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小山直。1958年生まれ。地元の高校卒業。のちに家業(燃料販売・廃棄物処理)を継ぐ。2…

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小山直。1958年生まれ。地元の高校卒業。のちに家業(燃料販売・廃棄物処理)を継ぐ。2019年社長を退任。現在は小さな企業のニュースレターづくりを手伝っている。遺伝の心臓疾患と眼に障害がある。北海道在住。

最近の記事

堤清二の現代語訳『日暮硯』

堤清二による現代語訳『日暮硯』は、平明で読みやすく、誰でも短時間で読むことができる良書だ。併せて原文も収録されている。そして堤氏による長文の解説が、たいへん興味深い。 堤清二は改めてここに書く必要もない著名な人物だが、念のために簡単に記しておくことにしよう。 堤は1960年代から実業家として活躍し、自身が率いる西武百貨店を三越を抜いて日本一の百貨店に成長させた。ついでインターコンチネンタル・ホテルを買収すると、リゾート経営に乗り出す。無印良品、ファミリーマート、ロフト、パル

    • 『 日暮硯』を読む

      聞き書き『日暮硯(ひぐらしすずり)』は、江戸後期に松代藩(現在の長野県長野市周辺)の財政改革にとり組んだ家老・恩田杢(おんだもく)の功績の記録である。 恩田杢について興味を持っている人間というのは、今では珍しいだろう。新聞などの大きなメディアが杢を取り上げることは、ほとんどない。しかしかつて、昭和の高度成長期と平成初期までは一定の関心を持たれていた人物だった。 1970〜90年代には恩田杢の改革を検証し、彼を再評価する本がいくつか書かれている。歴史家や杢の研究者ばかりではな

      • 吉田拓郎とシューベルトが好きだった母

        今年5月に、98才で亡くなった母のことを書いてみたい。 母は大正15(1926)年、秋田県由利郡象潟(きさかた)町(現にかほ市)で7人兄弟の年の離れた末っ子として生まれた。県南部に位置する象潟はかつては美しい砂浜を持ち、鳥海山を望む風光明媚な土地である。 母は旧姓を須田という。須田家は船を持ち廻船問屋を営む商家だった。同時に多くの小作人を抱える地主で、東北の小さな町にあってかなり裕福な家だったらしい。7人の子どもには、一人ずつお手伝いさんが付いていたという。 父の正三郎

        • 覇者は自ら倒れる

          自分でも意外なことに、ヘミングウェイが好きである。と言っても、その作品をたくさん読んだわけではない。私が好きなのは『日はまた昇る』と『武器よさらば』に限られている。とりわけ好きなのは『日はまた昇る』で、4,5回は読んでいるだろう。 どこが面白いのかと言われても、説明がむずかしい。若いアメリカ人の新聞記者(ヘミングウェイ)がパリでメシを食べワインを飲み、夜ごとに若い男女と羽目をはずす。バカンスでスペインに行き釣りを楽しむ。パンプローナで闘牛に夢中になり、複雑な恋愛関係があり、

        堤清二の現代語訳『日暮硯』

          90歳で亡くなった父のこと

          生前、父から戦争の話を聞いたことがない。 父は6年前の8月に亡くなった。葬儀の前、故人略歴を確認するために私は叔父に「父が徴兵されて戦争に行ったのは、何年だったのか」と訊いた。すると、それは違うという返事が返ってきた。「兄貴は志願して戦争に行ったんだ」と叔父が言ったとき、私は心底驚いた。父が志願して戦争に行ったなどとは、まったく考えたことがなかったからだ。 「兄貴は泳ぎが上手くて海軍に行きたかったんだが、その試験に落ちたんだ。それで次は陸軍に志願して、今度は受かった。馬に

          90歳で亡くなった父のこと