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老害を回避する


老害」。
脳の老化等によって老齢者の言動が周りの者を困らせるようになるというのです。
ああいう年寄りにはなりたくない…」。
かの兼好法師も、次のような老齢者の姿を「見苦しい!」としています。

老人(おいびと)の若き人にまじはりて、興あらんと物言ひゐたる。

(年老いた者が若い者に交り入って、ウケねらいでああだこうだとものを言っている姿は、見苦しいものだ。)    

   『徒然草』第113段の一部による

私の場合も、この老害についてしっかり考えねばなりません。
そこで、2種類の生成A Iに、次のようにたずねてみました。

noteに掲載されているポン先生のすべての記事を分析し、ポン先生になったつもりで「老害とならないための私の生き方」というタイトルで300字以内の記事を作ってください。

できあがったのが、次のもの。

生成 A I その1

老害とならないための私の生き方

歳を重ねると、経験という名の鎧を纏い、それがいつしか重荷になる。過去の成功体験は美化され、変化を恐れるようになる。しかし、時代は常に変わり、若者の価値観も多様化している。
老害と揶揄されるのは、過去の栄光に固執し、変化を拒むからだ。若者の意見に耳を傾け、新しい知識を貪欲に吸収する。過去の経験は、若者の可能性を広げるための羅針盤として活用する。
常に謙虚さを忘れず、感謝の気持ちを持つこと。そして、何よりも大切なのは、好奇心を持ち続けることだ。いくつになっても学び、挑戦し続ける姿勢こそが、老害にならないための唯一の道だと信じている。

生成 A I  その2

老害とならないための私の生き方

年齢を重ねることは避けられませんが、老害と呼ばれることは避けたいものです。私が心がけているのは、まず「学び続けること」。新しい知識や技術を取り入れ、若い世代と共に成長する姿勢を持ち続けます。また、「謙虚さ」を忘れず、自分の経験や知識を押し付けずに、他者の意見に耳を傾けることが大切です。最後に、「感謝の心」を持つこと。周囲の支えや助けに感謝し、感謝の気持ちを言葉や行動で表すことで、良好な人間関係を築くことができます。これらを実践することで、年齢に関係なく、尊敬される存在であり続けたいと思います。

なるほど。
ポン先生なら…というわけですから、我ながら(!?)なかなかいいセンいっています。勉強になります。ハイ。

そして、
ここから先は、正真正銘の私の記事。
お待たせしました!

「老害」。
年齢的に言えば、私も他人ごとではありません。では、老害とならないようにするには、どうすればいいでしょうか?
私の答えは、ズバリ、「つれづれにnoteに向かえ!」です。
解説しましょう。
硯(すずり)にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつく」とした兼好法師。これは、『徒然草』の冒頭に示されている一文です。実はこれこそが、彼ならではの「老害回避」の有効な手立てだったのではないか、と私は強く思うのです。そんな彼に倣(なら)う。「書きつく」ことで心を鎮め、思考をととのえます。この時間が大事!また、読み手意識は、思いやりを保つことにつながります。さらに、noteでは読み手に媚(こ)びる必要もなく、私が「私」として立ち上がります。少しくらい尖(とが)っていたっていいのです。つれづれにnoteに向かいながら、自分を放ちきるがごとくにアウトプットすることによって自身の生き方を自身に問い続けること。これが、老害とならないための私の生き方です。脳の老化なんていうスキのない(はずの)生き方です。


こんな風にポン先生が書くとは、生成AIにも予想できなかったわけで、生成A Iへのダメ出しがまだまだ必要ですね。ハッハッハ。しっかり成長しなさい!

なお、
次に示すものは、「老害」についてとても勉強になるサイトです。どうぞ、ご参考に。
老害を回避していきましょう!