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『日暮硯』を読む 恩田杢に注目した『日本人とユダヤ人』

前回は堤清二による現代語訳『日暮硯』について記した。この本が出版されたのは1982年だが、それより10年以上早くに『日暮硯』に強い関心を向けていた人物がいた。山本七平である。聖書学に関連する書籍を出版する山本書店の店主である山本は、イザヤ・ベンダサンという知日家ユダヤ人の書いた『日本人とユダヤ人』(1970年)を出版する。

この本は山本が予想もしなかった評判をとり、増刷に次ぐ増刷を重ねて、最終的には売上300万部を超える大ベストセラーとなった。この本の中で著者ベンダサンは、一章をまるごと割いて『日暮硯』を紹介している。これにより、恩田杢の再評価が始まることになった。

『日本人とユダヤ人』においてベンダサンは、日本人を政治的天才と定義する。そして「天才が往々にしてそうであるように、日本人自身はそれを少しも高く評価していない」という。それを証明する一例として、「朝廷・幕府併存」という2権分立体制が700年ほども続いたことを挙げる。

ベンダサンによると日本人は、「2権分立というユダヤ人が夢見て果たせなかった制度を、何の矛盾もせずにいとも簡単にやってのけ、しかも自らは少しもそれを高く評価していない」という。日本に対しそう感嘆したのちに、このように記す。

宗教・祭儀・行政・司法・軍事・内廷・後宮生活というカオスの中から、政治すなわち行政・司法を独立させた日本人が、その後どのような政治思想を基にして、現実の政治を運営していったか。その特徴をもっともよく表しているのは『日暮硯』であろう。戦争中、アメリカのある機関で、日本を知るために徹底的に研究されたのがこの本であり、私は今でも、これが「日本人的政治哲学研究」のもっとも良いテキストだと考えている。
(中略)
(本書においては利害の解決の仕方が)ユダヤ人やヨーロッパ人には夢想もできないような行き方で、一見すべてが非常に不合理・不公平でありながら、すべては〝まるく治まって〟おり、あらゆる人がその「仁政」を謳歌している。

これが『日暮硯』に対するベンダサンの評価であり、彼は太平洋戦争中に某機関の命により『日暮硯』を英訳して、提出する。そして、委員たちの質問に答えることになった。以下はそのときのことを記した部分である。

私は、この日のことを永久に忘れないであろう。驚いた顔、あきれた顔、まったく不可解という顔。何をどれから質問してよいのか、みな本当にとまどっていたのである。
確かに理屈でいえば、これは全く不合理なのだ。不公平なのだ。一方では(年貢を)先納・先々納までしたもの(農民)があり、一方には未納のものもいる。また賄賂を取ったもの(役人)は取り得なのだ。
一体、なんでこれが御仁政なのだ。
だが、民が1人残らず喜んでおり、杢を讃えているのは事実なのだ。
日本人の頭の構造は、いったいどうなっているのだ。
かれら欧米の人間にしてみれば、これは不公平であり不正義である。賄賂を取った役人の証拠を握った上でそれを不問とし、逆に重用するとは日本人の倫理・道徳はどうなっているのか・・。このような政治が民から賛嘆されることは、彼ら委員たちにはまったく理解ができなかった。

彼らの反発や疑問はもっともであり、しどろもどろになって説明するしか無かったベンダサンが、のちに得た結論はこうであった。その答は『日暮硯』のなかで恩田杢が何度も口にする言葉にある。杢は、農民や下級武士が為した道理や合理性を逸脱した振る舞いをきびしく叱責したあと、決まってこう言った。
「かく申すは理屈なり。」

ベンダサンを問い詰める委員たちの言っていることは、その理屈なのだ。杢は、その理屈を否定するところから始めている。杢にも農民にも『理外の理』ともいうべき共通の思考の基盤があり、杢はそれに基づいて政治を行っているのである。

この『理外の理』が日本人の思考の共通した基盤であり、杢はじつは一例に過ぎない。

これをユダヤ人流に解釈すれば、すべての人が支持する「基本的立法」が存在していて、人々はそれに沿って行動を決めている。それは合理性から外れることもある(理外の理)が、確実に機能する「実際の力」を備えてもいる。この日本社会の基本的立法はいったい何なのか。ベンダサンはこう結論づける。

杢が基本にしているのは「人間相互の信頼関係」ということなのだ。そのためにはまず自分が姿勢を正す。そして相手に対する絶対的信頼を披瀝する。そこには、「人間とは、こうすれば相手も必ずこうするものだ」という確固たる信仰が〝お互いに〟ある。これがなければ、一切は成立しない。

著者ベンダサンは、日本人には「人間教」とでも呼ぶべき他者への信頼があり、これが分からない外国人には日本人は不可解でもあるが、日本人を政治的天才たらしめているのもこの力によってであるという。

本書が執筆されたころ、ちょうど沖縄の日本への返還が決まった。この事実を眼前にして、ベンダサンはこう嘆息する。

一滴の血も流さずに奪われた国土を取り戻すことが、我々ユダヤ人や西欧の人々にできるか?

しかも日本人は自分たちの為したこのことを、さしたる偉業だとも考えていないかに見える。なんという政治的天才か。すべて「杢流」の為せる技である。

『日本人とユダヤ人』5章「政治天才と政治低能」はここで終わる。しかし、この「杢流」を徹底的に研究して考え抜いた人物がいた。そして20年後にその成果をまとめたのが大和信春著『和の実学』である。大和氏が提唱する「和道」と「和力」とはなにか。これからそれについて考えていきたいと思っているのだが、その前に『日本人とユダヤ人』の著者であるイザヤ・ベンダサンこと、山本七平について次回は少し記してみたいと思っている。

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