコンチネンタル・ホテルを買収すると、リゾート経営に乗り出す。無印良品、ファミリーマート、ロフト、パルコ、吉野屋、FM局J-WAVEなどは、堤が代表であるセゾングループの傘下にあった。エルメス、サンローラン、アルマーニなどを百貨店に引き入れたのも堤である。(ウィキペディアを参照)。

国内に一大流通グループを創りあげただけではなく、美術館や出版社も経営するなど、70年代以降の文化事業に多大な貢献をした。と言うよりも、70年代半ばから約20年続いた日本がもっとも豊かで、世界から羨望のまなざしで見られていた時代の経済と文化の中心に、堤清二はいた。私のようにこの時代に10,20代を送った者にとっては、どこまでも豊かになっていく日本を象徴する1人、アイコンといえる人物だった。

と同時に、(これも書くまでもないことだが)堤は小説家でもあった。筆名は辻井喬。代表作『虹の岬』(谷崎潤一郎賞)はじめ、数多くの小説と詩作品を残している。不勉強な私はこれまで彼の作品を読んだことがなく、この現代語訳『日暮硯』が初めて読む彼の本となった。

本書解説文の冒頭に、堤はこう記している。

長いあいだ、『日暮硯』は私にとって気の重い、しかし決して意識のなかから消え去らない存在であった。それはかつて『日暮硯』がよく読まれていた昔、この小冊子が「日本的経営の真髄を示している」と評価されていたからだった。
私(堤)はその「日本的」という点にこだわり、近代的経営はおそらく『日暮硯』とは反対の原理の上に築かれるはずだと、漠然と考えていた。

近代的経営とはどんなものか。堤は四つの条件を挙げている。
1.所有と経営が分離していること
2.構成員の自由意志で成り立っていること
3.契約に基づいていること
4.能力主義に則っていること
これらが貫かれている「目的共同体」として組織が運営されていることが、近代的な経営である。

上記の条件を踏まえると、『日暮硯』のような江戸期の一藩の財政を建て直した実績を経営の模範として評価することは、「我が国の経営の近代化を後戻りさせる見解であり、時代錯誤で、国際社会に開かれた戦後の日本経営にとって好ましくない見解である」と、堤は考えていた。おそらくこれは、戦後の経済界の常識的な見方だったのだろうと私は思う。当然、『日暮硯』のような記録は、だれも見向きもしない忘れられた存在となっていった。

そこにひとつの転機が訪れる。1970年(昭和45)に出版されたイザヤ・ベンダサン『日本人とユダヤ人』の登場である。著者はこの本の中で『日暮硯』を、一章をまるごと割いて大きく取り上げていた。『日暮硯』に日本人の政治的天才性を見たユダヤ人を自称する著者は、こう断言する。

「私はユダヤ人を政治的低能と規定する。イスラエルの長い歴史を振り返っても、1人の恩田杢もいない。」

堤によるとこの本は「日本人の発想、物事を処理する態度、思想や信条の傾向をユダヤ人と正反対のものとみなす文脈の中に、恩田杢が成し遂げた藩財政再建の行動様式を浮かび上がらせた」のだった。

イザヤ・ベンダサンという無名の著者による本は予想外の評判を呼んだ。最終的には売上300万部を超える大ベストセラーとなったのだが、このことが人々をふたたび『日暮硯』に注目させる契機となった。

それから10数年を経た80年代始め、堤はいよいよ『日暮硯』の現代語訳に取りかかる。当時の日本は経済の安定成長期に入り、世界でもっとも豊かな国と目されていた。E・ヴォーゲルが『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を発表したのが79年だが、そこで氏は日本的経営を高く評価して、アメリカはそこから学ぶ必要があると説いていた。

そのような時代にあって堤は、自身が経営者として仕事を続けてきた立場から『日暮硯』を再読する。そして、「かつてのような観念的な否定でもなく、さりとて手放しの楽天的評価でもない」場所に『日暮硯』を置きたいと考えた。この長文の解説は、そのような目的を持って書かれている。

私は今回、堤の解説を読み直してみて「たいへん興味深い」という最初に読んだときの印象をさらに強くした。おこがましい言い方を承知で言うと、『日暮硯』の何が現代語訳に時間を費やさせるほど惹きつけるのか、氏は最後まで明確な答を見いだせなかったのではないかと私には思える。魅力を感じるだけではなく、「考えるとどこか気が重くなり、長く気がかりとなっていることの正体」をはっきりと掴むことなく、氏はこの小論文を書き終えたような気が私にはする。

堤には『日暮硯』の真価を見極めたいはっきりとした理由があった。以下がそれだ。

「杢の行動様式の中に極めて日本的というべき特徴があり、解明されるべきはそれが果たして普遍性を持ち得るかどうかにある。」

戦後、奇跡的な発展を遂げた日本は自信を深めていき、「日本式のやり方」こそが素晴らしいとかつてに回帰する見方もあったが、堤はそれには与しない。しかし西欧的な社会のあり方や価値観を絶対視する時代も終わっていることを、文人としての堤はよく知っている。自称ユダヤ人の著者が日本社会を考察した『日本人とユダヤ人』に触発された氏は、先に紹介した目的を持って『日暮硯』にとり組んだ。

経営者・文人である堤の着想・分析はほんとうに鋭くて、面白い。一部を引用して紹介しよう。

「杢はどうやら強靱な思想家であった。むしろ、思想、道徳律から隔離された政策はあり得ないことを知り尽くしていたと考えられる。」
(その上で)「杢は極めて自由な現実対応の姿勢をとった。現実主義とは現実肯定ではない。対立の諸契機を改革の条件として活用しようという態度こそ、現実主義である。」
「すべての物事に戦術的な側面のみを見て、その背後にある思想を等閑視する経営の専門家には、日暮硯は大して価値のないものである。」

このように、堤は独自の広い視野から『日暮硯』を考察していて私には勉強になる。しかし論文終盤のもっとも肝心なところ、恩田杢の何が藩財政の改革を「平和裡に」成功させたのか、杢の思想の核には何があったのかの分析は中途半端に感じられる。堤はこう記している。

「恩田杢の政策の背後にあるのは〝ゆるし〟と〝変化の容認〟という思想、そして〝恥の意識〟であろう」
このまとめは、『日暮硯』の核心を捕まえ損ねているように私は思う。ここには氏が読み解きを求めた「(日暮硯の)解明されるべきは、それが果たして普遍性を持ち得るかどうか」の答はないように私には見えてしまう。

何よりじつは堤自身がこの結論に深く納得してはいないような気がしてならない。確信を掴んだという〝熱〟が伝わってこない。

現在本書は絶版であり、簡単に手に入れて読むことができない。多くの需要がある本ではないので仕方はないが、少々残念に思う。また、本書を書いた後に堤が『日暮硯』にどんな興味を持ち続けたのか、あるいは失っていったのかも私には分からない。同じことは、恩田杢に再び脚光をあてたイザヤ・ベンダサンについても言えるのだが、次は彼の大ベストセラー『日本人とユダヤ人』が、日暮硯をどのように評価したのかを考えてみたいと思う。

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