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「若さ」の魅力

年度末となるこの2月。
ステージ研修の最終段階として、2年次や3年次の先生方が、この一年間に取り組んできた個別の研究課題についてその成果を発表し、ともに協議しながら深め合いました。

若いのに、みんなすごいなぁ。

これが同席した私の率直な感想です。
「彼ら・彼女らの時分に、私はこんなにしっかりできていたかなぁ…」。若い先生方の姿が、とてもまぶしく映りました。

「若さ」が持つ魅力。
この記事では、それについて記していきます。

さて、
若いっていうことの中にある魅力とは、何でしょうか?

・疲れても、一晩寝れば復活
・休日は、いくらでも寝ていられる
・食べ放題で食べ負けない
・「よっこらしょ」と言わない
・スマホでちゃちゃっと決済
・いろんなところの可動域が広い
・加齢臭がしない

これだけでも、私にはとてもまぶしいのですが、さらに核心へ。

・秘めるポテンシャル・伸びしろ
・創造性
・とらわれない柔軟さ
・素直さ
・こわいもの知らず
・スポンジ感

このようにあれこれ指摘すると、なんだかウソっぽくなってきますが、その魅力を「ひとこと」で言うのなら、次のようになるでしょう。

  未完成さ

これに尽きるのではないでしょうか。

若気(わかげ)の至(いた)り」という言葉があります。
「若くて未熟で未完成であるがゆえに、血気にはやりすぎて無分別な行いをしでかし、失敗したり恥をかいたりしてしまうこと」を意味する言葉です。年齢を重ね、のちに自らの愚行を振り返って言う場合などに用いることが多いですね。私も今振り返れば、恥ずかしくなるくらいの「未熟さ」「アホさ」の若い頃、「若気の至り」のエピソードに事欠きません。でも、たとえそうであったとしても、それをものともしなかったのも、この時期でした。

「未完成」が「完成」へと向かうプロセスにおいて、「チャレンジしてなんぼ」「失敗してなんぼ」でエネルギッシュに乗り越えようとする姿勢。これが、「未完成さ」が持つ魅力の正体。そして、これが、学校で若い先生がどの先生よりも子らに好かれがちとなる大きな理由のひとつなのでしょう。言い換えれば、年配の先生の「若いときにはできていたのに…」という嘆き節は、このことができにくくなっていることに由来するのでしょう。

若いって、すばらしい。

でも、
輝きを放つ若い先生方へ、
私から「老害上等」の覚悟でひと言。

能を極めた世阿弥(ぜあみ)は、年齢に応じた稽古(けいこ)の仕方を示す『風姿花伝』の中で、若い役者が放つ輝きを「時分(じぶん)の花」として指摘し、次のように戒(いまし)めます。

時分の花をまことの花と知る心が、
真実の花になほ遠ざかる心なり。

その若さから生じて輝きを放つ「時分の花」。その一時期の人気・美しさの花を「まことの花」であるかのように思い込むようなことがあると、真実の花になる道から遠ざかるものであると心得なさい。ここから年齢を重ねてさらに稽古に精進することで、若いときには認識すらできなかったことを「そうだったのか…」と気づき、ワザはさらに磨かれて「真実の花」へとなっていくのだと言うのです。

「若さ」の魅力は、期間限定のもの。その自覚が大事です。そのうえで、若い時にしかできないことに真正面から向き合い、「真実の花」をめざして果てのない修行を続けていくのです。

かく言う私だって、まだまだ「未完成」の修行の身。

いっしょに勉強しましょう。

P.S.
若い先生へ。
遠くない未来に、皆さんはそれぞれの県の学校教育を大きくになうことになります。そんな未来を描きながら「今、ここ、この時」を。
期待していますよ!