見出し画像

『論語』からのギフト

中学3年では、国語の授業の中で、『論語』を教材として学びます。
ご存じのように、『論語』には、孔子(紀元前6世紀ごろに中国に生まれた思想家)の言葉が記されています。

▲ 孔子

2500年もの長きにわたって受け継がれているこの『論語』。日本においては、3世紀頃には伝えられ、江戸時代には、学問の基礎として国中に広がり、日本人のものの見方・考え方に大きな影響を与えました。義務教育の最終学年となった子らには、ぜひ出会わせておきたい教材のひとつと言えます。

中でも、次に示す孔子の教えは、義務教育9年の長きにわたって学習をすすめてきた子らにとって、あらためてそのことの価値や値打ちを確かめたり、ここからはじまる新たなステージでの学びを充実させたりするためのギフト(贈り物)となるような教えです。

白文
子曰、学而不思則罔、思而不学則殆。

書き下し文
子曰はく、
「学びて思はざれば則ち罔(くら)し。
思ひて学ばざれば則ち殆(あやう)し。」と。

口語訳
孔子先生がおっしゃるには、
「人から教わるばかりで、自分で考えることがないと、明確な理解には達しない。また、自分で考えるだけで、人から学ぶことがなければ、独断・ひとりよがりに陥って危うくなる。」

だから、私たちはどうすればよいか。
だから、私たちはどうしてきたのか。

孔子のこの言葉にふれさせることで、ここまでの「教室での学び合い」が持っていた意味を、子らに深く実感させたいものです。そして、これからの学びにおいても大切にさせたいと心から思います。
実は、このことは、私の記事『学ぶ営み』で紹介したむのたけじさんの言葉とも響き合います。

孔子のこの教え。
そして、むのたけじさんの言葉。
しっかりと胸に刻んで中学校を巣立ってほしいと思います。

ちなみに、
『論語』に示されるものの中には、次のように弟子と孔子との問答の形になっているものがあります。Q&Aの形です。

書き下し文
子貢問ひて曰く、
「一言にして以て身を終うるまで之を行うべき者有りや」。

子曰く、
「其れ恕か。己の欲せざる所は、人に施すことなかれ」。

私が先ほど取り上げた「学びて思はざれば‥」は、このような問答の形にはなっていませんが、このことに着目して、授業で扱う時には「主」となる課題を次のようにしていました。

もしこれが弟子の問いかけに対する孔子の回答だとしたら、弟子は何と孔子に問いかけたと考えますか?

みなさんなら、どう考えますか?