
その人にある「〇〇」
たいへん暑かった9月が終わろうとしています。
そんな9月末において、令和7年度の新規採用教員についての合否発表が、各都道府県で進んでいることでしょう。
筆記試験、模擬授業、個人面接・集団面接に挑まれ、次の春からの「教壇」へのキップを手にしたみなさん、おめでとうございます!また、次の機会に再度挑まれる方は、勉強と経験の積み上げが「明日」へとつながっていくことでしょう。
「この人といっしょに仕事がしたい!」
面接試験では、面接官として、民間企業の方などに加えて、現場で学校運営にあたる管理職の方などが含まれているものです。確かな規準を設定し、適切な「問いかけ」によってその人物を見て取ろうとされます。子らと誠実に向き合い、「あした」の教育を担っていける人物をさぐるのですから、面接官が持つ責任にも大きなものがあります。
「この人といっしょに仕事がしたい!」
面接試験において、採用の是非をもし私が握っているとしたら、ポイントはこれです。
学校では、教育実習の機会に若い学生の方と時間をともにすることがあります。また、若い臨時講師の先生に期間を限って学校運営に力添えをしていただくことがあります。私の出会ったこれらの方の中にも、こういう方がおられました。
もちろん、これらの方は正規の教員ではありませんから、授業などの力量面ではまだまだ未熟です。失礼な言い方をしていますが、それが当然です。よって、このことは、私の場合は、採用の是非を左右するものにはなりません。
では、私が、「この方といっしょに仕事がしたい」と思える方とは、どんな方か?
実は、案外はっきりとしているのです。
そう思えるのは、次のことができる方です。
明るいトーンのあいさつが、自分から分け隔てなくできること。
このささいで、この極めて重要なこのことを、自然にできること。
このことを、いかにやれる人であるかということ。
私が、「この人といっしょに仕事がしたい!」という思いになれるのは、これを満たす人であった時です。これができるような経験を積み上げてきたことに、私は信頼ができるのです。きっとこの人は、コンビニのレジでも店員さんに感謝の言葉をさりげなくかけることのできる人物です。朝、子らの登校の安全の見守っていただいている方に「おはようございます」が言える人物です。ひとりで食事をとるときでも手を合わせて「いただきます」が言える人物です。
学校という教育の場は、私のこれまでの記事でも書いたように「チーム戦」です。若く未熟であっても、パスを出したり、パスを受けたり、ともにスクラムを組んだりする一員です。そして、子らとも、保護者の方とも向き合い、人と人との「つながり」の中で仕事をしていきます。その際に必要なものは、何か。私の記事『あいさつは、〇〇』(2024.4.25)で示した思いが私にはあります。つき詰めれば、その人に「〇〇」があるか、なのです。教師としての「ほかのもの」は、なってからでなんとかなります。
「◯◯」とは何か。
この記事の最後に、『あいさつは、〇〇』の記事を置いておきます。
〇〇に入る言葉を確かめてくださいませ。
さて、
この記事で言いたいことは、ここまでなのですが、
私たちの大先輩である大村はまさんは、若い先生に向けて、次のように述べています。先達のとても厳しい姿勢です。
みなさんは、教育の場が、いかにかけがえのないところか、また若いから失敗してもよいということは絶対にないのだと、はっきり認識してほしいと思います。つまり、子どもはふたたびその日を迎えないし、その時間も迎えない。教師たる自分は、最高の自分でなければならないことはいつだって変わりははい。若いということは、なんの申しわけにもならない。
採用されたみなさん、「教壇」まで6か月ありますね。
私たちは、いつだって勉強し、いつだって研究しなければなりません。
待っています。